浄土真宗【正信偈を学ぶ】第22回_歓喜光_よろこびを与える光

浄土真宗の宗祖である親鸞聖人が書いた「正信偈」を、なるべく分かりやすく読み進めています。仏教を学びながら、自らについて振り返ったり、見つめる機会としてご活用いただけますと幸いです。

「正信偈を学ぶ」シリーズ、第22回目の今回は、阿弥陀仏の光のお徳を讃えた十二光の中の歓喜光(よろこびを与える光)について見ていきます。

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◆歓喜光

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さて、歓喜光とは喜びを与える光のことです。

具体的には、我々が阿弥陀仏の救いの教えを聞いて、深く喜ぶ心が育まれてくるお徳のことを、歓喜光と表現されています。

親鸞聖人が書かれた和讃には、阿弥陀仏の歓喜光のお徳をこのように表されています。

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慈光はるかにかぶらしめ
ひかりのいたるところには
法喜をうとぞのべたまふ
大安慰(だいあんに)を帰命せよ
(『浄土和讃』/親鸞聖人)

この和讃を意訳すると、このような意味になります。

阿弥陀仏の慈悲の光明は、はるか隔たったところからでも、我々のことを照らしてくださっています。
その光明が我々の心に至り届き、阿弥陀仏の救いの教えを喜ぶ心をいただくのであると、曇鸞大師は述べておられます。
大いなる安らぎを与えてくださる阿弥陀仏に、帰依致しましょう。

この和讃は、そのような意味になります。

阿弥陀仏の光明は、はるか遠く隔たったところからでも、我々のことを照らしてくださっているとあります。どんなに遠くにいようとも思いをかけてくださっている。そんな仏様が阿弥陀仏であることがここから分かります。

そんな思いをかけてくださっている阿弥陀仏の光明とは、慈悲の心からおこっているということが、慈光という慈悲の光明という言葉で示されています。

慈悲の光明に照らされるとは、阿弥陀仏の慈悲の心に触れることであり、それを喜ぶ心をいただくということがこの和讃に示されています。

◆慈悲の心は親心

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阿弥陀仏の慈悲の心は親心にたとえられることがあります。

ある70代の男性が、90代のお母さまに会いに行った時のことを話してくださいました。90代のお母さまは、夫を亡くしてからも、お一人で住んでいらっしゃるそうです。

息子さんであるその70代の男性は、一緒に住まないかと話を持ち掛けているそうですが、住み慣れた場所を離れてまで、引っ越しはしたくないとお母さんは言っているそうです。

それで息子さんは、行ける時にはお母さんの顔を見に行くそうです。息子さんとしては、90代の母を心配して様子を見に行くわけです。でも行ってみたら、息子さんが来てくれたことを喜びながらも、お母さんはいつも息子さんのことを心配するそうです。

「ちゃんと食べとるね?」「元気にしとるね?」と、90代の母が70代の自分のことを心配してくれます。男性の方は、そうおっしゃってました。たとえ離れていても、子のことを思う親心をこのお話から感じました。

以前にご法話で聞いた話ですが、親と子の関係は、親指と小指のようだと聞いたことがあります。

手でグーを握って、親指と小指を立てます。すると、親指のはらは小指のほうを向いていて、小指のはらはそっぽを向いています。この親指と小指の関係が、親子のようだというんですね。

子のことを思う親。子は中々その親心に気付かない。他のところを見ている。そんな親子のあり方が、まるで親指と小指のようだとたとえられているというんですね。中々面白いたとえだと思いました。

いつまでたっても親は親、子は子と言われます。その息子さんも、「自分ももう70代だよ」とお母さんに言うそうです。それでも、何歳になっても親は親なんですね。

息子さんは心配してお母さんのところに行くけれども、行ってみると、90代の母親が70代の息子のことを心配してくれる。「いつまでたっても親は親なんですね」。そう男性はおっしゃっておられました。

話を戻しますが、阿弥陀仏の慈悲の心は、親心にたとえられることがあります。どんなに遠く離れていても、思いをかけてくださっている。

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和讃には、「慈光はるかにかぶらしめ」とありましたが、それは、阿弥陀仏ははるか遠く隔たったところからでも、我々のことを照らしてくださっている。そんな慈悲の心をもった仏様であるということが表されています。

そして、親心のような阿弥陀仏の慈悲の心が、慈悲の光明として表現されています。また親心とは、じんわりとした喜びを与えてくれるものです。

我々はつらい時、悲しい時など、そういう時ほど、自分のことを思ってくださる方、心配してくださる方、応援してくださる方の存在が支えになります。思いをかけてくれている方がいるという温もりが、我々の支えになるんですね。

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先ほどの和讃に法喜(ほうき)と出てきましたが、この法喜とは、阿弥陀仏の救いの教えに出遇ったことを喜ぶ心です。それはつまり、阿弥陀仏が思いをかけてくださっていることを喜ぶ心です。

どんなに遠くにいようとも、阿弥陀仏は思いをかけてくださっている。光で照らしてくださっている。そのことに気付かされたら、心が温かくなってくるわけですね。阿弥陀仏の慈悲の心にいつも包まれていることに気付かされてきます。

幼子が身も心も預けて、親に抱かれているように、阿弥陀仏の両手の中に安心して包まれている。そうした阿弥陀仏の慈悲の温もりを喜ぶ心が法喜です。

◆慈悲の心を喜ぶ

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和讃には「慈光はるかに」とあるように、阿弥陀仏の慈悲の光明は、はるか遠いところから照らしてくださっていると表現されています。しかし実は、遠くにしているのは自分の心です。

阿弥陀仏はいつでも照らしてくださっている、思いをかけてくださっているけれども、それに気付けない、もしくはそっぽを向いている、または疑っている。そんな我々のあり方に、はるか遠くと表現されています。

親はいつも思っているけれども、その親心に気付けない、反発してしまう、疑ってしまう。そんな子どもとしてのあり方が、親心を遠くにしてしまうわけです。

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しかし、阿弥陀仏の光に照らされていることに気付かされたら、慈悲の温もりに気付かされたら、いつも思ってくださっている親心に気付かされたら、その慈悲の心、親心が近くに感じられて、それを喜ぶような心が育まれてきます。

浄土真宗ではお聴聞といって、仏法を聞くことをとても大切にしています。仏法を聞くとは、阿弥陀仏の慈悲の光に照らされていることを聞くことであり、親心のような慈悲の心で、いつも思いをかけてくださっていることを聞いていくことです。

慈悲の光明に照らされていることに気付かされたならば、その慈悲の温もりに気付かされたならば、そのことを喜ぶ心が育まれてくるんですね。

もちろん、親といっても千差万別です。親心を感じたことがない方、優しい親ではなかったという方もおられるかと思います。親心という言葉で説明する難しさもあることも、補足しておきたいと思います。

そして、親指と小指のたとえで、小指はそっぽを向いているという話をしましたが、親のことを思っているお子さんもおられるかと思います。たとえで出した70代の男性も、きっとそんな親を思う気持ちから、お母さんのところに行っていたのだと思います。

親子という関係も本当に難しいですが、できれば互いに思い合い、支え合うような関係が育まれるといいですね。

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さて、まとめていきます。

歓喜光とは、喜びを与える光のことでした。

歓喜光に照らされて、喜びの心が与えられるとは、具体的には、阿弥陀仏の救いの教えを聞いて、阿弥陀仏が思いをかけてくださっていることを知り、その慈悲の温もりを深く喜んでいくということです。その深く喜ぶ心のことを、和讃には法喜と記されていました。

十二光の中の歓喜光とは、慈悲の光明であり、阿弥陀仏が思いをかけてくださっていることを深く喜んでいく心が育まれてくるということが表されています。

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最後に、今回ご紹介した和讃を、今一度味わってみましょう。

慈光はるかにかぶらしめ
ひかりのいたるところには
法喜をうとぞのべたまふ
大安慰(だいあんに)を帰命せよ
(『浄土和讃』/親鸞聖人)

阿弥陀仏の慈悲の光明は、はるか隔たったところからでも、我々のことを照らしてくださっています。
その光明が我々の心に至り届き、阿弥陀仏の救いの教えを喜ぶ心をいただくのであると、曇鸞大師は述べておられます。
大いなる安らぎを与えてくださる阿弥陀仏に、帰依致しましょう。

今回は、十二光の中の歓喜光(喜びを与える光)についてお話させていただきました。次回は、続きをお話したいと思います。

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合掌
福岡県糟屋郡 信行寺(浄土真宗本願寺派)
神崎修生

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