【一口法話】仏様の慈悲に支えられて

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◆小さないのちのドア

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助産師で永原郁子さんという方がおられます。

永原さんは、30年ほど助産師として、多くのお子さんの出産に立ち会ってこられました。

助産師をする中で、妊娠や育児によって追い詰められている女性がいることに気付かされたと言います。

例えば、パートナーの暴力によって、身の危険を感じている女性。
思いがけない妊娠をして、親にも言えない女性。
家庭が崩壊していて、帰る家がない女性。
仕事を失い、住む場所がない女性。

こうした様々な状況で、妊娠や育児によって追い詰められている女性がいることに、永原さんは気付かされたと言います。

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永原さんは、そのような妊娠や育児によって追い詰められた女性が、インターネットや電話で相談できたり、直接駆けこめる相談窓口を開設されています。

神戸市の「小さないのちのドア」という場所で、保育士や助産師など専門家の方が常駐し、24時間相談にあたっておられます。

▼小さないのちのドア

「小さないのちのドア」には、コロナ禍以降、1日に70件、1カ月で2,200件ほどの相談があるそうです。

それほど多くの方が、妊娠や育児によって追い詰められ、誰にも相談できないような状態にあると言います。

NHKの「こころの時代」という番組で、永原さんの密着取材があり、私もこうした状況を知りました。

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「小さないのちのドア」では、追い詰められた女性のサポートと、赤ちゃんのいのちを守る取り組みをされています。

相談に来られた一人の女性は、誰にも相談ができずに思い悩み、「小さないのちのドア」をくぐったそうです。

そして、赤ちゃんを出産し、永原さんたちのサポートを受けながら、これからどうしていくかについて考えておられました。

その女性は、「永原さんたちは、私とこの子(赤ちゃん)のいのちの恩人です」と語っておられました。

思いがけない妊娠で、誰にもたよることができず、不安と苦しみの中で相談をされる方。

自分のお腹の中に、新たないのちが宿ったという事実に、困惑や驚きと共に、粗雑に扱うことはできないという思いになる方もおられることでしょう。

追い詰められた女性が「小さないのちのドア」をぐぐって来られた時、永原さんはこのように声をかけるそうです。

「来てくださってありがとうございます。赤ちゃんのいのちを一緒に守りましょう」

◆信仰によって支えられる

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そんな永原さんでも、自分自身にできることには限界があると感じられることも多いそうです。

しかし、永原さんはキリスト教の深い信仰によって支えられているといいます。

永原さんは、過去にパートナーとうまくいかず、二人の子どもおいて、家を出ないといけない状況にまで追い詰められたそうです。

そして、実際に家を出るわけですが、キリスト教の教会とご縁ができ、永原さんはキリスト教を深く信仰するようになります。

キリスト教の信仰によって支えられてきた。

そうした思いや経験が、永原さんにはあられるのですね。

その後、パートナーの方とは離婚されますが、お子さんとは関係を取り戻されます。

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自分にできることには限りがあるけれども、愛や温もりを必要としている方に、自分を通して、神様の愛が注ぎ込まれていってほしい。

永原さんは、そんな思いで活動されていると言います。

永原さんたちの活動は、出産のサポートや、しかも追い詰められた方の相談にのることですから、難しいことも多々あることは容易に想像できます。

相談に来られたある女性は、何を話しても、何を聞いても、まったく無表情で、固い表情を変えることがなかったそうです。

おそらく、とても辛いご経験をされて、感情が表に出せなくなってしまったのではないかと思われます。

たとえ無表情であっても、その方は優しさや温もりを、誰よりも必要としているのかもしれません。

自分にできることには限りがあるけれども、愛や温もりを必要としている方に、自分を通して、神様の愛が注ぎ込まれていってほしい。

永原さんは、そんな思いで活動されていると言います。

◆仏様の慈悲に支えられて

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仏教では、他者を思いやり、慈しむ心のことを、慈悲と言います。

そして、大きな慈悲の心をもった方が、阿弥陀仏という仏様だと言われます。

阿弥陀仏の願いは、「迷い苦しむ全てのものを救いたい」という願いです。

迷いや苦しみの中にある人に思いを寄せ、慈しむ心の象徴が、阿弥陀仏という仏様なのですね。

そして、阿弥陀仏の慈悲の心に触れ、その温もりをいただいていくことを、浄土真宗では信心と言います。

人は、慈しみや温もりを感じることで、安心の中に生きていけることがあります。

慈しみや温もりによって支えられることがあります。

親鸞聖人のつくられた和讃といううたには、このような言葉があります。

十方微塵(みじん)世界の 念仏の衆生(しゅじょう)をみそなはし
摂取してすてざれば 阿弥陀となづけたてまつる

仏の救いを依りどころとし、南無阿弥陀仏と念仏をとなえるあらゆるものを、阿弥陀仏は摂めとってすてることがありません。そのため、無量のいのちと光をもった仏となづけられるのです。

(『浄土和讃』/親鸞聖人)

阿弥陀仏の阿弥陀という言葉には、無量のいのちと光をもった仏という意味があります。

無量のいのちとは、阿弥陀仏が迷い苦しむものにずっと思いをかけていることを表し、無量の光とは、その方々を光で照らしていることを表しています。

「迷い苦しむ全てのものを救いたい」という大きな慈悲の心をもった方が阿弥陀仏です。

阿弥陀仏とは、そういう摂めとってすてることのない仏様であるから、どうか心の依りどころとしてほしい。心のたよりとしてほしい。

この和讃からは、そのような親鸞聖人の思いが伝わってきます。

また、同じく親鸞聖人の和讃には、このような言葉があります。

弥陀の本願信ずべし 本願信ずるひとはみな
摂取不捨の利益にて 無上覚をばさとるなり

「迷い苦しむ全てのものを救う」という阿弥陀仏の願いを信じてください。阿弥陀仏の願いを信じる人はみな、摂めとってすてないという阿弥陀仏の利益によって、この上ない安らかなさとりをひらくのです。

(『正像末和讃』/親鸞聖人)

「迷い苦しむ全てのものを救う」という阿弥陀仏の願いを信じることを、浄土真宗では信心と言います。

それは、阿弥陀仏の慈悲の心に触れ、その温もりをいただいていくことです。

私たちは、慈しみや温もりを感じることで、安心の中に生きていけることがあります。

慈しみや温もりによって支えられることがあります。

どうか、阿弥陀仏の願いを信じてほしい。心の依りどころとし、たよりとしてほしい。

この和讃からも、親鸞聖人のそのような思いが伝わってきます。

そして、慈しみや温もりによって支えられたならば、その喜びを他の人にも伝えていこうとすることがあります。

私たちは、自分自身にできることには限りがあるかもしれません。

しかし、仏様の慈悲に支えられて、その仏様の慈悲を必要とする方に届けていくことはできるかもしれません。

キリスト教と仏教で違いはありますが、永原さんのお話を聞きながら、そんなことを感じました。

いかがだったでしょうか。

今回は、「仏様の慈悲に支えられて」というテーマでお話をさせていただきました。

皆様はどんなことを感じられたでしょうか。

是非、ご感想などもお聞かせください。


合掌
福岡県糟屋郡 信行寺(浄土真宗本願寺派)
神崎修生

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