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◆人に迷惑をかけたくない

先日、お寺に来られたご年配の方が、ふとこんなことをおっしゃいました。
「子どもに迷惑をかけたくないんです。できるだけ自分のことは自分でやりたいんですよね」
年を重ねるにつれ、病気をしたり、体調の変化を感じたりして、そういう思いになられる方も多いのではないでしょうか。
「子どもや人に迷惑をかけたくない」という言葉は、相手のことを大切に思うからこそ出る言葉かもしれませんね。
そして、「できるだけ自分のことは自分でやりたい」という言葉には、これまでたくさんの苦労を乗り越えて、歩んでこられたことを感じます。

ただ、歳を重ねると、どうしても自分の力だけでは難しいことも増えてきますよね。
そんな時に、「人に迷惑をかけてはいけない」と思いすぎてしまうと、誰にも頼れず、苦しみを一人で抱えてしまうこともあります。
そして、「自分には生きる価値がない」と思うようになったり、場合によっては自ら死を選ぶということにもつながります。
「人に迷惑をかけたくない」という言葉は、「人に頼ることはいけないことだ」という意識を植え付け、自分や他者を追い込んでしまう可能性があります。
だからこそ、時には人に頼ることも大事なことかもしれません。
◆人生に対して頷ける生き方

「人に迷惑や負担をかけたくない」という言葉は、それを繰り返して使ううちに、「自分は迷惑で負担な存在だ」と受け止めることにもつながります。
どれだけ年齢を重ねて、自分でできることが少なくなったとしても、「私は迷惑で負担な存在だ」と思いながら生きるのは、あまりに切ないことではないでしょうか。
生きること、生活をすることは決して楽なことばかりではありません。
どなたも、苦しいことや悲しいことも経験されながら、ここまで生きてこられたのではないでしょうか。
僧侶として、様々な方のご葬儀をお勤めさせていただいていますが、誰とも代わることのできない人生を、どなたも懸命に生きてこられたことを感じます。
そうであるならば、自分の人生に対して尊厳をもって生きても良いのではないでしょうか。
誰もが、自分のことを自分でできなくなる時があります。
生まれたばかりの赤ちゃんもそうですし、年齢を重ねてもそうなるのはごく自然なことです。
病気や事故の影響でそうなることもありますし、生まれつき障がいのある方もおられます。
そうした状況の中でも、「生きてきて良かった」と自分の人生に対して頷け、尊厳をもった生き方ができる社会であると良いなと思います。
皆様は、どう感じられるでしょうか。
◆言葉は次世代に伝わる

また、親の言葉や生き様は、子どもや孫に伝わっていくものです。
「人に迷惑をかけたくない」という思いは、次世代にどのように伝わっていくでしょうか。
子や孫が歳を重ねた時に、「人に迷惑や負担をかけないように」と生きようとするかもしれません。
「自分は迷惑で負担な存在だ」と思いながら生きることになるかもしれません。
はたして、大切な人にそんなふうに生きてほしいでしょうか。
決してそうは思っていないですよね。

「人に迷惑をかけたくない」という言葉の中には、金銭的なものや、介護や亡くなった後のことなど、様々なことが含まれます。
そうしたことを、自分のできる範囲で準備し、整理しておくことは大切ですね。
信行寺でも、「終活講座」を開催して、皆様と一緒に考える場をつくっています。
ただ、「人に迷惑をかけたくない」という言葉が、「人に頼ることは良くないことだ」という思いにつながり、自分自身や周りの人を追い込んでしまうことがあります。
その点には、注意したいところです。
◆人生を問い直す縁

人に迷惑をかけないとする生き方が、自分自身や周りの人を追い込んでしまうことについて、考えさせられる出来事があります。
以前もご紹介をしたことがありますが、作家の高史明(こさみょん)さんという方がおられます。
高さんは、2023年に91歳でご往生されました。
高さんには、正史(まさふみ)さんという一人息子さんがおられました。

その正史さんが中学生になった時に、高さんは三つのことを伝えたそうです。
一つ目は、今日から君は中学生になるんだから、自分のことは自分で責任を取りなさいということ。
二つ目は、他人に迷惑をかけるなということ。
三つめは、自分のことが自分で責任を取れて、他人に迷惑をかけなければ、お父さんは君に何も言わない。自分の人生だから、自分の責任で生きていきなさい。
そういうことを、高さんは息子の正史さんが中学生になった時に伝えたそうです。
しかしその後、正史さんは自らいのちを断ちます。自死をなさるのですね。
高さんは、自ら送った言葉が息子を死に追いやったのではないかと、後ほど振り返ってみて思うようになったと言います。
自分のことは自分で責任を取る。他人に迷惑をかけない。
そのことは、高さん自身のそれまでの生き様であり、人生で大切だと思ったことだったそうなのですね。
だからこそ、そのことを大切な一人息子が中学生という大人の階段にさしかかった時に伝えたそうなのですね。
しかし、その最愛の息子さんは自死をされます。
高さんにとって正史さんの死は、「これまでの自分の生き方や考え方は、本当に正しかったのだろうか」と問い直させられるような出来事だったと言います。
高さんは晩年に、インタビュアーからこのような質問をされていました。
「正史さんに対して、本当はどのような言葉をかけてあげると良かったと思われますか」。
そういう質問に対して、高さんはこのように答えておられました。
「自分のことは自分で責任を取れという前に、ここまでくるのにどれだけの人のはたらきを頂戴したか。どれだけの生き物のいのちを頂戴したか。他人に迷惑をかけないということよりも、他人のおかげというものが先にあるんだ。そのことが分かってはじめて、他人と一緒に生きられる私になれるんだ。そうなった時に、本物の人生が始まるんだ」
「息子が中学生になった時に、私はそう言うべきだったんですね」と、高さんはおっしゃっていました。
◆おかげさまで生きている

浄土真宗では、阿弥陀仏という仏様をご本尊として敬っています。
その阿弥陀仏は、別名「無量寿仏」とも言います。
「無量寿仏」とは、「はかることのできないいのちをもった仏」という意味です。
「はかることができないいのち」とは、あらゆるいのちをつながったものとしてとらえていくような、いのちの無限の広がりを表しています。
私たちは本来、互いに支え支えられながら、多くのおかげさまをいただいて生きています。
誰のお世話にもならずに生きてきた人はいません。
お念仏の教えを聞く中で、そうしたことに改めて気付かされます。
高さんもまた、真史さんとの死別を通じてお念仏の教えに出遇い、「おかげさまで生きている」ことに気付かされた方だと思います。

自立とは本来、自分の力だけで生きようとすることではなく、互いに支え合いながら、その人がその人らしく生きていくことを言うのではないでしょうか。
そして、自分のことが自分でできなくなってきた時にこそ、「人に迷惑をかけないように」と思わずに、周囲の人にも頼りながら生きていく生き方に転換する時ではないでしょうか。
これまで大切にしてきた考え方を、急に変えるのは難しいことかもしれません。
ですから、まずは使う言葉から変えてみてはいかがでしょうか。

「迷惑をかけたくない」ではなく、「助けてくれてありがとう」や「おかげさまで」という言葉を使ってみませんか。
多くのいのちと多くの方に支えられて今がある。そのことに感謝をし、忘れない。
そうした生き方や心を、自らも大切にし、次世代に伝えていくことが大事なことであると、お念仏の教えに照らされて思うことです。
◆
いかがだったでしょうか。
今回は、「人に迷惑をかけたくないと思う方へ」というテーマでお話をさせていただきました。
皆様はどんなことを感じられたでしょうか。
是非、ご感想などもお聞かせください。
合掌
福岡県糟屋郡 信行寺(浄土真宗本願寺派)
神崎修生
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