【正信偈を学ぶ】第48回_摂取心光常照護~雲霧之下明無闇_無明の闇が破られる

「正信偈を学ぶ」シリーズでは、浄土真宗の宗祖である親鸞聖人が記された「正信念仏偈」について、皆様とその内容を味わっています。

前回より、「摂取心光常照護」から「雲霧之下明無闇」までの六つ句についてみております。

この六つの句は、それより四つ前にある「能発一念喜愛心」(のうほついちねんきあいしん)という言葉を受けています。

「能発一念喜愛心」とは、「阿弥陀仏の救いを信じ喜ぶ心をいただくと」という意味の言葉でした。

この「阿弥陀仏の救いを信じ喜ぶ心」とは、浄土真宗における「信心」のことです。

そして、この「能発一念喜愛心」という句以降に、「では、信心をいただくとどうなるのか」ということが示されています。

つまり、「能発一念喜愛心」という句以降には、「信心の利益」が示されているのですね。

「信心の利益」というと難しく聞こえますが、「信心をいただくとどうなるのか」「お念仏の教えを聞いていくとどうなるのか」ということが記されているということです。

そして、前回からみている「摂取心光常照護」から「雲霧之下明無闇」までの六つ句にも、「信心の利益」が示されています。

それがどういう利益かというと、「阿弥陀仏の光に常に照らされ護られる」という利益でした。

つまり、お念仏の教えを聞き喜んでいくと、「阿弥陀仏の光に常に照らされ護られる」という利益があるということですね。

それが特に、「摂取心光常照護」という言葉に示されています。

阿弥陀仏の救いを信じ喜ぶ人は、摂め取って捨てないという阿弥陀仏の光に、常に照らされ、護られるということですね。

では、「阿弥陀仏の光に常に照らされ護られる」とは、どういうことでしょうか。

それが、その後に示されている「無明の闇が破られる」ということでもあります。

今回は、「已能雖破無明闇」という言葉の意味をみていき、「無明の闇が破られる」ということについて、ご一緒に味わっていきたいと思います。

▼この内容は動画でもご覧いただけます。

◆「正信偈」の偈文

ではまず、今回見ていく「正信偈」の本文、書き下し文、意訳を見ていきましょう。宜しい方は、ご一緒ください。まずは、本文からです。

摂取心光常照護 已能雖破無明闇
(せっしゅしんこうじょうしょうご いのうすいはむみょうあん)
貪愛瞋憎之雲霧 常覆真実信心天
(とんないしんぞうしうんむ じょうふしんじつしんじんてん)
譬如日光覆雲霧 雲霧之下明無闇
(ひにょにっこうふうんむ うんむしげみょうむあん)

次に、書き下し文です。

摂取の心光(しんこう)、つねに照護(しょうご)したまふ。すでによく無明(むみょう)の闇(あん)を破(は)すといへども、貪愛(とんない)・瞋憎(しんぞう)の雲霧(うんむ)、つねに真実信心の天に覆へり。たとへば日光の雲霧に覆はるれども、雲霧の下あきらかにして闇(やみ)なきがごとし。

次に、意訳です。

阿弥陀仏の光は、阿弥陀仏の救いを信じ喜ぶ人を摂め取って捨てず、常に照らし護ってくださいます。すでに疑いの闇ははれて、阿弥陀仏の救いを信じ喜ぶ心をいただいていても、貪りとらわれの心や、怒り憎しみの心といった煩悩の雲や霧が、いつもその真実の信心の空を覆っています。しかし、たとえ空が雲や霧に覆われていても、太陽が出ていればその下は明るく、闇ではないのと同じようなものです。

◆無明の闇とは

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では、「已能雖破無明闇」(いのうすいはむみょうあん)という一文をご覧ください。

ここに、「無明闇」「無明の闇」という言葉がありますね。

「無明」とは、「明るくない」と書かれています。

これは、「真理に暗い」「物事の道理が分っていない」という意味の言葉です。

そういう状態を闇にたとえ、「無明闇」「無明の闇」と記されています。

私たちの心身を悩み煩わせるものを、仏教では「煩悩」と言います。

その「煩悩」の中でも根本的で、「根源的な迷い」とされるのが「無明」です。

そのため「無明」は、「三毒の煩悩」という煩悩の代表的なもののうちの一つとされています。

ここまでの説明は、「無明」という言葉についての仏教全般的な解釈です。

浄土真宗においては、「無明」という言葉について、浄土真宗ならでは意味合いがあります。

では、浄土真宗において、「無明」という言葉にはどのような意味があるのでしょうか。

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浄土真宗において「無明」とは、「阿弥陀仏の救いを信じられない状態」「お念仏の教えに対して疑いを持ってしまう状態」を言います。

これらをもう少し分かりやすい言葉で言い換えると、「お念仏の教え、仏様の願いに背いた生き方やあり方をしている状態」と言えます。

浄土真宗で大切にされているお経の中には、教えが記されています。

その教えを、浄土真宗の教えとか、お念仏の教えと言います。

そこには、「あなたがこの教えに遇ったならば、このように生きてほしい」という願いが記されています。

それが、阿弥陀仏という仏様の願いとして記されています。

そういうお念仏の教え、仏様の願いが、お経には記されているのですね。

そして、そうした「お念仏の教え、仏様の願いに背いた生き方やあり方をしている状態」を、浄土真宗においては「無明」と言います。

◆無明の闇が破られる

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「已能雖破無明闇」という言葉の書き下し文をみてみましょう。

「すでによく無明(むみょう)の闇(あん)を破(は)すといへども」とあります。

ここには、「すでによく無明の闇が破られている」と記されています。

今みてきたように、浄土真宗において「無明」という言葉がどういう意味だったかというと、「阿弥陀仏の救いを信じられない状態」「お念仏の教えに対して疑いを持ってしまう状態」を言いました。

ですので、「無明の闇が破られている」とはどういう状態かというと、「阿弥陀仏の救いやお念仏の教えに対して、疑いなく信じている状態」ということになります。

そのため、この部分の意訳では、「すでに疑いの闇ははれて、阿弥陀仏の救いを信じ喜ぶ心をいただいていても」と訳しました。

「無明の闇が破られた状態」や「阿弥陀仏の救いやお念仏の教えに対して、疑いなく信じている状態」とはどういう状態かということを、もう少し私たちに分かりやすい言葉で言うとどうなるでしょうか。

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それは、「お念仏の教えを聞いてありがたいと思ったり、そうだと深く頷く心が育まれること」と言えば、分かりやすいでしょうか。

お念仏の教え、仏様の願いとはどういうものかを聞かせていただき、それを受け止め、頷いていく心をいただいていく。

そういう心を信心と言いますが、お念仏の教えを聞く中で、そうした心をいただき、育まれていくということがあります。

そして、「お念仏の教えを聞くことを通して、自らの生き方やあり方が、お念仏の教えや仏様の願いに背いたものとなっていないかと、自らの言動を顧みる心が育まれる」ということがあります。

こうした状態を、「無明の闇が破られた状態」と言っているのでしょうね。

私たちが日々を生きていく上で、依りどころとなり、規範となるもの。それが教えです。

そうした教えをいただいて、自らの生きる依りどころや規範とさせていただく。

そのことを、「阿弥陀仏の光に常に照らされ護られる」とも表現され、またその光によって、「無明の闇が破られる」とも表現されています。

◆仏様の願いに背いてしまう我々

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さて、「お念仏の教え、仏様の願いに背いた生き方やあり方をしている状態」を、浄土真宗においては「無明」と言いました。

そうした「無明の闇」が、「お念仏の教え、仏様の願いを聞いていく中で破られていく」ということが、「已能雖破無明闇」という言葉には示されています。

しかし、お念仏の教え、仏様の願いを聞かせていただきながらも、私たちは教えや願いにかなった生き方ができているでしょうか。

中々そうできていないということがあるのではないでしょうか。

そのことが、「雖も」(いえども)という言葉で、ここに表現されているように思います。

今一度書き下し文をみると、「すでによく無明(むみょう)の闇(あん)を破(は)すといへども」となっています。

書き下し文の最後に、「雖も」(いえども)という言葉がありますね。

この言葉は、「だけれども」とか、「だとしても」という意味の言葉です。

ですので、「已能雖破無明闇」は、「すでによく無明の闇が破られたけれども」という意味になります。

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つまり、お念仏の教えに出遇い、仏様の願いを聞かせていただきながらも、中々、教えや願いにかなった生き方ができていない。

日々を生きていく上で依りどころとなり、規範となるものをいただきながらも、お念仏の教え、仏様の願いに背いた生き方、あり方となってしまう。

そうした意味合いが、「雖も」という言葉に含まれているように思われます。

では、お念仏の教えや仏様の願いに背いた生き方、あり方とは、具体的にどういうことを言うのでしょうか。

「無明」という言葉自体に、「お念仏の教えや仏様の願いに背いた生き方、あり方」という意味がありました。

そして、「正信偈」の続きには、「貪愛」(とんない)と「瞋憎」(しんぞう)という言葉が出てきます。

「貪愛」とは貪りや執着のことで、「瞋憎」とは怒りや憎しみのことです。

この「貪愛」「瞋憎」も、お念仏の教えや仏様の願いに背いた生き方、あり方です。

そのあたりについて、次回もう少し詳しくみていきましょう。


合掌
福岡県糟屋郡 信行寺(浄土真宗本願寺派)
神崎修生

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