【正信偈を学ぶ】第51回_獲信見敬大慶喜 即横超截五悪趣_横超五趣の利益①

「正信偈を学ぶ」シリーズでは、浄土真宗の宗祖である親鸞聖人が記された「正信念仏偈」について、皆様とその内容を味わっています。

日々を安らかに、人生を心豊かに感じられるような仏縁となれば幸いです。

今回より、「獲信見敬大慶喜 即横超截五悪趣」(ぎゃくしんけんきょうだいきょうき そくおうちょうぜつごあくしゅ)という二つの句の意味についてみていきます。

お経本が手元にあられる方は、ぜひお経本に書き込んだりしながらご覧いただければと思います。

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◆「正信偈」の偈文

ではまず、今回見ていく「正信偈」の本文、書き下し文、意訳を見ていきましょう。宜しい方は、ご一緒ください。まずは、本文からです。

獲信見敬大慶喜 即横超截五悪趣
(ぎゃくしんけんきょうだいきょうき そくおうちょうぜつごあくしゅ)

次に、書き下し文です。

信を獲て見て敬ひ大きに慶喜(きょうき)すれば、すなはち横(おう)に五悪趣(ごあくしゅ)を超截(ちょうぜつ)す。

次に、意訳です。

阿弥陀仏の救いを信じ、その教えを聞いて大いに喜ぶ人は、煩悩を抱えたままでも、阿弥陀仏のはたらきによってすぐさま迷いの道を断ち超え、さとりへの道を歩ませていただくのです。

◆「正信偈」に示される信心の利益

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以前にも申しましたが、「正信偈」の「能発一念喜愛心」(のうほついちねんきあいしん)という句以降には、「信心の利益」が示されています。

「浄土真宗における信心」とは、「阿弥陀仏の救いを信じ喜ぶ心」のことであり、「阿弥陀仏をたよりとし、依りどころとする心」のことです。

その「信心をいただくとどうなるのか」という「信心の利益」について、「能発一念喜愛心」という句以降に、数句にわたり示されているのですね。

「正信偈」のこの部分には、五種類の「信心の利益」が示されています。

「正信偈」の構成を把握するため、復習もかねて、どのような利益が示されているのかをみておきましょう。

一つ目は、「不断得証(ふだんとくしょう)の利益」で、「煩悩を断ち切れないままでも救われる」という利益でした。

これは、「正信偈」の「不断煩悩得涅槃」(ふだんぼんのうとくねはん)という句に示されています。

二つ目は、「平等一味(いちみ)の利益」で、「全てのものが等しく救われる」という利益です。

これは、「凡聖逆謗斉回入 如衆水入海一味」(ぼんじょうぎゃくほうさいえにゅう にょしゅしいにゅうかいいちみ)という句に示されていました。

三つ目は、「心光摂護(しんこうしょうご)の利益」で、「阿弥陀仏の光に常に照らされ護られる」という利益です。

これは、「摂取心光常照護」から「雲霧之下明無闇」までの六つの句に示されていました。

四つ目は、「横超五趣(おうちょうごしゅ)の利益」で、「阿弥陀仏のはたらきによって迷いの道を断ち超える」という利益です。

今回みていく「獲信見敬大慶喜 即横超截五悪趣」という句が、この四つ目の利益について示されているところとなります。

それぞれの利益の名前を覚えていただく必要はありませんが、「正信偈」のこの部分には「信心の利益」が示されていること。

そして今回は、そのうちの四つ目の「横超五趣の利益」についてみていくこと。

そうした構成を念頭に置きながら、お読みいただければと思います。

◆「獲信見敬大慶喜」の出典

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では次に、「獲信見敬大慶喜」(ぎゃくしんけんきょうだいきょうき)という言葉の出典についてみておきましょう。

「獲信見敬大慶喜」という言葉は、『仏説無量寿経』というお経にある「獲信見敬得大慶」(ぎゃくしんけんきょうとくだいきょう)という言葉からとられています。(『仏説無量寿経』「巻下/往覲偈」(おうごんげ))

「獲信見敬大慶喜」と「獲信見敬得大慶」という二つの言葉を見比べていただくと、ほとんど同じであることがお分かりいただけるかと思います。

また、親鸞聖人が書かれた『尊号真像銘文』という著書の中には、「正信偈」の言葉を親鸞聖人自身が書き写され、解説されている部分があります。

そこでは、本来「正信偈」では「獲信見敬大慶喜」となっているところが、「獲信見敬得大慶」となっています。

『仏説無量寿経』の言葉がそのまま用いられているのですね。

ですので、「正信偈」の「獲信見敬大慶喜」という言葉は、『仏説無量寿経』の「獲信見敬得大慶」という言葉を用いてつくられていることが分かります。

◆「獲信」の意味

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次に、「獲信見敬大慶喜」という言葉の意味についてみていきましょう。

「獲信見敬大慶喜」という言葉を書き下すと、「信を獲て見て敬ひ大きに慶喜(きょうき)すれば」となります。

「獲信」の「信」とは、「信心」のことで、「阿弥陀仏の救いを信じ喜ぶ心」「阿弥陀仏をたよりとし、依りどころとする心」のことです。

そして、「獲信」の「獲」とは、「信心をいただくこと」「信心を恵まれること」です。

ですので、「獲信」「信を獲て」という言葉を訳すと、「阿弥陀仏の救いを信じ喜ぶ心をいただき」という意味になります。

「獲信」の「獲」という字には、獲物をとるという意味があります。

そのため、「信を獲て」というと、自らの力で信心をつかみとるという意味に聞こえるかもしれません。

しかし、この「獲」という言葉は、ここでは受け取る、いただく、恵まれるという意味合いで使われています。

ですから、浄土真宗において信心を獲るとは、「信心をいただく」とか「信心を恵まれる」と表現されます。

信心をどなたからいただくかと言えば、阿弥陀仏からですね。

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阿弥陀仏とは、「迷い苦しむ全てのものを必ず救う」、だから「私をどうかたよりとしてほしい」「依りどころとしてほしい」と願われている仏様だと、お経には説かれています。

そうした阿弥陀仏の願い、仏の心をいただき、私たちの心に信心が恵まれていきます。

具体的には、法話などを通じて、阿弥陀仏の願い、念仏の教えを重ねて聞いていく中で、阿弥陀仏をたよりとし、依りどころとする心が育まれていきます。

そうした信心をいただくことを、「信を獲て」と表現されています。

信心をいただくということを、例を出して考えてみましょう。

小さな子どもが、「お母さん」「ママ」と呼ぶことがありますね。

転んで膝をすりむいた時とか、夜中に目が覚めた時とか、見まわしてお母さんがいなかった時とか、子どもが「お母さん」「ママ」と呼ぶことがあります。

転んで痛かったら「お母さん」、目が覚めて真っ暗だったら「お母さん」、お母さんが見当たらなかったら「お母さん」と、そう子どもがお母さんを呼ぶことがありますね。

それは、子どもがお母さんをたよりにしているからでしょうね。

子どもがお母さんをたよりにするのはなぜでしょうか。

なぜかと考えてみると、お母さんがずっと子どもに思いをかけてきたからでしょうね。

子どもが生まれた日からずっと我が子を抱いて、泣いては駆け寄り、おっぱいをあげ、おむつを替えたりして、「大丈夫、大丈夫」「お母さんはここよ」と呼びかけてきた。

呼びかけ続け、思いをかけ続けてきた、その母親の心が子どもに伝わり、何かあれば「お母さん」と呼ばせるのでしょうね。

「お母さん」「ママ」という一声は、突然出てきたのではなく、親心の積み重ねがあって出てきたものでしょうね。

浄土真宗における信心をいただく構造も、それに似ています。

繰り返しになりますが、「浄土真宗における信心」とは、「阿弥陀仏の救いを信じ喜ぶ心」「阿弥陀仏をたよりとし、依りどころとする心」のことでした。

阿弥陀仏とは、「迷い苦しむ全てのものを必ず救う」、だから「私をどうかたよりとしてほしい」「依りどころとしてほしい」と願われている仏様だと、お経には示されています。

そうした阿弥陀仏の願い、仏の心をいただいて、私たちの心に信心が恵まれるのですね。

具体的には、法話などを通じて、阿弥陀仏の願い、念仏の教えを重ねて聞いていく中で、阿弥陀仏をたよりとし、依りどころとする心が育まれていきます。

そうした信心をいただくことを、「正信偈」では「信を獲て」と表現されています。

◆「見敬大慶喜」の意味

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次に、「獲信見敬大慶喜」の「見敬」という言葉についてみてみましょう。

「見敬」とは、書き下すと「見て敬ひ」となります。

「見敬」の「見」とは、「聞見」(もんけん)のことだと言われます。

「聞見」とは、「教えを耳で聞いて深く知ること」です。

「聞見」は、「眼見」(げんけん)という「目で見ること」に対する言葉とされています。

ですので、ここで「見」とは、阿弥陀仏を目で見ることというよりは、阿弥陀仏の救いについて説かれた教え、念仏の教えについて聞いて深く知ることです。

そして、「見敬」の「敬」とは、敬うことです。

「見敬」「見て敬ひ」という言葉を訳すと、「阿弥陀仏の救いの教えを聞いて深く知り、その教えを敬う」という意味になります。

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次に、「獲信見敬大慶喜」の「大慶喜」という言葉ですが、書き下すと「大きに慶喜(きょうき)すれば」となります。

親鸞聖人は『唯信鈔文意』という書物にて、「信心をうるを慶喜といふなり」と示されています。

「慶喜」とは、よろこぶ心のことですが、そのよろこぶ心は、信心をいただいたところにあらわれてくるものであるということが、この言葉から分かります。

また『唯信鈔文意』には、続いてこのようにも示されています。

「慶(きょう)はよろこぶといふ、信心をえてのちによろこぶなり。喜はこころのうちによろこぶこころたえずしてつねなるをいふ。うべきことをえてのちに、身にもこころにもよろこぶこころなり」

(『唯信鈔文意』/親鸞聖人)

慶喜の慶とは、よろこぶということで、信心をいただいたのちのよろこびのことをいうとあります。

先ほどの解釈と同じ内容が示されていますね。

また、慶喜の喜とは、心のうちによろこびが絶えることがなく、いつもあることをいうとあります。

そして慶喜とは、えるべきことをえてのちに、身にも心にもよろこぶこころであると示されています。

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つまり、阿弥陀仏の救いを信じ、その救いの手の中にあることや、阿弥陀仏の浄土に往き生まれていくことをよろこび、安心している状態のことを慶喜というと示されています。

「正信偈」では、「大慶喜」という言葉の前に「獲信」とあります。

阿弥陀仏の救いを信じる心をいただく、それが「獲信」でした。

そして、そののちにおこってくるよろこびの心が「大慶喜」です。

そのように、「正信偈」では「獲信」から「大慶喜」という順番で示されていることが分かります。

そうしたところまで、親鸞聖人は意識をして「正信偈」をつくられたのではないかと感じます。

ちなみに書き下し文では、「大きに慶喜(きょうき)すれば」とあるように、「大慶喜」は直訳すれば「大いによろこべば」となります。

阿弥陀仏の救いを信じ、その救いの手の中にあることや、阿弥陀仏の浄土に往き生まれていくことを大いによろこぶということです。

ただし、この「大」という言葉は、「阿弥陀仏のもの」であり、「阿弥陀仏からいただいたもの」という意味合いがあります。

親鸞聖人は、「大信心」や「大菩提心」「大行」というように、「大」という言葉を使われる時に、それは阿弥陀仏のものであり、阿弥陀仏からいただいたものであるという意味合いで使われている箇所があります。

ここの「大慶喜」もそうで、よろこぶ心もまた、阿弥陀仏からいただいたもの、阿弥陀仏から恵まれたものであるという意味合いが込められているとみてよいでしょう。

先ほど、「信心をうるを慶喜といふなり」という言葉も紹介しました。

「慶喜」とは、阿弥陀仏の救いを信じる信心をいただいたところにあらわれてくるよろこびの心であるということが、この言葉からも分かります。

そして、「大慶喜」というように「大」がついているところからも、「慶喜」というよろこびの心は、阿弥陀仏からいただいたもの、阿弥陀仏から恵まれたものであるということが分かります。

また、「正信偈」の草稿本では、「獲信見敬大慶喜」の部分が、「獲信見敬大慶人」となっています。

「大慶喜」の部分が、「大慶人」となっているのですね。

「正信偈」は、七言一句(しちごんいっく)といって、七文字で一句となっています。

親鸞聖人は、その文字数の制限の中で、音の響きや意味など、色々なことを考えながら一文字一文字を選ばれています。

「正信偈」をつくる過程で、「大慶喜」としようか、あるいは「大慶人」としようかと、随分と思案されていたことが伺えます。

おそらく、「大慶喜」には「大慶喜人」というように、「阿弥陀仏の救いを大いによろこぶ人」という意味合いが込められているのだろうと思われます。

そこで、「獲信見敬大慶喜」を、「阿弥陀仏の救いを信じ、その教えを聞いて大いに喜ぶ人は」というように、「人」という意味合いを加えて訳しました。

いかがだったでしょうか。

今回は、「獲信見敬大慶喜」という言葉の意味について、みていきました。

こうしてみていくと、「正信偈」の一文字一文字に、大変深い意味が込められているということを感じます。

皆様はいかが感じられたでしょうか。

最後に今一度、「正信偈」の本文、書き下し文、意訳を見てみましょう。宜しい方は、ご一緒ください。まずは、本文からです。

獲信見敬大慶喜 即横超截五悪趣
(ぎゃくしんけんきょうだいきょうき そくおうちょうぜつごあくしゅ)

次に、書き下し文です。

信を獲て見て敬ひ大きに慶喜(きょうき)すれば、すなはち横(おう)に五悪趣(ごあくしゅ)を超截(ちょうぜつ)す。

最後に、意訳です。

阿弥陀仏の救いを信じ、その教えを聞いて大いに喜ぶ人は、煩悩を抱えたままでも、阿弥陀仏のはたらきによってすぐさま迷いの道を断ち超え、さとりへの道を歩ませていただくのです。

「正信偈を学ぶ」の次回は、続きの「即横超截五悪趣」の部分をみていこうと思います。


合掌
福岡県糟屋郡 信行寺(浄土真宗本願寺派)
神崎修生

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◇参照文献:
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