【基礎から学ぶ浄土真宗】正信念仏偈の概要①

皆様、「正信念仏偈」(しょうしんねんぶつげ)という名前を聞いたことはあるでしょうか。

浄土真宗のお寺とご縁のある方でしたら、ご存知の方も多いかと思います。

お寺の法要へお参りをした際に、となえたことがあるという方もおられるでしょうし、ご自宅のお仏壇の仏様の前でおとなえをされているという方もおられることでしょう。

しかし、浄土真宗のお寺とご縁がない方は、初めてその名前を聞いたという方もおられるかと思います。

また、ご存知の方でも、その内容がどんなものかや、どのような背景でつくられたのかなどは、知らない方もおられるのではないでしょうか。

「正信念仏偈」は、となえるものとしては、浄土真宗で最も代表的なものです。

「正信念仏偈」を略して、「正信偈」(しょうしんげ)や「お正信偈」とも言われます。

今回は、浄土真宗でよくおとなえされる「正信念仏偈」について、その概要を分かりやすくご紹介させていただきます。

その中でも特に、「正信念仏偈」とは「どなたがつくったものか」や、「どのような思いでつくられたものか」、また「どのように広まっていったのか」などについて見ていきたいと思います。

▼動画でもご覧いただけます。

◆正信偈の作者

さて、問題です。

「正信念仏偈」をつくったのは、どなたでしょうか。

「正信念仏偈」をつくったのは、親鸞聖人です。

親鸞聖人といえば、日本の代表的な宗教者であり、思想家とも言われる方です。

本屋の一角に、親鸞コーナーが設けられていることもあります。

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その親鸞聖人がつくられた偈(うた)が、「正信念仏偈」です。

親鸞聖人を宗祖とする浄土真宗では、「正信念仏偈」はとても大切にされ、よくおとなえされます。

◆正信偈がひろまった経緯

浄土真宗の本山である本願寺、通称西本願寺では、毎朝「正信偈」がお勤めされています。

本願寺では、晨朝勤行(じんじょうごんぎょう)と言って、毎朝6時から僧侶によって読経されています。

その晨朝勤行でおとなえされているのが、「正信偈」です。

晨朝勤行は、国宝でもある大きなお御堂でお参りをします。

朝の澄んだ空気の中で、多くの僧侶や参拝者の方々と一緒に「正信偈」などをおとなえすると、とても清々しく、えもいわれぬものがあります。

本願寺の晨朝勤行は、どなたでもお参りできますので、京都に行かれる際は、本願寺の近くに宿泊をして、ぜひ早朝の晨朝勤行にお参りをなさってみてください。

聞法会館(もんぼうかいかん)という本願寺の宿もありますので、そちらに泊られるのもお勧めです。

その本願寺でも、毎朝や毎夕おとなえされているのが、「正信偈」です。

それほど、浄土真宗でとなえるものの代表的なものが「正信偈」なのですね。

さて、本願寺で日常的に「正信偈」をとなえることを定めた方がいます。

その方はどなたかご存知でしょうか。

正解は、蓮如上人という方です。

蓮如上人は、本願寺八代目の宗主です。

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お念仏の教えを各地に広め、現在の浄土真宗の礎を築いた方です。

そのため蓮如上人は、本願寺教団中興の祖と言われています。

浄土真宗本願寺派のお寺では、本堂の内陣と言われる部分の中央に、阿弥陀仏という仏様がご安置されています。

私たちから向かって右側には、宗祖である親鸞聖人の絵像が安置されています。

そして、向かって左側には蓮如上人の絵像が安置されていることが多いです。

それにならって、浄土真宗のご家庭のお仏壇についても、向かって右側に親鸞聖人、左側に蓮如上人の絵像をかけられていることが多いです。

お仏壇がご自宅にあられる方は、ご覧になってみてください。

その本願寺教団中興の祖と言われる蓮如上人が、本願寺の改革に取り組まれます。

その改革の中の一つの取り組みが、日常のお勤めに「正信偈」を用いるというものでした。

それまでは、中国の善導大師(ぜんどうだいし)というお坊さんが書かれた「往生礼讃偈」(おうじょうらいさんげ)が日常の勤行に用いられていました。

それを、宗祖である親鸞聖人のつくられた「正信念仏偈」をとなえるように制定したのが蓮如上人です。

また、私たちが「正信偈」をおとなえするときに、「和讃」も一緒におとなえすることが多いですね。

この形式を整えられたのも蓮如上人です。

「和讃」も親鸞聖人がつくられたうたで、「正信偈」と「和讃」をセットにしてとなえるという形を蓮如上人が整えられ、それ以降、本願寺で日常的にとなえるようになりました。

それが本願寺の末寺にも伝わり、地域や家庭でも「正信偈」をとなえることが広まっていったそうです。

◆正信偈をつくられた理由

ここまで、親鸞聖人が「正信念仏偈」をつくられ、蓮如上人がそれを広めたということを見てきました。

最後に、親鸞聖人がどのような思いで「正信念仏偈」をつくられたのか、その理由について見ていきたいと思います。

親鸞聖人はなぜ、「正信念仏偈」をつくられたのでしょうか。

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その理由の一つ目は、阿弥陀仏という仏様や、阿弥陀仏の教えを伝えてくださった方々への感謝や喜びの思いからつくられたというものです。

親鸞聖人の生きた平安時代末期から鎌倉時代にかけて、日本には末法思想という考え方が浸透していました。

末法思想とは、お釈迦様が入滅され(亡くなられ)てから、時代が経過するごとに、時代は乱れ、濁りに満ちていくという考え方です。

親鸞聖人が生きた平安時代末期から鎌倉時代は、既に末法に入り、末法の真っただ中であったと認識されていました。

実際、親鸞聖人の幼少期である平安時代末期頃の京都は、飢饉や疫病の流行、地震や大火事、台風、源平の騒乱などがおこり、世の中は乱れに乱れていました。

鴨長明の『方丈記』には、その様子が記されていますが、『方丈記』によると、京都市中の道端に倒れている死者は4万人を超え、遺体が溢れ、異臭を放ち、目も当てられない状況だったそうです。

河原に溢れかえる遺体を加えれば、その数はきりもないほどだと記されています。

単に末法思想という考え方があるというような知識的な話ではなく、当時の人々が「今は末法の世だ」と実感するほど混乱した時代であり、人々はこの世に救いを見出せなくなっていたと言います。

そのような中に現れたのが、法然聖人でした。

法然聖人は、阿弥陀仏の救いを信じ、南無阿弥陀仏と念仏を称えれば、誰でも浄土に往き生まれることができるという念仏の教えを、人々に伝えました。

すると、多くの人が救いを求めて、法然聖人のもとに集まるようになりました。

こうした時代状況の中、親鸞聖人は比叡山にて仏道修行に励まれていました。

しかし、仏道修行に励めども、迷い苦しみがはれず、20年間の修行の後、親鸞聖人は失意の中、比叡山を下山されます。

その後、親鸞聖人は救いの道を求めて、法然聖人のもとを訪ねます。

そして、くる日もくる日も法然聖人のもとを訪ね、お念仏の教えを聞かれたと言います。

長い年月をかけて仏道修行に励みながらも、迷い苦しみから抜け出すことの難しさを感じていた親鸞聖人は、法然聖人の説くお念仏の教えによって、「私には念仏より他の道はないのだ」「阿弥陀仏におまかせをするしかないのだ」という実感を深めていったのではないでしょうか。

親鸞聖人の人生は、法然聖人とお念仏の教えとの出遇いによって転換され、決定づけられていきます。

こうした阿弥陀仏のご恩や、法然聖人をはじめとしたお念仏の教えを伝えてくださった方々への感謝や喜びの思いからつくられたのが、「正信偈」だと言われています。

さて、親鸞聖人はなぜ、「正信念仏偈」をつくられたのでしょうか。

別の理由も挙げられています。

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それは、「多くの人にとなえてほしい」「阿弥陀仏の教えが多くの人に伝わってほしい」という思いからつくられたというものです。

「正信偈」は、七言一句(しちごんいっく)と言って、漢字7文字で一つの句が構成されています。

例えば、「正信偈」の最初をご覧いただくと、「帰命無量寿如来 南無不可思議光」(きみょうむりょうじゅにょらい なもふかしぎこう)とあります。

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その後も最後まで、漢字7文字で一つの句になっていますね。

こうした形式は、お経やお経の解説書の中にも見られる形式で、となえることを前提としてつくられています。

文字数が統一されていると、とてもとなえやすいのですね。

例えば、浄土真宗でとなえられる「讃仏偈」というお経は、漢字4文字で一つの句が構成されています。

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「重誓偈」というお経は、漢字5文字で一つの句が構成されています。

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このように、文字数が統一されているのは、となえることを前提としてつくられているということがあります。

親鸞聖人の記された「正信偈」もまた、となえることを前提としてつくられたものです。

つまり、親鸞聖人は「多くの人にとなえてほしい」「阿弥陀仏の教えが多くの人に伝わってほしい」という思いから、「正信偈」をつくられたと想像されます。

お念仏の教えによって自らが救われたと思い、これしかないというものに出遇った喜びを、親鸞聖人が感じていたからこそ、それを多くの人に伝えたいという思いから筆を取られたのではないでしょうか。

そうした親鸞聖人の思いを汲み取った方が、蓮如上人でした。

先ほどもご紹介した通り、親鸞聖人のつくられた「正信念仏偈」を日常的にとなえるように制定したのが蓮如上人です。

蓮如上人以降、時代を超えて多くの人が、「正信偈」をとなえてきました。そして、今もとなえられています。

「多くの人にとなえてほしい」「阿弥陀仏の教えが多くの人に伝わってほしい」という親鸞聖人の思いを汲み取った方が、蓮如上人だったのではないでしょうか。

いかがだったでしょうか。

今回は、浄土真宗でよくおとなえされる「正信念仏偈」について、その中でも特に、「どなたがつくったものか」「どのような思いでつくられたものか」「どのように広まっていったのか」などについて見ていきました。

皆様は、どのようなことを感じられたでしょうか。

感想なども是非お聞かせください。

次回は、「正信念仏偈」の内容について、ご紹介したいと思います。


合掌
福岡県糟屋郡 信行寺(浄土真宗本願寺派)
神崎修生

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