【正信偈を学ぶ】第42回_能発一念喜愛心〜如衆水入海一味_阿弥陀仏の慈悲を喜ぶ

【正信偈を学ぶ】シリーズでは、浄土真宗の宗祖である親鸞聖人が書いた「正信念仏偈」の内容について解説しています。 日々を安らかに、人生を心豊かに感じられるような仏縁となれば幸いです。

本日より、「正信偈」の「能発一念喜愛心」から「如衆水入海一味」までの四つ句を見ていきます。この四つの句は、阿弥陀仏という仏様が私たちに思いをかけてくださっている慈悲の心が表れているところです。内容を味わっていくほど、ありがたいと感じられる文章です。

今回は、その四つの句の中の「能発一念喜愛心」という句の意味について、見ていきます。テーマは「阿弥陀仏の慈悲を喜ぶ」です。それではさっそく見ていきましょう。

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◆「正信偈」の偈文

ではまず、今回見ていく「正信偈」の本文、書き下し文、意訳を見ていきましょう。まずは、本文からです。

能発一念喜愛心 不断煩悩得涅槃
(のうほついちねんきあいしん ふだんぼんのうとくねはん)
凡聖逆謗斉回入 如衆水入海一味
(ぼんじょうぎゃくほうさいえにゅう にょしゅしいにゅうかいいちみ)

次に、書き下し文です。

よく一念喜愛(いちねんきあい)の心(しん)を発(ほっ)すれば、煩悩(ぼんのう)を断ぜずして涅槃(ねはん)を得(う)るなり。
凡聖(ぼんしょう)・逆謗(ぎゃくほう)斉(ひと)しく回入(えにゅう)すれば、衆水(しゅすい)海に入りて一味なるがごとし。

次に、意訳です。

阿弥陀仏の救いを信じ喜ぶ心をいただくと、煩悩を断ち切れないままでも、浄土という仏の国に往き生まれ、安らかな仏のさとりをひらくことが定まるのです。
愚かなものでも、聖らかなものでも、様々な罪を犯したり、真実の教えをないがしろにするような生き方をするものでも、阿弥陀仏はひとしく思いをかけておられるのです。それはまるで、様々な川の水が海に流れ込み、一つの塩味となるようです。

◆阿弥陀仏の慈悲

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さてそれでは、「正信偈」の「能発一念喜愛心」という句の意味について、見ていきます。書き下し文では、「よく一念喜愛の心を発すれば」となっています。

「一念」とは、「一心に」とか、「二心のないこと」という意味です。「喜愛の心」とは、「阿弥陀仏が思いをかけてくださっていることを喜ぶ心」のことです。「信心」とも言われます。

ですので、「一念喜愛の心」とは、「阿弥陀仏が思いをかけてくださっていることを一心に喜ぶ心」という意味になります。意訳では、「阿弥陀仏の救いを信じ喜ぶ心をいただくと」と訳しています。

阿弥陀仏とは、浄土真宗において、ご本尊として敬われている仏様です。その阿弥陀仏とは、私たちのことをずっと思ってくださっている仏様だと言われます。阿弥陀仏が私たちのことを思ってくださっている、その心を慈悲とも言い、親心にも例えられます。

例えば若い方で、仕事で大変な思いをしながら、日々頑張っているという方もおられるでしょう。親の立場で、そうした我が子の姿を見たならば、このように思う方もいるのではないでしょうか。

「よく頑張っているね。あなたが頑張っているのはよく分かるよ。でも無理しすぎないでほしい。仕事で失敗しても大丈夫だからね。自分を労って大切にしてね」と、このような思いを抱く親御さんもおられるのではないでしょうか。そうした親心のような温もりを、慈悲というのですね。

先日、WBCという野球の国際大会が行われました。ご覧になったでしょうか。その後も、連日報道されておりますけれども、見事、日本のチームが優勝を果たしました。

見ていて驚いたのは、若い選手がとても多いことでした。ベテランの選手もいましたが、二十歳そこそこの選手も多かったですね。その若い選手たちが、日本という国を背負って、一生懸命プレーしている姿は、とても感動的でした。

日本のチームが優勝したことも嬉しいことでしたが、選手たちが一生懸命プレーしている姿だけでも、とても感動的なものがありました。

スポーツは勝ち負けがありますし、一生懸命やっていても、失敗もするものです。ピッチャーであれば、どんなに良い投球をしていても、一球の失投を打たれることもあります。素晴らしい打者でも、打席では打ち損じがあります。その失敗が、時にはチームの負けにつながることもあります。一生懸命やっていても、失敗もするし、負けることもあるのがスポーツですね。

しかし、打たれたとしても、打てなかったとしても、負けてしまったとしても、どうか胸を張って日本に帰ってきてほしい。新たなシーズンを迎えてほしい。WBCを見ながら、そのような親心のような思いを持った方も、多かったのではないでしょうか。

スポーツと同じように、私たちの仕事や生活においても、失敗することもありますね。一生懸命頑張っているのに、報われないなと思うこともあるでしょう。そのような時に、誰かがその頑張りを分かってくれているだけでも、気持ちが楽になることがあります。見てくれている人がいることが、支えになることがあります。

子どもも、誰かが見まもってくれているから、帰る場所があるから、思いっきり遊ぶことができるのですね。転ぼうとも、抱きしめて「よしよし」としてくれる人がいるから、思いっきり遊べるのですね。

もし、誰も自分のことを見てくれていないと感じたら、たとえ遊んでいても、心に寂しさを抱えながら過ごすことになるでしょう。もし、帰る場所がなければ、不安で遊ぶどころではないでしょう。

誰かが思いをかけてくれ、見てくれていると感じるからこそ、人は頑張れたり、思い切れるということがあるのですね。誰も分かってくれない。誰も関心を持ってくれていない。誰ともつながりを感じることがない。そうした孤立した状況では、寂しさや虚しさや絶望を感じます。

私たちが、日々を心安らかに、健やかに生きていく上で、誰かが思いをかけてくれていることや、つながりを感じられることは、とても大事なことなのでしょうね。

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慈悲とは、親心に例えられることがあります。阿弥陀仏とは、「あなたのことが大事だよ」と、私たちのことをずっと思ってくださっている、とても慈悲深い仏様だと言われます。

その阿弥陀仏の慈悲の心は、大慈悲、大悲とも言われます。慈悲の中でも、とても大きな慈悲だそうです。

「私はあなたのことを見まもっていますよ」「あなたがうまくいかなくても、私はあなたのことを見捨てはしません」「あなたが悩み苦しみの中にいれば、私は救わずにはいられません」「あなたが幸せでありますように。心安らかでありますように。私はそう願っています」。

阿弥陀仏とはこのように、いつもいつも思いをかけてくださっている仏様だと言われます。阿弥陀仏が私たちのことを思ってくださっている、その心を慈悲とも言い、それが大きなものであるということで、大慈悲、大悲とも言います。

そうした、阿弥陀仏が思いをかけてくださっていることを一心に喜ぶ心を、「一念喜愛の心」と言います。

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「正信偈」には、「能発一念喜愛心」「よく一念喜愛の心を発すれば」とありました。阿弥陀仏が思いをかけてくださっていることを知り、そのことを一心に喜ぶ心が「一念喜愛の心」です。そうした心が育まれていくことを、「能発一念喜愛心」「よく一念喜愛の心を発すれば」と記されています。

そして、この文の意訳は、「阿弥陀仏の救いを信じ喜ぶ心をいただくと」というような意味になります。

いかがだったでしょうか。今回は、「阿弥陀仏の慈悲を喜ぶ」というテーマで、「正信偈」の「能発一念喜愛心」という句の意味について見ていきました。皆様、どのように感じられたでしょうか。次回も続きを見ていきます。


合掌
福岡県糟屋郡 信行寺(浄土真宗本願寺派)
神崎修生

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