【基礎から学ぶ浄土真宗】親鸞聖人の生涯①_誕生・幼少期編

信行寺で開催している「真宗講座」では、仏事作法や浄土真宗のことを、初めての方でも分かりやすくお伝えしております。今回は先日おこなった「真宗講座」の内容を文章でまとめました。どうぞご覧くださいませ。

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さて前回から、浄土真宗の概要が示された「浄土真宗の教章」について見ています。『聖典』の最初の方を開いていただきますと、「浄土真宗の教章」について記されたページがあります。そちらをご覧ください。

前回は、教章とは何かということと、浄土真宗という宗の名前について、見ていきました。今回は、その次の宗祖という項目について見ていきます。

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浄土真宗の宗祖は、親鸞聖人です。その親鸞聖人の生涯について、今回は特にご誕生と幼少期にスポットを当てて、見ていきたいと思います。それでは、さっそく見ていきましょう。

◆親鸞聖人の誕生

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さて親鸞聖人は、承安(じょうあん)三年(西暦1173年)、平安時代の末期に生まれました。出生の記録はありませんが、親鸞聖人の書物に記載された年月日と年齢から換算すると誕生の年が分かります。

誕生した日は、正確には不明ですが、江戸時代の真宗高田派の僧侶 五天良空(ごてんりょうくう)が書かれた『高田開山親鸞聖人正統伝』(しょうとうでん)という書物の中に、4月1日に誕生と記されています。

西本願寺を本山とする浄土真宗本願寺派では、旧暦の4月1日を太陽暦になおし、5月21日を親鸞聖人の誕生の日としています。

親鸞聖人のご誕生を祝う行事として、「降誕会」(ごうたんえ)という催しを開催しているお寺もあります。ちなみに信行寺では、「降誕会」に合わせて、お子様の誕生を祝う「初参式」(しょさんしき)をおこなっています。

◆親鸞聖人の幼少期

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さて、親鸞聖人の幼少期ですが、源氏と平家の争いがあり、政情が不安定化していました。また大地震や、京都市中での大火事も続き、人々は大きな悲しみや不安を抱えていたようです。

また、養和(ようわ)元年(西暦1181年)には、養和の大飢饉がおこり、死者は相当な数にのぼったといいます。鴨長明の『方丈記』には、養和の大飢饉の様子が記されています。日照りや台風や洪水などで、2年ほど農作物が全く実らなかったそうです。

さらには、そこに疫病も加わり、京都市中の道端に倒れている死者は4万人を超え、遺体が溢れ、異臭を放ち、目も当てられぬ状況だったそうです。河原に溢れかえる遺体を加えれば、その数はきりもないほどだと記されています。

このように、親鸞聖人の幼少期は、非常に混乱した時代だったようです。

この時代の様相を表す言葉に、末法という言葉があります。末法という言葉を聞かれたことはありますか。この時代の仏教の流れや社会の様子を理解する上で、末法は鍵となる考え方です。

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仏教には、お釈迦様が入滅され(亡くなられ)てから、時代が経過するごとに、時代は乱れ、濁りに満ちていくという歴史観、時代観があります。その末の世が末法で、濁りに満ち、乱れ切った時代だとされています。当時は、この末法の考え方が社会に浸透していたようです。

そして、親鸞聖人が生きた平安時代末期から鎌倉時代は、既に末法に入り、末法の真っただ中であったとされています。それは単に、仏教に末法という考え方があるといったものではなく、「今は末法の世だ」と人々が実感するほど混乱した時代であり、人々は大きな悲しみや不安を抱えていたと言います。

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鎌倉新仏教と言われるように、日本の仏教はこの時代に一斉に開花します。国家や一部の貴族階級のものだけでなく、悲しみや不安を抱えている多くの人々のために、広く開かれた仏教のあり方が模索されていきます。そうした中で誕生したのが、法然聖人の開かれた浄土宗でした。

浄土宗が開かれたのが、承安五年(西暦1175年)と言いますから、親鸞聖人が満年齢で2歳くらいの時ですね。法然聖人と親鸞聖人がお会いになるのは、まだ後のことですが、こうした末法という混乱の時代の中で、親鸞聖人は幼少期を過ごしておられます。おそらく、親鸞聖人は原体験として、末法の時代を生きているという実感があったのではないでしょうか。

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さらには、親鸞聖人の父である日野有範(ありのり)は役人でしたが、政治的なトラブルに巻き込まれたのではないかと言われています。親鸞聖人には弟が4人いますが、聖人も含めた5人全てが、お寺に預けられています。それはこの時代でも珍しいことだったようで、おそらく政治的な影響があったのだろうと言われています。

親鸞聖人もわずか9歳で、お寺に預けられました。今でいえば、小学校低学年くらいの年齢で親元を離れ、一人お寺に預けられていきました。その時の思いとはどういうものだったでしょうか。

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お寺に預けられたその日は、父の有範ではなく、伯父の日野範綱(のりつな)に連れられて、京都の青蓮院(しょうれんいん)というお寺に行ったそうです。ちょうど桜が咲き誇る春の頃で、お寺に着いた頃には夕方だったと言います。遅くになったから、また明日出直してきなさいとお寺の人に言われた親鸞聖人は、幼いながらにこのような詩を詠んだと伝えられています。

明日ありと思う心のあだ桜
夜半(よわ)に嵐の吹かぬものかは

美しく咲き誇る桜も、夜に嵐がくれば一晩にして散ってしまいます。自分のいのちもまた、明日を迎えることなく、儚く散ってしまうかもしれません。まさに末法という時代を過ごしてきた親鸞聖人は、幼いながらも、いのちのはかなさを感じていたのではないでしょうか。このうたには、そうした無常観が表れています。

「明日どうなるかは分かりません。ですから今日、出家をさせてください」。親鸞聖人は、そう言われたでしょうか。ここから親鸞聖人の出家時代が始まります。

◆親鸞聖人の誕生地

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さて、親鸞聖人はお寺に預けられるまでの幼少期は、現在の京都市にて過ごしたと言われています。ただし、誕生した場所の詳細は分かっていません。親鸞聖人は、著書を多く書いておられますが、ご自身のことをほとんど記されていないため、詳しいことが分からない部分があるのですね。

そこで、江戸時代の末期に、本願寺の第20代ご門主の広如上人(こうにょしょうにん)が調査を命じ、京都市の南に位置する伏見区の日野という場所を、親鸞聖人幼少の頃のゆかりの土地としたそうです。それで現在では誕生地とされています。

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その後、時代を経て昭和六年(西暦1931年)に「日野誕生院」として建物などが整備され、現在にいたっています。誕生院の隣にある「法界寺」(ほうかいじ)は、日野家の菩提寺とされています。親鸞聖人の父の日野有範という名前から分かるように、親鸞聖人の出身は日野家です。

この日野の地には、日野氏の土地があり、日野氏が別邸を建てたことから、日野の里ともよばれてきたそうです。ただ、このあたりの場所は、親鸞聖人の在世時は、普段生活する場所ではなかったようで、藤原家などがお墓や別荘をつくる場所だったようです。

そして親鸞聖人の父、日野有範は役人ですから、日野の地から都のほうまで毎日通うことは、距離的に難しいと考えられます。そのため、日野に日常的に住んでいたとは考えづらいようです。

ただし、親鸞聖人の幼少の頃は、源平の争乱の中であり、戦から逃れるために、一時的に日野へ避難されていた可能性は高いと言います。

そして、「法界寺」には、昔から大きな阿弥陀如来像が六体ほどあったそうです。そうすると、親鸞聖人も幼少期に、ひょっとするとその阿弥陀如来像に手を合わされ、仏様への思いを培われた可能性もあるのかもしれません。

この「日野誕生院」や「法界寺」、先ほどの「青蓮院」などは、親鸞聖人のゆかりの地となっていますので、京都に行かれることがあれば、是非訪ねてみてください。親鸞聖人を、より身近に感じていただけるかと思います。

今回は、親鸞聖人のご誕生と幼少期にスポットを当てて、親鸞聖人の生涯について見ていきました。どのようなことを感じられたでしょうか。

時代背景も眺めていくと、仏教やお寺がどのように人々の生活の中にあったかや、仏教が展開していく様子も垣間見えてきますね。またそこから、現代における仏教やお寺と私たちの関わり方のヒントも見えてくるようにも思います。色々と想像してみると楽しいですね。

次回も、親鸞聖人の生涯を見ていきたいと思います。


合掌
福岡県糟屋郡 信行寺(浄土真宗本願寺派)
神崎修生

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◇参照文献:
・『浄土真宗聖典』注釈版/浄土真宗本願寺派

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・『浄土真宗辞典』/浄土真宗本願寺派総合研究所
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