浄土真宗【正信偈を学ぶ】第23回_智慧光(まどいを除き、智慧を与える光)

浄土真宗の宗祖である親鸞聖人が書いた「正信偈」を、なるべく分かりやすく読み進めています。仏教を学びながら、自らについて振り返ったり、見つめる機会としてご活用いただけますと幸いです。

「正信偈を学ぶ」シリーズ、第23回目の今回は、阿弥陀仏の光のお徳を讃えた十二光の中の智慧光(まどいを除き、智慧を与える光)について見ていきます。

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◆智慧光

さて、智慧光とは、まどいを除き、智慧を与える光のことです。

阿弥陀仏のお徳を、智慧と慈悲で表すことがあります。そのため、この智慧光は、阿弥陀仏のお徳の中でも大切なものと言えます。

智慧の光に照らされている状態とは、いったいどういうものでしょうか。

それを考える上で分かりやすいのは、その反対の状態、智慧の光に照らされていない状態、つまり暗闇の状態を考えると分かりやすいです。

暗闇の中にいることを想像してみてください。例えば、遊園地などで暗闇の迷路があったりします。皆さんは、入ったご経験はありますでしょうか。私は子どもの頃に、暗闇の迷路で遊んだことがありました。

中に入ると真っ暗で、何がどこにあるか全然分からないんですね。光で照らされていれば、そこに壁があることや、障害物があることがすぐに分かりますすが、暗闇だと何がどこにあるかが全く分かりません。

ですから、手探りで、壁につたいながら歩いていきますが、行き止まりに突き当たることもあります。そしてそのうち、自分がどこにいるかも分からなくなるんですね。

何とかゴールして、外に出るとパッと明るくなって、ほっとした記憶があります。真っ暗闇の中にいる経験をすると、光に照らされて周りが見える状態が、いかにありがたいことかが分かりました。

今の話は、子どもの頃に私が経験した話ですが、この暗闇の話を仏教に紐づけて考えてみると、いくつか学べることがあるように思います。

 

◆物事をありのままに見ていない

まず暗闇では、物事をありのままに見ることが難しいということが分かります。

暗闇の迷路の中は真っ暗で、何がどこにあるのか、それがどんなものなのか、見えなくて分かりませんでした。

光で照らされているから、我々はどこに何があるのかや、それがどんなものかが分かるんですね。

つまり、この智慧の光から示唆されているのは、光に照らされてはじめて、物事のありのままの姿が見えてくるということが一つあるかと思います。

仏教では、我々は物事をありのままに見ていないということを問題にするんですね。

例えば、ある人のことを善い人か悪い人かと判断する時に、我々は自分にとって都合が善いか悪いかで、善い人か悪い人かを判断していることはないでしょうか。

自分と考え方が似ている、意見が合う、ある程度自分の言うことを受け止めてくれる、自分に合わせてくれる。

そうした人を我々は、善い人だと思うのかもしれません。

逆に、自分と考え方が全く違う、意見が合わない、言うことを聞いてくれない、合わせてくれない。そうした人とは正直、中々やりづらいですね。

この人やりづらいなあ、嫌だなあという印象が重なると、我々は段々とその人のことを避けるようになったり、嫌いになったりすることもあるでしょう。

そして、自分の行動と価値観とを合わせようとして、あの人は悪い人だとレッテルをはって、自分を納得させていく。そういう心理が我々にはあるかもしれませんね。

しかし、相手からすると、また違った意見があるでしょうね。

この場合はこうしたほうがいいよ、それはあなたにとっていいようにならないよと、親身になって言ってくれているのかもしれません。

相手からすると、また違った見方、違った意見があるわけですね。

仕事の進め方や意思決定の仕方、家庭でも子どもの教育方針とか、家族のあり方とか、物事は何が善いか悪いか、正しいか正しくないかということは、かなり複雑で難しいものですよね。

人が百人いれば百通りの意見があると言ってもいいかもしれません。

このように、我々は色々な物事や出来事を、自分中心に見て考えて、判断しているんですね。物事を見る視点の中心を自分に置いています。

一歩引いて、物事をありのままに客観的に見るということは、実はかなり難しいことが分かります。

ついつい、自分は正しいと思って高慢になったり、逆に、自分は間違っていると思い卑下したりします。

高慢と卑下とは違うように見えますが、どちらも自分中心に見ているということが共通しています。

繰り返しますが、仏教では、我々は物事をありのままに見ていないということを問題にします。

それは、物事を見る視点の中心を自分に置いているからですね。

この物事をみる視点の中心を自分に置いている状態のことを、仏教では無明といっています。

視点の中心を自分に置いてしまうのは、執着や、自分中心の思いがあるからです。

ですから仏教では、こうした執着や自分中心の思いといった煩悩が根本問題であると考えていきます。

執着や自分中心の思いがある我々は、物事をみる視点の中心を自分に置いてしまう。だからこそ、物事をありのままに見ていない。

こうした状態を、仏教では無明といって、暗闇にたとえられています。

智慧の光で照らされるとは、仏法を学ぶ中に、我々が物事を自分中心に見ているということに気付かされてくるということがあります。

自分中心の思い、執着は根深くて、それを手ばなしていくことは難しいことです。

それでも、自分中心に物事を見ていることを自覚しながら見ると、たとえば、人によって見方が違うんだなとか、立場や価値観によって意見が違うんだなということを前提として、相手の話を聞くことができるようになります。

そうすると、一方的に自分の意見を主張するのも良くないなとか、相手がなぜそう思うのだろうかと、自分の言動を考慮したり、相手の心理や背景にまで目を向けるようになるということがあるかと思います。

 

◆人生の現在地と行先

そして、冒頭の暗闇の迷路の話から、もう一つ分かることは、暗闇の中にいると自分の現在地や行き先が分からなくなるということです。

それは、人生に置き換えても同じことが言えます。

つまり、人生の現在地とは、自分が今何を大切にして、どう生きているかということであり、人生の行き先とは、この人生をどこに向かって歩んでいるのかということでしょう。

それが分からない状態、見えていない状態、間違った方向に進んでいる状態のことを、仏教では暗闇、無明であると言われるんですね。

我々はほうっておくと、自分の欲求を中心にした生き方をし、執着や自分中心の思いから物事を見て、それが正しいと思い込み、主張し、他者や自分を傷付けながら生きてしまいます。

そんな生き方やあり方は、実は苦しみに向かうあり方であり、それを何とかしたいと思われたのが、阿弥陀仏という仏様だと言われます。

阿弥陀仏の智慧の光に照らされるとは、我々が今どう生きているかということを内省し、何を大切にして生きると良いのかが知らされ、人生をどこに向かって歩んでいるのかという問いが明らかにされていく。

そうした智慧のはたらきを、智慧光と表現されていると伺えるかと思います。

自己中心の閉じた生き方、あり方は苦しみであると知り、自他に開かれた本当の幸せ、心豊かな生き方、あり方へと人生の歩みを進めてほしい。

そのように願われているのが、阿弥陀仏という仏様だと言われます。

 

◆阿弥陀仏の願い

無明とは、そんな阿弥陀仏の願いや智慧のはたらきを疑うこととも言われます。

あらゆるものを清らかな仏の国へ生まれさせ、仏とならせたい。智慧と慈悲をそなえた仏とならせ、苦悩するものたちを救い導くようなものとならせたい。

阿弥陀仏の願いとは、そんな大きな慈悲の願いですから大悲の願とも言われます。

そうした願いを受け止め、仏となっていく人生を歩んでほしい。

そうした願いが我々にかけられているということが、阿弥陀仏の智慧光に照らされている状態とも言えるかと思います。

最後に、親鸞聖人が記された『教行信証』から、このような文章を味わって終わりにしたいと思います。

大悲の願船に乗じて光明の広海に浮びぬれば、至徳の風静かに衆禍(しゅか)の波転ず。
すなはち無明の闇(あん)を破し、すみやかに無量光明土に到りて大般涅槃を証す、普賢の徳に遵ふなり
(『教行信証』行文類/親鸞聖人)

この文章を意訳するとこのような意味になります。

阿弥陀仏の大いなる慈悲の船に乗り、念仏の衆生を摂め取る光明の大海に浮かぶと、この上ない功徳の風が静かに吹き、すべてのわざわいの波は転じて治まります。
すなわち、迷いの闇を破って、はかり知ることのできない光明の世界に速やかに至って、仏のさとりを開き、有縁のものを救うはたらきをさせていただくのです。

いかがだったでしょうか。

今回は、十二光の中の智慧光(まどいを除き、智慧を与える光)についてお話させていただきました。

―――
合掌
福岡県糟屋郡 信行寺(浄土真宗本願寺派)
神崎修生

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◇参照文献:
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・『浄土真宗聖典』七祖篇 注釈版/浄土真宗本願寺派
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