ここでは、浄土真宗でよくおとなえされる「正信偈」(しょうしんげ)の内容について、できるだけ分かりやすく味わってまいります。題して、【正信偈を学ぶ】シリーズ、今回は第15回目です。
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◆今回の要点
今回は、「十二光と第十二願成就文」というテーマで見てまいります。前回まで、法蔵菩薩(阿弥陀仏)が五劫というとても長い時間をかけて思惟し、四十八願という四十八の願いをお建てになったということを見てきました。
そしてその後、法蔵菩薩(阿弥陀仏)は、その願いを成し遂げるため、さらに兆載永劫(ちょうさいようごう)という果てしない時間をかけてご修行をなさったと言います。
そして、ご修行の後、ついに四十八願、そしてその根本のとなる本願を成就され、法蔵菩薩は阿弥陀仏という仏様となられます。そうした内容が、『仏説無量寿経』というお経に説かれています。
『仏説無量寿経』には、法蔵菩薩が阿弥陀仏となった物語や、阿弥陀仏の世に超えすぐれたお徳について讃えられています。そしてその中に、十二光という、阿弥陀仏のもつ光のお徳を讃えられているところがあります。十二光とは、阿弥陀仏がもつ光のお徳を、十二種に分けて讃えたものです。
その『仏説無量寿経』に出てくる、十二光という阿弥陀仏の光のお徳を讃えた御文をもとに、親鸞聖人は「正信偈」の一節をつくられています。そのことが、今回ご覧いただくとよく分かるかと思います。今回は、「十二光と第十二願成就文」というテーマで見てまいります。
◆正信偈の偈文(げもん)
ではまず、「正信偈」の本文と書き下し文、そして意訳を見てみましょう。
【本文】
普放無量無辺光 無礙無対光炎王
(ふほうむりょうむへんこう むげむたいこうえんのう)
清浄歓喜智慧光 不断難思無称光
(しょうじょうかんぎちえこう ふだんなんじむしょうこう)
超日月光照塵刹 一切群生蒙光照
(ちょうにちがっこうしょうじんせつ いっさいぐんじょうむこうしょう)
次に書き下し文です。
【書き下し文】
あまねく無量・無辺光、無礙(むげ)・無対・光炎王、清浄・歓喜・智慧光、不断・難思・無称光、超日月光を放ちて塵刹(じんせつ)を照らす。一切の群生(ぐんじょう)、光照を蒙(かぶ)る。
次に意訳です。
【意訳】
阿弥陀仏の放つ光のお徳について、お釈迦様は十二種に分けてほめ讃えておられます。無量光、無辺光、無礙光、無対光、炎王光、清浄光、歓喜光、智慧光、不断光、難思光、無称光、超日月光のことです。阿弥陀仏の放つ光は、全ての世界を照らし、あらゆるものはその光をうけています。
◆十二光
今読んだ「正信偈」の部分に、十二光という阿弥陀仏がもつ十二種の光のお徳が書かれていました。
無量光、無辺光、無礙光、無対光、炎王光、清浄光、歓喜光、智慧光、不断光、難思光、無称光、超日月光
このような十二種の光が出てきました。まずは、この十二光について簡単に概観し、阿弥陀仏とはどういう光のお徳をもった仏様なのかを見てみましょう。
まず、一つ目は無量光で、量ることのできない光という意味です。次に、無辺光は、いきわたらないところのない光のこと、無礙光とは、何ものにもさえぎられることのない光のことです。
量ることができないほどの光で、いきわたらないところがないほどあらゆるものを照らし、何ものにもさえぎられない。そうした無量光、無辺光、無礙光の三つ光は、その光自体のすぐれた徳を表しています。
次に、無対光とは比べるもののない光のことで、炎王光とは、「正信偈」では光炎王となっていますが、最高の輝きをもつ光のことです。どのような光と比べたとしても比較にならないほどすぐれ、まるで炎の中の王であるような最高の輝きをもつ光。そうした無対光、炎王光は、光のすがたの徳を表していると言われます。
十二光の一つ一つについて、次回以降もう少し詳しく見ていきますので、今回は、まずはざっと見ていただければと思います。阿弥陀仏とは、このような光のお徳をもった仏様だということを感じていただいたり、「正信偈」の今回の部分は、阿弥陀仏の光のお徳が讃えられているのだなとお分かりいただければよいかと思います。
少しでも「正信偈」の内容を分かるようになって、意味を分かりながらおとなえできるようになれば、感じるありがたさが増すと思います。ですので、「正信偈」には、このような内容のことが書かれているんだなと思いながら、見ていただければと思います。
次に、清浄光とは、貪りを除く清らかな光のこと、歓喜光とは、いかりを除きよろこびを与える光のこと、智慧光とは、まどいを除き智慧を与える光のことです。これは、貪欲(とんよく)、瞋恚(しんに)、愚痴という三毒の煩悩に対応しています。
貪欲とは貪りの心のことで、清浄光はそうした貪りを除く光であると言います。瞋恚とはいかりの心のことで、歓喜光とはいかりを除き、よろこびを与える光です。愚痴とは、真理が分からない愚かさという意味で、智慧光とはそうした愚かなまどいを除き、智慧を与える光だと言います。このように、清浄光、歓喜光、智慧光の三つは、三毒の煩悩に対応しています。
次に、不断光とは、常に照らす光のことで、難思光とは、思いはかることができない光のこと、無称光とは、説き尽くすことのできない光のことです。不断光は、過去現在未来の三世にわたって、ずっと照らし続けてくださっているお徳を表しています。
難思光、無称光は、我々には理解したり、語ることができないほどのすぐれたお徳があることを表しています。
十二光の最後の超日月光とは、太陽や月の光に超えすぐれた光という意味です。これは、この地上で明るい光の代表である太陽や月にもまさる輝きをもった光であることを表しています。
◆『仏説無量寿経』に説かれた十二光
「正信偈」に出てくる十二光は、先ほど言ったように、もともとは『仏説無量寿経』というお経に説かれています。『仏説無量寿経』というお経は、浄土三部経の一つで、浄土真宗や浄土宗で根本の経典とされています。
親鸞聖人は、その『仏説無量寿経』に基づいて、「正信偈」の前半部分の依経段をつくられています。ですので、「正信偈」に出てくる十二光は、もともとは『仏説無量寿経』というお経に説かれているわけです。
『仏説無量寿経』は、お釈迦様が説かれています。お釈迦様がお弟子の阿難尊者に向かって、阿弥陀仏の救いの素晴らしさについて説かれています。今回の阿弥陀仏の光のお徳について讃えたというのも、その讃えた方はお釈迦様です。
では、お釈迦様が阿弥陀仏の光のお徳について讃える『仏説無量寿経』の御文を、実際に見てみましょう。そうすると、「正信偈」が『仏説無量寿経』に基づいてつくられていることがよく分かります。
こちらが、『仏説無量寿経』の十二光の部分の御文です。
仏、阿難に告げたまはく、「無量寿仏の威神光明は、最尊第一なり。諸仏の光明、及ぶことあたはざるところなり。あるいは仏光ありて、百仏世界あるいは千仏世界を照らす。……
このゆゑに無量寿仏をば、無量光仏・無辺光仏・無礙光仏・無対光仏・焰王光仏・清浄光仏・歓喜光仏・智慧光仏・不断光仏・難思光仏・無称光仏・超日月光仏と号す。
それ衆生ありて、この光に遇(もうあ)ふものは、三垢(さんく)消滅し、身意柔軟(にゅうなん)なり。歓喜踊躍して善心生ず。
この御文を意訳すると、このような意味になります。
お釈迦様は、阿難に仰せになりました。「無量寿仏(阿弥陀仏)の神々しい光明は、最も尊いものである。他の仏方の光明も、それにとうてい及ぶところではない。無量寿仏(阿弥陀仏)の光明は、百の仏の世界を照らし、あるいは千の仏の世界を照らす。……
そのため無量寿仏(阿弥陀仏)を、無量光仏・無辺光仏・無礙光仏・無対光仏・焰王光仏・清浄光仏・歓喜光仏・智慧光仏・不断光仏・難思光仏・無称光仏・超日月光仏という。
この光に照らされるものは、三毒の煩悩も消滅し、身も心も和らぎ、喜びに満ち溢れて善い心が生まれる。
『仏説無量寿経』には、このように、説かれています。「正信偈」の十二光の部分と全て合致しており、「正信偈」は『仏説無量寿経』に依ってつくられていることがよく分かるかと思います。
◆第十二願文と成就文
このように、法蔵菩薩はすぐれた光のお徳をそなえた阿弥陀仏という仏様になられたことが、『仏説無量寿経』に説かれています。阿弥陀仏がなぜすぐれた光のお徳をそなえた仏様となられたかというと、そうした仏となりたいと阿弥陀仏ご自身で願われたからだと言います。
具体的には、すぐれた光をもった仏となることを、法蔵菩薩(阿弥陀仏)自らが、四十八願の中の第十二願に誓われ、その願いを成就されたからです。四十八願の第十二願には、このような法蔵菩薩(阿弥陀仏)の願いが誓われています。
たとひわれ仏を得たらんに、光明よく限量ありて、下百千億那由多(なゆた)の諸仏の国を照らさざるに至らば、正覚を取らじ。
この御文を意訳すると、このような意味になります。
わたしが仏となるとき、光明に限りがあって、数限りない仏方の国を照らさないようなら、わたしは決して仏のさとりをひらきません。
法蔵菩薩(阿弥陀仏)は、第十二願には、このように誓われています。仏となったならば、光明に限りあるようではいけない。限りのない無量の光をもった仏となる。そして、様々な仏の国を照らさないようなら、私は仏とならない。
逆に言えば、あらゆる仏方の国を照らすような仏となる。法蔵菩薩(阿弥陀仏)は、無量の光をもった仏となり、様々な仏方の国を照らす、そんな仏となりたいと第十二願に誓われました。
そして法蔵菩薩は、第十二願を成就され、すぐれた光のお徳をそなえた阿弥陀仏となられます。そのように『仏説無量寿経』に説かれます。実は、阿弥陀仏が第十二願を成就されたという内容が書かれている部分が、先ほどご紹介したお釈迦様が阿弥陀仏の光のお徳を讃えている部分になります。
お釈迦様は、阿難に仰せになりました。「無量寿仏(阿弥陀仏)の神々しい光明は、最も尊いものである。他の仏方の光明も、それにとうてい及ぶところではない。無量寿仏(阿弥陀仏)の光明は、百の仏の世界を照らし、あるいは千の仏の世界を照らす。……
この後にも十二光の御文などが続いていきますが、『仏説無量寿経』には、このようにお釈迦様が阿弥陀仏の光を讃える部分がありました。この段落全体を第十二願成就文と言い、阿弥陀仏が第十二願を成就されたことを証明する御文であるとされます。
四十八願の中の第十二願を今一度見ると、このような内容でした。
わたしが仏となるとき、光明に限りがあって、数限りない仏方の国を照らさないようなら、わたしは決して仏のさとりをひらきません。
この第十二願とは、阿弥陀仏が仏様となる前の、法蔵菩薩のときに誓われたものです。法蔵菩薩(阿弥陀仏)は、光明に限りのない無量の光をもった仏様となり、様々な仏方の国を照らす、そんな仏となりたいと第十二願に誓われました。そして、兆載永劫という果てしない時間をかけてご修行をなされ、ついに、仏のさとりをひらきます。
その後説かれる第十二願成就文には、阿弥陀仏はその願いを成就され、無量の光をもった仏様となり、様々な仏方の国を照らしておられる。阿弥陀仏が第十二願を成就し、すぐれた光をもった仏となられたことを、お釈迦様が証明なさっておられるのが、この第十二願成就文というわけです。
もう一度繰り返します。阿弥陀仏がなぜすぐれた光のお徳をそなえた仏様となられたかというと、法蔵菩薩(阿弥陀仏)自らが、四十八願の中の第十二願に誓われ、その願いが成就されたからです。
第十二願を成就したことを証明する御文が、第十二願成就文でした。その第十二願成就文の中に、阿弥陀仏のすぐれた光のお徳として、十二光が説かれています。
その『仏説無量寿経』の十二光の部分を基に、親鸞聖人は「正信偈」の十二光の御文をつくられました。何となく構造をご理解いただけたでしょうか。
◆
いかがだったでしょうか。今回は、「十二光と第十二願成就文」というテーマで見てきました。ちょっと理屈っぽく感じられたかもしれませんが、最終的には人間の論理を超えてしまう仏様の話を、できるところまで論理で考えていくという営みも大切なことのように思います。
親鸞聖人や、七高僧をはじめとした多くの先達が、このお経に説かれる内容こそが、自らが救われていく道だと思われ、研鑽と実践を重ね、このお経にこのような意図があることを見出していかれました。
そうした先達の歩みがなければ、このお経がどういう意味をもっているのかということは、我々には分からない部分が多いんですね。
そうした先達の方々が、いのちや人生をとして、阿弥陀仏の救いを依りどころとして生き抜いていかれました。その事実に触れていくことが、また阿弥陀仏の願いに触れていくご縁となると思うのです。
その先達の方々は、阿弥陀仏の願いと救いのはたらきが、自らのもとに至り届き、まさに救いの手の中にあるという実感があったからこそ、阿弥陀仏の救いを依りどころされたことでしょう。
そうした先達の研鑽の成果に基づいて、なるべく深みをそこなうことなく、しかしそれをできるだけ分かりやすい言葉でもって、「正信偈」を味わってまいりたいと思います。
―――
合掌
福岡県糟屋郡 信行寺(浄土真宗本願寺派)
神崎修生
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◇参照文献:
・『浄土真宗聖典』注釈版/浄土真宗本願寺派
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・『浄土真宗辞典』/浄土真宗本願寺派総合研究所
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・『浄土真宗聖典』浄土三部経(現代語版)/浄土真宗本願寺派
https://amzn.to/2SKcMIl
・『聖典セミナー』無量寿経/稲城選恵
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・『正信偈の意訳と解説』/高木昭良
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・『正信偈を読む』/霊山勝海
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・『浄土真宗聖典』歎異抄(現代語版)/浄土真宗本願寺派
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・『勤行意訳本』/神崎修生
(『勤行意訳本』については、信行寺までお問い合わせください。 https://shingyoji.jp/ )