浄土真宗【正信偈を学ぶ】第24回_不断光(常に照らす光)

浄土真宗の宗祖である親鸞聖人が書いた「正信偈」を、なるべく分かりやすく読み進めています。仏教を学びながら、自らについて振り返ったり、見つめる機会としてご活用いただけますと幸いです。

「正信偈を学ぶ」シリーズ、第24回目の今回は、阿弥陀仏の光のお徳を讃えた十二光の中の不断光(常に照らす光)について見ていきます。

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◆不断光

さて不断光とは、常に照らす光のことです。

阿弥陀仏とは、いつでも思いをかけてくださっている、救いの手を差し伸べてくださっている、そんな仏様だと言われます。

そんな阿弥陀仏の慈悲の心を、不断光(常に照らす光)という言葉で、表現されているかと思います。

 

◆阿弥陀仏の慈悲の心

山口県出身の童謡詩人に、金子みすゞさんという方がおられます。有名な方ですので、ご存知の方も多いことかと思います。

その金子みすゞさんは、浄土真宗の土徳が豊かな場所で育たれ、幼い頃からお寺に通うご縁があった方だったと言われています。

金子みすゞさんの詩には、仏様の温かい心を表現した詩も多く見られます。

その中の「さびしいとき」という詩を、ご一緒に味わってみたいと思います。

私がさびしいときに、よその人は知らないの。 
私がさびしいときに、お友だちは笑うの。 
私がさびしいときに、お母さんはやさしいの。 
私がさびしいときに、仏さまはさびしいの。
(さびしいとき/金子みすゞ)

この詩に、「私がさびしいときに、よその人は知らないの」とあるように、私のさびしいと思う気持ちは、他の人は中々分かってくれないこともありますね。

辛い思い、苦しい思いなども、中々人には分かりません。

そして、「私がさびしいときに、お友だちは笑うの」とあるように、私がさびしい思いを抱えて泣いていたり、落ち込んだりしていても、人からそれを笑われたり、嘲られたり、馬鹿にされることもあります。

そうした行為に、我々は改めて、自分と人とは違うということを思わされたり、分かってくれようともしないことに困惑したり、何でこんなことをするんだと憤ることもあります。

もちろん、逆もまた然りで、自分もまた、他の人の思いや気持ちを分からずに、安易な言動で傷付けてしまっていることもあることでしょう。

そんな中、この詩では、「私がさびしいときに、お母さんはやさしいの」と表現されています。損得勘定なく、味方でいてくれる方の存在は、ありがたいですね。

そして、「私がさびしいときに、仏さまはさびしいの」とも、表現されています。

みすゞさんが、仏様の慈悲の心をこの詩で表現されようとしていたかは分かりませんが、「私がさびしいときに、仏さまはやさしいの」ではなく、「仏さまはさびしいの」と表現されていることが、本質をついていて、はっとさせられます。

阿弥陀仏という仏様は、我々の抱える思いをそのまま受けとめてくださる仏様だと言われます。

あなたの喜びは私の喜びである。
あなたの悲しみは私の悲しみである。
あなたの苦しみは私の苦しみである。

そのように思ってくださる方が、阿弥陀仏という仏様だと言われます。

我々の抱える思いを知らないでいたり、違う立場から笑ったり、慰めたりするのではなく、同じ立場で思いを共にする。

さびしい時には、さびしいねと言い、つらい時には、つらいねと言う。

苦しい時には、苦しいねと言い、嬉しい時には、嬉しいねと言う。

阿弥陀仏という仏様は、我々の抱える思いをそのまま受けとめてくださり、同じ立場で思いを共にしてくださる。

そんな仏様であると言われますが、金子みすゞさんの詩からも、そのような仏様の温もりを感じます。

 

同じく金子みすゞさんの詩に、「お仏壇」という詩があります。

詩の一部を味わってみたいと思います。

朝と晩とにおばあさま、いつもお燈明(あかり)あげるのよ。
なかはすつかり黄金(きん)だから、御殿(ごてん)のやうに、かがやくの。
朝と晩とに忘れずに、私もお禮をあげるのよ。
そしてそのとき思ふのよ、いちんち忘れてゐたことを。
忘れてゐても、佛さま、いつもみてゐてくださるの。
だから私はさういふの、「ありがと、ありがと、佛さま」。
(お仏壇/金子みすゞ)

この詩では、自分もおばあさんと同じように、朝と晩とに忘れずに、仏様にお礼をあげると書かれています。

お礼をあげるとは、お仏壇の仏様に、お供え物をしたり、お花をかえたり、ロウソクの明かりを灯したり、お線香をおそなえする。

そして、手を合わせたり、正信偈やお経をとなえたり、そうした一連のことを、お礼をあげると言っているかと思います。

おばあさんの後姿を見て、仏様に手を合わせる子どもの姿が浮かんできます。その姿を想像するだけで、かわいらしいですね。

ただ、みすゞさんはこの詩で、朝と晩と忘れずに、仏様に手を合わせるけれども、それ以外の時間は仏様のことを一日中忘れていたことを、その時思い出すというんですね。

そして、私が忘れているそんな時でも、仏様はいつも見ていてくださる。

だから、「ありがとう、仏様」と言って、また朝と晩に手を合わせるというんですね。

私が忘れていても、仏様は見護ってくださっている。

そのことを、子どものような素直な心で表現されていて、素敵な詩だなと思います。

皆様は、どのように感じられるでしょうか。

 

◆いつも照らしている

不断光に話を戻しますと、不断光とは常に照らす光のことでした。

阿弥陀仏という仏様は、いつでも思いをかけてくださっている、救いの手を差し伸べてくださっている。

そんな阿弥陀仏の慈悲の心を、不断光という常に照らす光という言葉で、表現されているかと思います。

照らしてくださっているというと、どこか遠くから照らされているように感じるかもしれません。

そしてまた、いつでも思いをかけてくださっている、救いの手を差し伸べてくださっていると言われても、自分と関係のないことのように思われることもあるでしょう。

目に見えない。何とも言いようがない。感じようがない。そんな率直な感想を抱かれることもあるでしょう。

私もはじめは、阿弥陀仏とか浄土とか言われても、何のことか、よく分かりませんでした。

このように、阿弥陀仏のことを自分事とは感じられなかったり、遠くに感じられたり、よく分からなかったり、また時には忘れていたり、そういう我々もあるかと思います。

しかしそんな時でも、阿弥陀仏とは、いつでも思いをかけてくださっている、救いの手を差し伸べてくださっている、常に照らしてくださっている。そういう仏様だと言われます。

あなたの喜びは私の喜びである。
あなたの悲しみは私の悲しみである。
あなたの苦しみは私の苦しみである。

というように、我々の抱える思いをそのまま受けとめてくださり、同じ立場で思いを共にしてくださる方であると言われます。

我々は、元気な時は、仏様をあまり必要としないかもしれないけれども、悲しい時や辛い時、さびしい時や不安な時、苦しい時や孤独を感じる時などに、阿弥陀仏の慈悲の温もりが、とても温かく、そしてありがたく感じられるのかもしれません。

あなたが色々な思いや事情を抱えながらも、日々を精一杯生きていることをよく分かっているよ。大丈夫。私がいるよ。

阿弥陀仏とは、我々が元気な時も、喜んでいる時も、嬉しい時も、悲しい時も、辛い時も、苦しい時も、いつも見護ってくださっている仏様だと言われます。

そうした阿弥陀仏のお徳を、不断光(常に照らす光)という言葉で、表されているかと思います。

 

いかがだったでしょうか。

今回は、十二光の中の不断光(常に照らす光)についてお話させていただきました。

―――
合掌
福岡県糟屋郡 信行寺(浄土真宗本願寺派)
神崎修生

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・『浄土真宗聖典』七祖篇 注釈版/浄土真宗本願寺派
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