信行寺では毎年、小学校の入学祝をおこなっております。
お寺というと、ご葬儀や法事、お墓といった人の死にまつわる取り組みが多いイメージがあるかもしれません。
しかし、小学校入学祝や子ども会などのお子様向けの取り組みをはじめ、今を生きる方に向けた取り組み、この人生を心豊かに歩んでいく取り組みも多くおこなっております。
お寺と接する機会がない方に、お寺とはどういうところかを知っていただく機会になれば嬉しく思います。
またお寺とご縁がある方でも、お寺によって取り組みも違いますので、お寺の事例の一つとしてご覧いただければ幸いです。
今回は、小学校入学祝の様子を動画でご紹介させていただきます。
▼動画にてご覧ください
・読経
・法話
・焼香
・記念品贈呈(式章、念珠、文具など)
・記念撮影
このたびは、ご入学、おめでとうございます。
幼稚園から小学校にあがるということ。それは、きっとこれまでとは違った雰囲気の中だったと思います。
いかがでしたか?クラスにお友達はいましたか?
今日は、一生に一度の小学校入学祝です。
きっと、お母さんも、お父さんも、よくここまで育ってくれたねと、今日は感動と喜びに溢れておられることではないでしょうか。
あなたがここまで育ってきてくれたことは、当たり前ではないことです。
そして、もっというならば、あなたがこの世に生まれてきてくれたこと。
それも、当たり前ではないことです。
当たり前の反対の言葉は、有難い、有ることが難しいという言葉だと言われます。有難いとは、ありがとうという感謝の言葉でもあります。
ここまで育ってくれたことも、当たり前ではない。
この世に生まれてきてくれたことも当たり前ではない。
だからこそ、あなたがここまで育ってくれて、お母さん、お父さんは、きっとありがとうという気持ちをもってらっしゃることではないでしょうか。
こういう日は、お祝いの日でもありますが、感謝の日でもありますね。
ついつい家族で一緒にいる期間が長くなると、家族でいることが当たり前になったり、また、親の立場でいうと、日々の生活や仕事などに追われると、家族の時間を後回しにしてしまうこともあるかもしれません。
我々人間は、ついつい大切なものが何かを忘れてしまったり、後回しにしてしまうことがあるんですね。
私はお坊さんですから、人が亡くなった時に、お通夜やご葬儀といって、亡くなられた方のもとに行って、手を合わさせてもらうことがあります。
そして、色々な機会に、亡くなれた方のご家族の思いを伺うことがあります。
その時に、失ってみて、改めてその亡くなられた方の大切さに気付かされたという方が多いんですね。
我々人間は、ついつい大切なものが何かを忘れてしまったり、後回しにしてしまうことがあります。
こうした小学校の入学祝などを通して、
生まれてきてくれたことが当たり前ではなかったということ、
ここまで育ってきてくれたことが当たり前ではないということ、
お母さん、お父さんも一緒に、今日を迎えることができたことが当たり前ではないということ。
そういうことに改めて気付かされ、ありがとうねと思い合う、言い合う機会が、こうした入学などのタイミングではないかと思います。
そしてきっと、仏様も、先に往かれたご先祖の方も、微笑ましく、見護ってくださっているのではないかと思います。
これからも、お互いを大切にし、支え合っていただきながら、笑顔で過ごされることを願っております。
改めて、ご入学、本当におめでとうございました。
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最後までご覧いただきありがとうございます。合掌
福岡県糟屋郡宇美町 信行寺(浄土真宗本願寺派)
神崎修生
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