【正信偈を学ぶ】第45回_能発一念喜愛心〜如衆水入海一味_慈悲の導き

【正信偈を学ぶ】シリーズでは、浄土真宗の宗祖である親鸞聖人が書いた「正信念仏偈」の内容について解説しています。 日々を安らかに、人生を心豊かに感じられるような仏縁となれば幸いです。

この数回、「正信偈」の「能発一念喜愛心」から「如衆水入海一味」までの四つ句を見ています。その四つの句の中の「凡聖逆謗斉回入」という句の意味について、今回も前回に続き見ていきます。テーマは「慈悲の導き」です。

それではさっそく見ていきましょう。

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◆慈悲の導き

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ではまず、「凡聖逆謗斉回入」(ぼんじょうぎゃくほうさいえにゅう)という言葉の意味について確認しておきましょう。

愚かなものでも、聖らかなものでも、様々な罪を犯したり、真実の教えをないがしろにするような生き方をするものでも、信心をいただき回心したならば、ひとしく救われるのです。

「凡聖逆謗斉回入」とは、このような意味の言葉でした。

阿弥陀仏とは、いつも思いをかけてくださっている仏様だと言われます。阿弥陀仏が私たちのことを思ってくださっている、その心を慈悲とも言い、それが大きなものであるということで、大慈悲、大悲とも言います。そうした阿弥陀仏の慈悲の心が、ここに示されていました。

愚かなものでも、聖らかなものでも、区別することなく思いをかけていく。また、罪を犯したものも、正しい教えをないがしろにするものに対しても、そのことを悲しみつつ、何とか正しい道、真実の道へと歩みを進めさせたいと願われている。そうした阿弥陀仏の慈悲の心が、「凡聖逆謗斉回入」という言葉には示されていました。

さて、皆様は『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』という映画をご存知でしょうか。1997年にアメリカで公開された映画です。

俳優のマット・デイモンとベン・アフレックが、共同で脚本を執筆し、出演もしている作品です。アカデミー賞の作品賞にノミネートされるなど、名作と言われている映画ですので、ご覧になった方も多いかもしれませんね。

マット・デイモンが演じる青年ウィル・ハンティングは、過去に何か所かの里親に預けられ、暴力を受け続け、身体にも心にも深い傷を負っていました。青年になったウィルは、清掃の仕事や工事現場などでアルバイトをしながら、一人暮らしをしていました。そして、傷害事件や窃盗事件などをおこし、裁判になることもしばしばでした。

ただし、このウィルには秀でた才能がありました。大学には行っていないのですが、読んだ学術書の内容をすぐに記憶することができたり、非常に難しい数学の問題を解くことができるような才能がありました。

ある時、数学科の教授に才能を見込まれ、数学の研究をすることと、カウンセリングを受けることを条件に保釈されます。

しかしウィルは、カウンセラーに対して心を開かず、反抗的な態度を取り続けました。そのため、何人ものカウンセラーが彼の担当を辞めていきました。

そんな中、ロビン・ウィリアムズが演じる心理学者のショーンが、彼のカウンセリングの担当をすることになります。そして、そこからウィルも少しずつ心を開いていくようになります。ウィルの攻撃的な言葉に、時には怒りを露わにしながらも、ショーンはウィルと正面から向き合っていきました。

ウィルが過去に暴力を受けていたこと。人に心を開かず、言葉や暴力で自分の身と心を守っていること。恐れから、環境を変えられないでいること。

数学科の教授は、ウィルの才能を活かすことを考えますが、ショーンは、心の傷が癒えていないウィルの状態や、そもそもウィルが何をしたいのかということを第一に考え、向き合っていきました。

何度も対話を重ねた末、ウィルが親から暴力を受けていた話になった時のことです。ショーンはウィルに対して「君は何も悪くない」と語りかけます。ウィルは、「分かってる」と返します。ショーンはもう一度、「君は悪くない」とウィルに言いました。ウィルはまた、「分かってる」と返します。

しかしショーンは、「いや分かっていない。君は悪くない。君は悪くない」と何度もウィルに向かって語りかけました。ウィルはうつむき、「やめてくれ」と言います。それでも「君は悪くない」と言うショーンに、ウィルは「止めてくれ」と怒鳴りながらも、声を詰まらせ泣き崩れます。

そんなウィルを見ながら、ショーンは何度も何度も「君は悪くない」「君は悪くない」と語りかけ、優しくウィルを抱きしめるのでした。抱きしめられたウィルは、これまでの感情が溢れ出すように涙を流しながら、「ごめんなさい。ごめんなさい。俺を許して」とむせび泣くのでした。

ウィルの抱える痛みや苦しみを共に感じ、温もりのある言葉をかけ続けたショーンの姿に、慈悲の心に似たものを感じたのは私だけでしょうか。

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慈悲とは、悲しみ慈しむと書きます。その人が抱える痛みや苦しみを共に感じ、悲しみ慈しむ心を慈悲と言います。私たちが抱える痛みや苦しみを共に感じ、悲しみ哀れみ、思いをかけてくださっている仏様の心を慈悲と言います。

そして、仏様の慈悲とは大きなものであることから、大慈悲、大悲とも言います。仏様の慈悲とは大悲であるのに対し、人間の慈悲とは小悲、もしくは無慈悲と言われるように、限界があるものです。

私たち人間には、自分本位の欲や怒りといった煩悩があるため、自らと他者とを区別せずに、全てのものを憐れむような大きな慈悲の心は、本来的に持ち難いのですね。ですから、仏様の心を人間の心で例えるのは限界があります。

実際映画でも、亡くなった奥さんのことをウィルに悪く言われた時に、ショーンは怒り、ウィルの首を掴み、「妻を汚すようなことを言うな。殺すぞ」と言い放つシーンがあります。このように、自分の大切なものを踏みにじられた時に、人間は怒りを感じるものです。

しかしそれでも、対話を重ねながら、ウィルの抱える痛みや苦しみを共に感じ、和らげようとするショーンの姿に、深い愛情と美しさを感じました。

「この子が抱えている苦しみを何とか和らげてあげたい」「自分のことをこれ以上傷付けず、自分を大切にして、自分らしく生きていってほしい」。こうした、相手のことを深く思うショーンの姿に、慈悲の心の一端を感じられればと思い、「グッド・ウィル・ハンティング」の映画の内容を紹介してきました。

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阿弥陀仏とは、愚かなものでも、聖らかなものでも、区別することなく、思いをかけておられる仏様である。また、罪を犯したものも、正しい教えをないがしろにするものに対しても、そのことを悲しみつつ、何とか正しい道、真実の道へと歩みを進めさせたいと願われている。

そのように、阿弥陀仏が私たちに喚びかけ、はたらきかけてくださっていることを、親鸞聖人は喜び、讃嘆した言葉が、「正信偈」の「凡聖逆謗斉回入」という言葉ではないでしょうか。

◆抑止門

先程言ったように、私たち人間は、自分本位の欲望や怒りといった煩悩を抱えていますので、状況や置かれた立場によって、どのようなふるまいをもしてしまう可能性を持っています。

「さるべき業縁のもよほさば、いかなるふるまひもすべし」

(『歎異抄』第十三条)

「因縁が整えば、どのようなふるまいをも私たちはしてしまうのです」と、親鸞聖人が言われたとおりです。このことは前回詳しくお話しました。

そして、阿弥陀仏はそんな私たちを見て哀れみ、「何とか正しい道へと歩みを進めてほしい」「真実の教えに耳を傾けてほしい」と願われ、回心させようとはたらきかけておられる。そうした阿弥陀仏の慈悲の心が、「正信偈」の「凡聖逆謗斉回入」という言葉には込められていることを見てきました。

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そうした阿弥陀仏の慈悲の心を解釈したものに、「抑止門」(おくしもん)という考え方があります。「抑止」と書いて、「おくし」と読みます。「抑止」とは、「おさえとどめること」です。

煩悩による私たちの自分本位の言動を、阿弥陀仏は手放しに良しとしているのではなく、罪を犯さないようにしてほしい、正しい道が示された教えに背を向けるような生き方はしないでほしいと、阿弥陀仏は願っておられると受け止めたのが、この「抑止門」という考え方です。

具体的には、浄土真宗で大切にしている『仏説無量寿経』というお経の中にある、阿弥陀仏の根本的な願いが説かれる「第十八願文」(本願文)と、その願いが完成した「第十八願成就文」(本願成就文)に示されています。

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そこには、「唯除五逆誹謗正法」とあり、「五逆の罪を犯すものや、正しい教えを非難するようなものは、救いから除く」と示されています。

「五逆誹謗正法」とは、「正信偈」の「凡聖逆謗斉回入」の中の「逆謗」という言葉と同じ意味の言葉です。「正信偈」では、「五逆」と「誹謗正法」を略して、「逆謗」と言っています。

「五逆」とは、父や母を殺害するような重罪のことを言います。そして、「誹謗正法」とは、仏の教え、正しい教えをそしり、それに反する生き方をしているもののことを言います。

全てのものを思い、慈悲の光で照らしてくださっている阿弥陀仏ではありますが、しかし、「五逆の罪を犯すものや、正しい教えを非難するようなものは、救いから除く」と示されているのですね。これをどう考えたら良いのかという問題があるのですが、それを解釈したのがこの「抑止門」という考え方です。

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つまり、阿弥陀仏は全てのものを思っておられるけれども、人を殺したりするような罪を犯してほしくはなく、正しい教えに背き、誤った道を歩んでほしくはない。そうした阿弥陀仏の心を、「唯除五逆誹謗正法」「五逆の罪を犯すものや、正しい教えを非難するようなものは、救いから除く」という言葉で示されているのではないか。そう読み取ったのが、「抑止門」という考え方です。

罪悪深重(ざいあくじんじゅう)というように、煩悩によって罪や悪を重ね続ける生き方をせざるをえない私たちですが、阿弥陀仏は私たちに、そうした生き方をしていることに気付かせ、それをおさえとどめさせようとはたらきかけておられる。そうした考え方が「抑止門」です。

親鸞聖人は、『尊号真像銘文』という書物に、このように記されています。

「「唯除五逆誹謗正法」といふは、「唯除」といふはただ除くといふことばなり。五逆のつみびとをきらひ誹謗のおもきとがをしらせんとなり。このふたつの罪のおもきことをしめして、十方一切の衆生みなもれず往生すべしとしらせんとなり」

(『尊号真像銘文』/親鸞聖人)

「「唯除五逆誹謗正法」というのは、「唯除」とはただ除くという言葉です。五逆の罪を犯すものをきらい、仏の教えをそしる罪の重さを知らせようとするものです。この二つの罪の重いことを示して、全ての生きとし生けるものをみなもれず、浄土(仏の国)に往き生まれさせようと知らせようとされているのです」

五逆や謗法の罪は、とても重いものであることを知らせつつ、そうした生き方をしているものをも回心(えしん)させ、正しい道へ歩みを進ませ、浄土という仏の国に生まれさせようとされている。阿弥陀仏の「唯除五逆誹謗正法」という言葉を、親鸞聖人はそのように受け止められました。

自分本位の欲や怒りによって、人を傷付け、自分をも傷つけている。自分本位の欲や怒りによって、けんかや争いが生まれ、大きな規模になれば、紛争や戦争にも発展してしまう。今でも戦争は無くなっていないわけですけれども、そうした人間の愚かさを見て、仏様はそれを良しとはされないでしょうね。

自分本位の欲や怒りといった煩悩とは、本能的な自己愛や自己防衛本能をも含んでいます。そう考えると、私たち人間とは、中々煩悩から逃れることは難しいものであることを思わされます。やられたらやり返そうとする気持ちや、やられそうなら我が身を守らなければという思いを、私たちは持っていて、それは本能的なものでもあります。

しかし、そうした煩悩による私たちの自分本位の言動を、阿弥陀仏は良しとしているのではありません。罪を犯さないようにしてほしい、正しい道が示された教えに背を向けるような生き方はしないでほしいと、阿弥陀仏は願っておられる。そう受け止めたのが、「抑止門」という考え方です。

阿弥陀仏とは、愚かなものでも、聖らかなものでも、区別することなく、あらゆるものに対して思いをかけておられる仏様です。だからこそ、五逆の罪や、謗法の罪を犯すようなものをも見て、悲しみ、憐れんでおられるのですね。「何とか正しい道へと歩みを進めてほしい」「真実の教えに耳を傾けてほしい」と願われ、回心させようとはたらきかけておられるのですね。そうした阿弥陀仏の慈悲の心を表されたのが、「正信偈」の「凡聖逆謗斉回入」という言葉だと感じます。

そして私たちも、煩悩によって自分本位の言動をしてしまいますが、それを良しとして居直ってはいけないのでしょうね。煩悩を抱える私たちの姿、生き方を、阿弥陀仏が悲しんでいるというところに、私たちは痛感し、自分の言動を顧みていかないといけないのでしょうね。

いかがだったでしょうか。

今回は、「慈悲の導き」というテーマで、「正信偈」の「凡聖逆謗斉回入」という句の意味について見ていきました。皆様は、どのように感じられたでしょうか。また感想もお聞かせください。

次回も「正信偈」の続きを見ていきます。


合掌
福岡県糟屋郡 信行寺(浄土真宗本願寺派)
神崎修生

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