仏教講座_浄土真宗【正信偈を学ぶ】第7回_阿弥陀仏とお釈迦様の関係性

浄土真宗でよくおとなえされる「正信偈念仏偈」(しょうしんねんぶつげ/正信偈)は、浄土真宗の宗祖である親鸞聖人(しんらんしょうにん)がおつくりになった偈(うた)です。この【正信偈を学ぶ】シリーズでは、「正信偈」の内容について、できるだけ分かりやすく味わってまいります。

今回は、阿弥陀仏とお釈迦様の関係性について見ていきます。

(この内容は、2021年5月26日におこなわれた「オンラインお寺参り」のものです)

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皆様、信行寺の「オンラインお寺参り」に、本日もようこそお参りくださいました。「オンラインお寺参り」では、浄土真宗でよくおとなえされる「正信偈」(しょうしんげ)の内容について、できるだけ分かりやすく味わってまいります。題して、【正信偈を学ぶ】シリーズ、第7回です。

「正信偈」とは、正式には「正信念仏偈」(しょうしんねんぶつげ)と言い、浄土真宗の宗祖である親鸞聖人(しんらんしょうにん)がおつくりになった偈(うた)です。「正信偈」には、親鸞聖人自身が、阿弥陀仏という仏様に救われた喜びから、阿弥陀仏のお徳を讃えておられます。

◆『仏説無量寿経』から見る法蔵菩薩の物語

前回は、正信偈の依経段(えきょうだん)と言われる部分の、「法蔵菩薩因位時」からその内容を見てきました。今回は、前回の内容を頭に入れてから進めたほうが理解しやすいかと思いますので、まず簡単に、前回の内容を振り返ってみます。

依経段とは、「正信偈」の前半部分で、浄土真宗の根本のお経である『仏説無量寿経』というお経に依って説かれている部分になります。『仏説無量寿経』の内容を見ていくことで、「正信偈」の依経段の内容を、より詳しく味わうことができます。前回みた『仏説無量寿経』には、このような内容が説かれていました。

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ある時一人の国王がおり、世自在王仏という仏様の説法を聞いて深く喜び、さとりを求める心を起こします。そして、国王でありながら、国も王の位も捨て、出家して修行者となられます。その方が、法蔵という名前を名乗ったということが、『仏説無量寿経』に書いてあります。この法蔵という菩薩が、後の阿弥陀仏という仏様です。

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阿弥陀仏とは、浄土真宗でご本尊として敬っている仏様です。浄土真宗のお寺では、本堂の中央にご安置されているのが阿弥陀仏です。浄土真宗のご家庭のお仏壇も、中央には阿弥陀仏という仏様がご安置されています。このように、浄土真宗でご本尊として敬っている仏様が阿弥陀仏です。

その阿弥陀仏が、阿弥陀仏という仏様になる前の法蔵菩薩の時の物語が、『仏説無量寿経』に説いてあり、今お話しているところの内容になります。後の阿弥陀仏である法蔵菩薩は、出家をして、師となる世自在王仏という仏様に、このように訴えかけられます。

「どうか私のために広く教えをお説きください。その教えにしたがって修行し、素晴らしい国土を整え、人々の迷いや苦しみを取り除きたいのです」。

このように法蔵菩薩は、世自在王仏に教えを請われるんですね。そこで世自在王仏は、法蔵菩薩のために、さまざまな仏がたの国土の優劣や、その国土に住む人々の善悪を説き、法蔵菩薩にまのあたりにお見せになります。そして法蔵菩薩は、修行の後、すぐれた仏の国である浄土を建て、全てのものを救うという願いと、その救済法を確立していくことになります。

ここまでの内容が、前回お話した内容になります。親鸞聖人がおつくりになった「正信偈」の冒頭は、このような『仏説無量寿経』の内容に基づいた法蔵菩薩の物語から始まっていきます。

◆本日の偈文(げもん)

ではここで、「正信偈」の本文、書き下し文、意訳を味わってみましょう。今言った内容が、「正信偈」に書いてあります。宜しい方は、口に出してご一緒にお読みください。

【本文】
法蔵菩薩因位時 在世自在王仏所
(ほうぞうぼさついんにじ ざいせじざいおうぶっしょ)
覩見諸仏浄土因 国土人天之善悪
(とけんしょぶつじょうどいん こくどにんでんしぜんまく)

次に書き下し文です。

【書き下し文】
法蔵菩薩の因位(いんに)の時、世自在王仏の所(みもと)にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天(にんでん)の善悪を覩見(とけん)して、

次に意訳です。

【意訳】
はるか昔、ある国王が、世自在王仏という仏の説法を聞いて感激し、自らもさとりを求める心をおこし、王の位を捨て出家し、法蔵という名の菩薩となられました。
後の阿弥陀仏である法蔵菩薩は、世自在王仏のもとでの修行中、様々な仏の浄土が建てられた理由を学び、浄土や、浄土におられる人間や神々の善し悪しをご覧になりました。

今読んだのは、「正信偈」の依経段の最初の部分になります。「正信偈」の依経段は、『仏説無量寿経』というお経の内容にもとづき、親鸞聖人がつくられた部分です。意訳を読むと、先程お話した内容が記されていることがお分かりいただけるかと思います。

◆阿弥陀仏とお釈迦様との関係性

さて、ここまで見てきたように、法蔵菩薩の物語の内容自体は、それほど難しいものではありません。しかし、この物語をどう受け取っていったらいいのかや、この物語が何を伝えたいのかを理解するのが難しいということがあります。

阿弥陀仏とは実在した人物なのだろうかとか、阿弥陀仏とお釈迦様とは違うのだろうかとか。色々と疑問もうまれてくるのではないでしょうか。今回はまず、阿弥陀仏とお釈迦様との関係性について、お話したいと思います。

日本に伝わっている仏教の多くは、大乗仏教と言われる種類の仏教になります。その大乗仏教では、諸仏(しょぶつ)といって、仏様は数多く存在していると考えます。阿弥陀仏も、お釈迦様も、その諸仏の中のいち仏様で、それぞれ違う仏様になります。

お釈迦様についてお話すると、お釈迦様は約2500年前に、今のインドやネパールを中心に活動した実在の人物と言われています。お釈迦様は、釈迦族という一族の王子として生まれ、幼少期、青年期を過ごしますが、戦乱の世の中で人の生き死にを見たり、人々が飢え、病になり、亡くなっていく様子などを見て、世の無常を感じ、29歳の時、出家をされたと言います。そして、6年の修行の後、35歳の時に、さとりをひらいたと言われています。その後、80歳のご生涯を通して各地を回り、人々の苦悩に応じてご説法をなさいました。

お釈迦様ご入滅の後、お釈迦様を慕う方々が、お釈迦様の説法の内容をまとめていきます。それが、現在に伝わるお経です。お経とは、お釈迦様の説法をまとめたものです。

浄土真宗で根本のお経である『仏説無量寿経』も、仏説とあるように、お釈迦様が説かれたとされています。仏説とは、お釈迦様という仏様が説かれたという意味です。

また、『仏説無量寿経』の冒頭を見てみると、「我聞如是(がもんにょぜ)」という言葉から始まります。「我聞如是」という言葉は、「私は、お釈迦様の説法をこのように聞きました」という言葉です。「『仏説無量寿経』の内容は、お釈迦様が説かれたものですよ」ということを表した言葉が、「我聞如是」という言葉になります。色々なお経の冒頭に「我聞如是」とか「如是我聞(にょぜがもん)」と記されおり、「このお経はお釈迦様が説かれたものですよ」と表現されています。

このように、お経とはお釈迦様が説かれた説法ですが、そのお経の中に、阿弥陀仏という仏様の救いについて説かれるお経があります。つまり、阿弥陀仏とは、お釈迦様が説かれた説法の中、お経の中に出てくる仏様ということになります。

日本に伝わる大乗仏教のお経の中には、諸仏と言われるように、多くの仏様が出てきますが、その中のいち仏様が阿弥陀仏ということになります。ですから、阿弥陀仏とお釈迦様とは、違う仏様であるということになります。ここまで、阿弥陀仏とお釈迦様の関係性についてお話してきましたが、お分かりいただけたでしょうか。

◆仏教の変化・発展

さて、お経について補足しておくと、大乗仏教のお経は、お釈迦様がご入滅されて数百年後に編纂されているものが多いと言われます。そして史実上は、大乗仏教のお経の多くは、お釈迦様が直接説いたものではないとされています。

仏教は、その時代、その土地に生きる人々が大切にしているものと結びつきながら、変化、発展してきた歴史があります。時代や国によって、人々が求めるものには違いがあります。それをくみ取りながら、仏教が変化、発展してきた歴史と、その変化が許容されてきた歴史があります。

その仏教が様々に変化、発展してきたものが、宗派とも言えるかと思います。お釈迦様はきっと、こういうことが説かれたかったことではないか。お釈迦様の真意はここにあったのではないか。これこそ、今の時代、この国に生きる我々が救われていく道ではないか。そのように先人が考え、仏教が変化、発展をしてきました。

たとえ、宗派が違えども同じ仏教であり、同じさとりという山の頂上を目指している。宗派の違いは、さとりに至る道の違いや、方法の違いのようなものであるとする解釈があります。

大乗仏教の経典は、史実上は、お釈迦様が直接説かれた内容ではないかもしれない。けれども、その時代、その土地に生きる人々が大切にしているものと結びつきながら、仏教が変化、発展してきた歴史と、その変化が許容されてきた歴史があり、こんにちを迎えています。そのような考え方があることも、一応補足しておきます。

「正信偈を学ぶ」。今回はこのあたりに致しまして、次回は、阿弥陀仏という仏様はどういう仏様なのか。特に、親鸞聖人のもつ阿弥陀仏観をご紹介させていただこうと思います。

◆本日の偈文(げもん)

では最後に今一度、「正信偈」の本文、書き下し文、意訳を味わってみましょう。宜しい方は、口に出してご一緒にお読みください。

【本文】
法蔵菩薩因位時 在世自在王仏所
(ほうぞうぼさついんにじ ざいせじざいおうぶっしょ)
覩見諸仏浄土因 国土人天之善悪
(とけんしょぶつじょうどいん こくどにんでんしぜんまく)

次に書き下し文です。

【書き下し文】
法蔵菩薩の因位(いんに)の時、世自在王仏の所(みもと)にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天(にんでん)の善悪を覩見(とけん)して、

次に意訳です。

【意訳】
はるか昔、ある国王が、世自在王仏という仏の説法を聞いて感激し、自らもさとりを求める心をおこし、王の位を捨て出家し、法蔵という名の菩薩となられました。
後の阿弥陀仏である法蔵菩薩は、世自在王仏のもとでの修行中、様々な仏の浄土が建てられた理由を学び、浄土や、浄土におられる人間や神々の善し悪しをご覧になりました。

(動画には、オンラインお寺参りのご参加者との質疑応答あります)

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最後までご覧いただきありがとうございます。合掌
福岡県糟屋郡宇美町 信行寺(浄土真宗本願寺派)
神崎修生

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