皆様、ようこそお参りくださいました。福岡県糟屋郡宇美町にあります、信行寺の神崎修生と申します。
さて皆様、花祭りとはご存知でしょうか。
花祭りとは、仏教の開祖であるお釈迦様の誕生をお祝いする行事で、灌仏会(かんぶつえ)とも言います。
お釈迦様の誕生は、日本では4月8日とされ、その前後にお寺などでおこなわれるのが花祭り(灌仏会)です。
今回は、その花祭り(灌仏会)について、花祭りとは何かや、花祭りの内容、そして、お釈迦様の誕生の物語についてもご紹介させていただきます。
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ではまず、花祭り、灌仏会(かんぶつえ)とは何かですが、先ほど言ったように、お釈迦様の誕生を祝う行事のことです。
お釈迦様の誕生日について、諸説ありますが、日本では4月8日を誕生日として、その前後にお祝いをすることが多いです。
原型はインドや中国にも見られ、日本でも西暦600年頃など、かなり昔からおこなわれていたとの伝承があります。
ちなみに、花祭りといっても灌仏会といっても同じことです。
続いて、花祭りの内容についてですが、花祭りは、宗派や地域を問わず、日本全国の多くのお寺でおこなわれている行事です。地域によっては、複数のお寺合同でおこなわれているような場合もあります。
どのようなことをおこなっているかは、お寺によっても違いがありますが、花祭りの特徴は、誕生仏(たんじょうぶつ)というお釈迦様の誕生の際の像に甘茶をかけて、お祝いをすることです。誕生仏は、花御堂(はなみどう)という、お花で美しく飾られた小さなお堂の中に安置される場合が多いです。
また、お寺によっては、花祭りに稚児(ちご)の行列を出すところもあります。着飾ったお子さんたちの行列は、とても賑やかです。稚児行列で白い象の作り物を引くお寺もあります。
なぜ白い象かというと、これはお釈迦様の母である摩耶夫人(まやぶにん・まやふじん)が、お釈迦様を懐妊した時に、白い象がお腹に入る夢を見たという伝承から来ています。
花祭り単体の行事として開催しているお寺もあれば、子ども会や、法要という行事と一緒におこなわれたり、またお寺の門前に花御堂を出して、お寺の前を通る方々に、甘茶をかけていただけるようにしているお寺もあります。
ちなみに、私が勤める信行寺では、例年、4月上旬におこなわれる仏教婦人会の総会の日に、花祭りをおこなっています。婦人会の役員の皆さんが、甘茶をつくったり、花御堂をお花で飾り付けてくださいます。
各お寺の花祭りに参加できるかどうかは、お寺によって対応が違いますので、近くのお寺のHPや、SNSなどで確認してみてください。どうぞお参りくださいというお寺もあるかと思います。
次に、お釈迦様とはどういう方なのか、誕生にまつわる物語を中心にご紹介します。
お釈迦様は、今から約2500年前頃、現在のインドやネパールを中心に活動された実在の人物です。釈迦族という一族の王子として生まれ、釈迦族の聖らかな人、尊い人という意味で、釈尊やお釈迦様と呼ばれています。実際の名は、ゴータマ・シッダッタや、ガウタマ・シッダールタと言われています。
お釈迦様は、ブッダとも呼ばれます。ブッダとは、「真理に目覚めたもの」という意味で、世の中の真理(時代がかわろうとも変わらない真実など)を体感し、
理解した人というように説明されることもあります。
ブッダとは、お釈迦さまだけでなく、他にさとりをひらいた方もブッダと言います。他のブッダとお釈迦様とを区別するために、お釈迦様のことをゴータマ・ブッダと呼ばれることもありますが、ブッダと言えばお釈迦様のことをさすことも多いです。
お釈迦様の父は、釈迦族の王である浄飯王(じょうぼんおう/シュッドーダナ)、母は摩耶夫人(まやぶにん、まやふじん/マーヤー)との伝承があります。
お釈迦様の生まれた年は諸説ありますが、紀元前500年前後、もしくは紀元前600年前後とされ、今からおおよそ2500年前頃に活動をされた方です。
お釈迦様の母、摩耶夫人は、ある夜ふけ、白い象が天から降りてきて、自分のお腹に入る夢を見ます。その直後、摩耶夫人は、お釈迦様を懐妊したと伝承されています。
白い象は、インドの人々の間では昔から、気高いものの象徴だそうです。白い象がお腹に入るという夢は、尊く、清らかな心をもった方が、これから世に出ることを暗示したものだと言います。
懐妊された摩耶夫人は、穏やかで心豊かな日々を過ごしたと言います。
そして、出産が近づいてきたころ、摩耶夫人は、釈迦国の首都カピラヴァストゥ(カピラヴァットゥ)から、夫人の故郷であるコーリヤ国に帰省されます。そしてその道中、ルンビニーという美しい花園に立ち寄った際に産気づき、お釈迦様を出産されました。
摩耶夫人は、右脇からお釈迦様を出産したとの伝承があり、立った状態の摩耶夫人の右脇からお釈迦様が生まれ、従者が受け取っているようなレリーフ(浮き彫り細工)もあります。なぜ右脇から生まれたと表現されているかというと、クシャトリヤという王族や武士階級は、脇から生まれるという表現がなされたり、また、インドでは右側は清浄であるとされることなどから、お釈迦様は右脇から生まれたと表現されているという説があります。
そしてまた、お釈迦様は、誕生直後に、北側に七歩歩き、「天上天下唯我独尊」(てんじょうてんげ ゆいがどくそん)と語ったと伝承されています。「天上天下唯我独尊」という言葉は、聞いたことがある方もおられるのではないでしょうか。
他にも、お釈迦様の誕生のエピソードとして、地面から水やお湯が噴き出したり、大地が揺れたり、かぐわしい香りの雨が降り注いだという表現も見受けられます。
天からかぐわしい香りの雨が降り注いだ、甘露の雨が降り注いだ。そのような伝承から、お釈迦様の誕生仏に甘茶をかけるようになったとも言われています。
さて、こうした物語の数々は、お釈迦様という存在の偉大さや尊さ、素晴らしさを表現するために、後世の方々がつくりあげていったものだと考えられております。事実かどうかと考えるよりも、お釈迦様の偉大さや尊さを、いかに表現しようか、伝えていこうかと、そのように後世の人が工夫なさった結果であると考えたほうが自然ですし、また味わい深いものだと思います。
実際、お釈迦様の教えや行為は、2500年もの間、時代を超え、国を超え、数々の影響を及ぼし続けています。日本においても、仏教寺院は、全国に7万5千ほどあり、数十万人の僧侶がいると言われます。そして、その価値観や考え方が、日本の土壌にしみわたっているとも言われます。チベットや東南アジアなどにも、多くの僧侶、仏教徒もおられます。
お釈迦様というお一人がこの世に現れたことで、後世にわたり、これほどの影響を与え続けていることは、やはり凄いことでしょう。そんなお釈迦様の物語を紡いでいく時に、いかに表現しようか、伝えていこうかと後世の方々が工夫された、その結果が現在に伝わる、お釈迦様誕生の物語であると言えるでしょう。
最後に、「天上天下唯我独尊」(てんじょうてんげ ゆいがどくそん)という言葉が意味するところについて、お話させていただきます。
「天上天下唯我独尊」という言葉は、「この世の中に、我独りが尊い」というように誤って捉えられるような、一見解釈が難しい言葉です。ですので、この言葉が意味するところについて、ご紹介をしたいと思います。
「天上天下唯我独尊」という言葉は、中国にて漢訳されたもので、もともとの原文は、このような内容だと言われています。
「私は世界の第一人者である、私は世界の最年長者である、私は世界の最勝者である。これは最後の生まれである、もはや二度と生存はない」
もともとは、このような言葉、内容だったと言われています。
この言葉から、こうした疑問がわいてきます。お釈迦様は、生まれたばかりなのに、なぜ第一人者と言われたのか、なぜ最年長者、最勝者と言われたのか。第一人者や、最年長者という言葉は、人生の経験を重ねた方に使う言葉です。それをなぜ、お釈迦様は誕生したばかりの時に、おっしゃったのか。
誕生の際にお釈迦様が歩いて、言葉を語られたというエピソードも、後世の方が紡いでいった物語ですから、後世の方は、お釈迦様がこのように語られたというエピソードを通して、どういうことを表現しようとしたのでしょうか。
お釈迦様は、80年の生涯にわたり、各地へ赴き、悩み苦しむ方々の声に耳を傾け、救い導いていかれたと言います。
お釈迦様がおこなわれたこと、語られた内容などを考えた時に、お釈迦様のような人格や精神性をそなえた人となり、さとりを完成させた仏となるということは、一人の人間の一生涯だけでは到達することは難しいのではないかという考え方が、後々生まれてきます。
そして、お釈迦様はずっと以前から、生まれ変わり死に変わりして、長い期間にわたり修行を続けてこられたに違いないという考え方がうまれてきます。
つまり、お釈迦様が誕生直後なのにも関わらず、「私は世界の第一人者である、私は世界の最年長者である、私は世界の最勝者である」と語ったと後世の方々が表現したのは、お釈迦様はずっと以前から、生まれ変わり死に変わりして、長い期間にわたり修行を続けてこられたという考え方を背景とし、だからこそ、お釈迦様という偉大で、尊い方が生まれられた。
そのことを、こうした言葉でもって表現しようとしたのではないかという説があります。お釈迦様が、生まれ変わりながら、長い期間にわたり修行を続けてこられたという前世の物語、『ジャータカ物語』というものも、後世に編纂をされていきます。
また、先ほどの原文では、「これは最後の生まれである、もはや二度と生存はない」という言葉が続いています。
昔のインドでは、輪廻という様々な生を生まれ変わり死に変わりしているという世界観があり、仏教もその世界観を受け継いでいるところがあります。そして、生まれかわり、死に変わりしている輪廻の状態とは、迷いと苦しみの状態であると考えられています。
輪廻の迷いと苦しみの生を終え、さとりをひらくことを、仏教では目指しています。輪廻から抜け出すことを解脱(げだつ)ともいい、仏となることであるとされます。
つまり、お釈迦様が「これは最後の生まれである、もはや二度と生存はない」という言葉を語られたと表現することによって、今回、ゴータマと言う人間として生まれた生において、さとりをひらき、仏となることを表現しようとされているということです。
この部分をもう一度まとめると、「天上天下唯我独尊」という言葉は、中国にて漢訳されたもので、もともとの原文は、
「私は世界の第一人者である、私は世界の最年長者である、私は世界の最勝者である。これは最後の生まれである、もはや二度と生存はない」
もともとは、このような言葉、内容だったと言われています。
そして、お釈迦様が誕生直後なのにも関わらず、「私は世界の第一人者である、私は世界の最年長者である、私は世界の最勝者である」と語ったと後世の方々が表現したのは、お釈迦様はずっと以前から、生まれ変わり死に変わりして、長い期間にわたり修行を続けてこられたという考え方を背景とし、だからこそ、お釈迦様という偉大で、尊い方が生まれられた。そのことを、こうした言葉でもって表現しようとしたのではないかということです。
そして、お釈迦様が「これは最後の生まれである、もはや二度と生存はない」という言葉を語られたと表現することによって、今回、ゴータマと言う人間として生まれた生において、輪廻から解脱し、さとりをひらき、仏となることを表現しようとされているということです。
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いかがだったでしょうか。今回は、花祭りについて、花祭りの内容や、お釈迦様の誕生の物語などをご紹介させていただきました。
物語をただ受け止めていくよりも、その意味や背景が理解されると、仏教や花祭りに対して、より深い味わいができるかと思いますので、ご紹介をさせていただきました。
このように信行寺では、「仏教やお寺をもっと身近に。そして心豊かな人生を」というコンセプトのもと、動画やブログを配信しています。更新情報が届きますので、ご関心がある方は、チャンネル登録やSNSのフォローをいただけますと幸いです。また、いいねやコメントをいただきますと、今後の参考にもさせていただきます。
本日もようこそお参りくださいました。
◇参考文献
・『ブッダ物語』中村元・田辺和子著
・『日本人が知らないブッダの話』アルボムッレ・スマナサーラ著
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最後までご覧いただきありがとうございます。合掌
福岡県糟屋郡宇美町 信行寺(浄土真宗本願寺派)
神崎修生
花祭りの普及に取り組むお坊さんを紹介【仏教行事紹介】 | 信行寺 福岡県糟屋郡にある浄土真宗本願寺派のお寺 (shingyoji.jp)
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