浄土真宗【正信偈を学ぶ】第39回_如来所以興出世~応信如来如実言_五濁①

【正信偈を学ぶ】シリーズでは、浄土真宗の宗祖である親鸞聖人が書いた「正信念仏偈」の内容について解説しています。 日々を安らかに、人生を心豊かに感じられるような仏縁となれば幸いです。

さてこの数回、「正信偈」の「如来所以興出世」から「応信如来如実言」までの四つの句について見ています。

今回は、「正信偈」の「五濁悪時群生海」という部分に出てくる「五濁」という言葉から、現代の私たちに引き寄せて「正信偈」を味わってみたいと思います。テーマは「五濁」です。それでは、さっそく見ていきましょう。

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◆五濁

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さて前回は、「正信偈」の「五濁悪時群生海 応信如来如実言」の句から、末法について見ていきました。

末法とは、お釈迦様が入滅されてから、かなりの時代が経ち、濁りに満ち、乱れ切った時代だとされています。仏教には、お釈迦様が入滅され(亡くなられ)てから、時代を経るごとに、時代は乱れ、濁りに満ちていくという歴史観、時代観があります。

親鸞聖人が生きた平安時代末期から、鎌倉時代は、既に末法に入り、末法の真っただ中であったとされています。それは単に、仏教に末法という考え方があるというだけでなく、その時代の様相がまさに末法だと感じられるほど動乱の時代でした。そうした内容を、前回見ていきました。

そして、この末法のような悪世に見られる五つの濁りのことを、五濁と言います。その五つとは、劫濁(こうじょく)、見濁(けんじょく)、煩悩濁(ぼんのうじょく)、衆生濁(しゅじょうじょく)、命濁(みょうじょく)の五つです。

浄土真宗で大切にしている『仏説阿弥陀経』というお経の最後のほうにも、この「五濁」が出てきます。『仏説阿弥陀経』には、「五濁悪世 劫濁 見濁 煩悩濁 衆生濁 命濁」と、このように出てきます。浄土真宗のお寺とご縁がある方は、お寺の法要やご法事などで、聞き覚えがあるかもしれませんね。

では、「五濁」とは具体的にどういうものなのでしょうか。ここから、一つひとつ意味を見ながら、現代の私たちに引き寄せて、「正信偈」を味わっていきたいと思います。

今回は、時間の関係で、「劫濁」と「見濁」についてお話し、次回以降にその続きを見ていきたいと思います。

◆劫濁

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さて、「五濁」の一つ目は、「劫濁」(こうじょく)です。「劫濁」とは、時代の濁りのことです。『浄土真宗辞典』には、「飢饉や疫病、戦争などの社会悪が増大すること」と記されています。

この「劫濁」に示される、飢饉や疫病、戦争などは、親鸞聖人が生きた当時の様相に、まさしく当てはまっています。

親鸞聖人の生きた時代の動乱については、前回お話しました。源氏と平家の争いや、養和の大飢饉や疫病などにより、京都の市中には遺体が溢れかえって、目も当てられないほどだったそうです。身近な人、知り合いなどが亡くなった方も多かったでしょうし、死という問題が間近に感じられる状況だったのではないでしょうか。

そうした時代の動乱ぶりから、今はまさに末法だと実感をする方も多かったと思われます。単に仏教に末法という考え方があるという以上に、今自分たちは末法の中にいるという実感とインパクトが、当時の人々にはあったのかもしれません。

少し私たちに引き寄せて考えてみると、この数年間、新型コロナウイルス感染症の流行によって、私たちもまさに激動の時代の中にあると感じる方も多いのではないでしょうか。パンデミックの当初には、イタリアでは医療従事者不足や病床がひっ迫し、医療崩壊が起きました。新型コロナウイルスによる感染者の治療ができないだけでなく、それ以外の疾患をもった方の治療もできないような状況になりました。日本でも、医療崩壊をいかにおこさないかと、総出で対策してきましたね。

この地球規模での感染症の流行という事態は、人類としてはかなり久しぶりのことでした。ですので、ここまで感染症が広がることや、医療体制が崩壊するかもしれないという状況は、コロナ禍より前は想像もしなかったように思います。しかし、それが現実のことになりました。特に疾患を持った方やご年配の方は、感染したら自分は亡くなるかもしれないと実感された方も多かったのではないでしょうか。

インドではデルタ株が猛威をふるました。感染者が爆発的に増加し、病院にも入れない方が多く出ました。数十万人が亡くなったと言います。日本でも、デルタ株は基礎疾患のない若い方でも、亡くなったり、重篤化した方もおられました。私の知り合いの方も数名、デルタ株に感染した方がおられました。未だに後遺症に苦しんでいる方もおられますし、当時の病院の様子は、大変多くの方が担ぎこまれ、凄まじいものがあったと言っておられました。

親鸞聖人の幼少期も、疫病や飢饉により、京都の市中だけでも数万人がなくなり、路地のそこかしこに遺体が横たわり、異臭をはなっているような状況だったと言います。それは、まるで地獄絵図とも表現されるようなものだったかもしれません。

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多くの人が、間近に死を感じたでしょうし、今をどう生き抜くかという問題と同時に、死後どうなっていくのかという問題にも直面したのではないでしょうか。

そのような中にあって、いのち尽きても安らかな仏の国に往き生まれることができるというお念仏の教えは、人々の心の依りどころとなったのではないでしょうか。お念仏の教えが、広がっていった背景には、そうした社会状況もあると考えられます。

また別の問題では、2022年にはロシアのウクライナ侵攻が始まりました。まさか、21世紀に入って、国家同士が戦争をするのを、目の当たりにするとは、多くの方が思わなかったのではないでしょうか。

他にも、日本は少子高齢化になっていますが、世界的には人口は増加をしていますので、食糧難が起こる可能性も指摘されています。地球温暖化によって、自然災害も多くなっています。この数年は激動の時代だったと、将来言われることでしょう。

「劫濁」とは、時代の濁りのことで、飢饉や疫病、戦争などの社会悪が増大することでした。現代もまさに、「劫濁」のような末法の中にあることを実感する、激動の時代を私たちは生きています。

◆見濁

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「五濁」の二つの目は、「見濁」(けんじょく)です。「見濁」とは、思想の乱れのことです。『浄土真宗辞典』には、邪悪な思想や見解がはびこることとあります。

激動、動乱の時代では、人々の生活は安定せず、不安は大きくなります。何か確かなものにすがりたいという思いを持つ方も多くなるでしょう。すると、そうした不安や、すがりたいという思いを、利用しようとするものも、出てきやすい状況です。

現代でも、人の不安をあおって高額な商品を購入させるような手口がありますね。人の不安を解消しようとするのではなく、不安を利用し、不安をあおって、何かを買わせようとする。その時に、不安をあおるような言葉や手口や思想が用いられます。そうした、人が不安になりやすい時ほど、人を惑わす誤った思想が広まる状況にあるのではないでしょうか。

また現代は、インターネットで誰もが簡単に情報を取得し、発信できる時代になりました。その分、誤った情報が発信され、拡散されることも多くなっています。フェイクニュースとも言いますね。

こうしたフェイクニュースは、意図的に流されることがあります。アクセス数を稼ぐために、嘘の情報を混ぜて発信されることがあります。世論を誘導する意図のもと、国家が偏った情報を流したり、情報を統制することもあります。また、ある国をかく乱させようと、他国からフェイクニュースが流されていることも指摘されています。

このように意図的に、誤った情報が発信、拡散されて、それによって世の中がさらに混乱していくということもあるでしょう。

そしてまた、こちらが正しいと言い争い、社会が分断されていくような事態も、絶えずおこっています。最近で言えば、新型コロナウイルスのワクチンが良いのか悪いのかというようなことであったり、原発の推進か反対かということであったり。アメリカで言えば、中絶を認めるか否かということであったり、アメリカやEUで言えば、難民をどの程度受け入れるのかということであったり。とあるテーマが社会を二分するような分断の状態が、世界各国で見られるような状況です。

そうした考え方の分断は、社会で見られるだけでなく、家族や親族や知人などの身近なところでも起こる可能性があります。

どちらが善いのか、悪いのか。どちらが正しいのか、間違っているのか。それは非常に難しいことですね。正義と悪が戦っているのではなく、お互いにとっての正義と正義、善と善がぶつかり合っている場合が多いわけです。

家庭においても、子どもの意見と親の意見が違うこともあるでしょうし、夫と妻の意見が違うこともあるでしょう。職場では、上司と部下で意見が違うこともあるでしょうし、本部と支部で意見が違うこともあるでしょう。こうした違いは、立場の違いが要因になっていることも多いものです。

どちらが正しいかは難しいけれど、お互いにどういうことを考え、思い、何を大切にしているのか。どこで折り合え、分かり合えるのか。私たちはそうした着地点を、対話を通して見つけていく必要があります。

対話の時に大切なのが、その姿勢です。自分が正しいからそれを押し通すという姿勢では対話はできません。政治や外交や交渉という点では、弱みを見せればやられてしまうというようなことはありますが、こと個人において、身近な他者と対話する時に大事なのは、お互いに理解しようとする姿勢であったり、相手を思いやる気持ちだったり、誠実さや信頼などではないでしょうか。それができないと、良い関係性を築くことは難しいものです。

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しかし、私たちはどこまでいっても、自分という立場からしか物事を見れないのかもしれない。そうした疑問を常に持っていたのが、親鸞という人だったと言われます。

自分という立場から物事を見て、自分が正しいと思い、無意識にもそれを相手に押し付けていく。そういう生き方を、私たちはしているのかもしれない。そうした見方が、お念仏の教えを聞いていく中で、育まれていきます。

この見濁とは、つまるところ、自分の立場から物事を見ていくことであり、自分にとって都合の良い考え方を広めたり、信じようとすることです。それがぶつかり合い、軋轢を生んだり、また偏った方向に人を陥れていくことがあります。

このような何が正しいかということに捉われず、偏った見方に陥らずに生きていこうとするには、どうすればよいのでしょうか。何か処方箋があるのでしょうか。

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偏った見方に陥らない、浄土真宗における処方箋とは、仏法を聞いていくことでしょう。仏法を聞いていく中で、自分の立場を超えた、仏様の視座、見方を知らされる。そして、利己的な自分の姿、あり方に気付かされ、偏った見方や生き方に陥ろうとする自分が転換させられていく。そうしたものがお念仏の教えでしょうね。

「五濁」の「劫濁」や「見濁」から思わされることは、末法という動乱の時代の中で、偏った見方や生き方に陥ってしまうという問題が指摘されているように感じます。

もっと簡単な言葉でいうと、自分の軸がないために、色々な考え方に惑わされたり、迷ったりしてしまうという問題です。私たちは、日々色々なことに迷ったり、戸惑ったりすることもあります。

末法のような動乱の時代、不安定な時代においては、不安が大きいですから、とりわけ迷い惑わされる可能性も高くなります。だからこそ、私たちは何を大切にし、何を依りどころとして生きていくのかが重要になります。

「正信偈」には、「五濁悪時群生海 応信如来如実言」という言葉が出てきます。意訳すると、「末法という濁りに満ち、乱れ切った時代を生きる人々は、お釈迦様がお勧めくださるお念仏の教えを信じ、依りどころとするべきです」という意味の言葉でした。

この言葉を、今回の内容に引き寄せて味わってみると、末法という動乱、不安定な時代において、迷いや悩みを抱えながら生きる人は、どうかお念仏の教えを依りどころとしてほしい。そのような思いが込められているように感じます。

偏った見方や生き方に陥りそうになったり、迷いや悩みを抱えながら生きている私たちです。その迷いや悩みの処方箋となるのは、仏法であり、お念仏の教えである。だから、どうかお念仏の教えを依りどころとして生きてほしい。そのような親鸞聖人の思いが込められているのが、「五濁悪時群生海 応信如来如実言」という言葉のように感じます。

いかがだったでしょうか。今回は、「五濁」というテーマで、「劫濁」と「見濁」から、現代の私たちに引き寄せて、「正信偈」を味わっていきました。皆様どのようなことを感じられたでしょうか。

次回も「五濁」の続きを見ていきたいと思います。本日も信行寺の「オンラインお寺参り」に、ようこそお参りくださいました。


合掌
福岡県糟屋郡 信行寺(浄土真宗本願寺派)
神崎修生

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・『浄土真宗聖典』七祖篇 注釈版/浄土真宗本願寺派
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南無阿弥陀仏