なぜ「戦争にしてはいけない」のか|戦争の悲惨さと平和の尊さを学ぶ【一口法話】

▼こちらの内容は動画でもご覧いただけます。

◆戦争へと向かってしまう人類

画像

ロシアによるウクライナ侵攻が始まり、今年(2026年)の2月24日で丸4年を迎えました。

4年という歳月が流れても、戦争の終わりはまだ見えていません。

ひとたび戦争が始まれば、それを終わらせることがいかに難しいか。

私たちは、その現実を目の当たりにしています。

国家間の緊張は高まり、世界は不安定さを増しているように感じられます。

私たち人類は、これまでどれほど戦争を繰り返してきたのでしょうか。

ある資料によれば、一万回以上も戦争をしてきたと言います。

その事実から思わされるのは、人類は放っておけば戦争へと向かってしまう存在なのではないか、ということです。

だからこそ私たちは、戦争の悲惨さや平和の尊さを学び続ける必要があるのではないでしょうか。

◆戦争の悲惨さを知る

画像

戦争の悲惨さとは、何でしょうか。

一つには、個人の自由や人権が尊重されなくなることが挙げられるでしょう。

どんな願いや思いがあっても、大きな流れに巻き込まれ、声が通らなくなります。

そして、個人の意見や生活は後回しにされます。

それが戦争の悲惨さの一つでしょう。

また、多くのいのちが犠牲になることも、戦争の悲惨さです。

昭和20年3月、福岡県の大刀洗飛行場周辺は大空襲を受けました。

立石小学校では、終業式の最中に空襲警報が鳴り、子どもたちは先生に引率され、急いで帰宅を始めます。

帰宅の途中、B29の空襲が始まり、ある地域の生徒たちは森の中に逃げ込みました。

しかし、その森の中に爆弾が落とされ、児童31名が命を落としました。

爆弾の跡には、直径15メートルほどの大穴が開き、その穴の周りには、生徒たちの亡骸があったと言います。

子どもたちは、訓練通り耳に指を当てて伏せた姿勢をとったまま、絶命していたそうです。

またあちこちで、「先生、先生」と苦しんで叫ぶ生徒の声が聞こえてきたと言います。

この子たちに何の罪があって、死ななければならなかったのでしょうか。

戦争は、未来を生きるはずだった子どもたちのいのちをも奪います。

そして今もなお、戦地では子どもたちをはじめ、多くの人のいのちが失われています。

戦争の悲惨さを知ると、私たちは「戦争をしてはいけない」「戦争にしてはいけない」と強く思わされます

◆戦争は煩悩を暴走させる

画像

親鸞聖人は、このような言葉をのこされています。

「さるべき業縁のもよほさば、いかなるふるまひもすべし」

(『歎異抄』「第十三条」)

この言葉から考えさせられるのは、人間とは、縁や状況が整えば、いかなるふるまいをもしてしまう存在であるということです。

戦争になれば、恐怖や怒り、憎しみといった感情にのまれ、煩悩が暴走をしやすい環境になります

普段であればはたらいていた理性がはたらかなくなり、自分や家族を守るために、相手を排除する側に、私たちが立ってしまうこともあるでしょう。

戦争になれば、相手も自分と同じように、恐れ、悲しみ、家族を思う人間であることが分からなくなります。

戦争は、人間から人間性を失わせていきます

それはまさに、奪い合い、争い合う、地獄に等しいものでしょう。

戦争は、人間の煩悩を暴走させ、社会を地獄にしてしまいます

そういう意味でも、「戦争にしてはいけない」のだと思わされます。

◆平和の尊さ

画像

平和は、自然に与えられるものではありません

努力なくして実現せず、努力なくして維持もできないものです。

世界の紛争地で、武装解除に取り組まれてきた瀬谷ルミ子さんという方がおられます。

瀬谷さんたちは、紛争が終わった後、現地で兵士たちから武器を回収して、一般市民として生活できるように職業訓練などをほどこし、社会復帰を支える取り組みを長年おこなわれてきました。

しかしその現場で、瀬谷さんたちは平和を実現する困難さに直面してきたといいます。

紛争があれば、生活を失い、身体の一部を失い、家族や友人のいのちを失う方が出ます。

その被害を受けた人々が、加害者となった人々と、同じ地域で隣人として暮らしていく。

それは簡単なことではないでしょう。

瀬谷さんは著書の中で、こう語っておられます。

「被害者たちは…「平和」という大義のために、加害者の裁きをあきらめ、理不尽さをのみ込み、自らの正義を主張することを身を切られる思いであきらめる。…日本には、当たり前のようにある「平和」という状況を、紛争地の人々は、我が身を削りながら、少しずつ積み上げて創り上げている」

(『職業訓練は武装解除』/瀬谷ルミ子)

平和が実現されるまでに、そこには裁きをあきらめ、理不尽さをのみ込むような苦しさがあるということを思わされます。

こうしたことから改めて考えてみると、この80年間、日本が平和の中にあったのは、「戦争をしてはならない」という先人の後悔と痛切な願い、そして平和を守ろうとする不断の努力があったからだと気付かされます。

けれども、私たちは日々の暮らしの中で、戦争の悲惨さや平和の尊さを忘れてしまうことがあります。

遠い国の出来事のように感じ、自分とは関係のないことのように思うことがあります。

しかし、もし無関心のままでいれば、また戦争のほうに向かっていくかもしれません。

だからこそ、平和は当たり前ではないことや、平和の尊さについて、折に触れて思い起こす機会をもつことが大切なのではないでしょうか。

私たちは、この80年間、平和を享受してきました。

そのことを噛みしめながら、この平和を子どもの世代、孫の世代にも、何とか受け継いでいきたいものです。

◆互いに慈しみ合う世界

画像

『仏説無量寿経』などのお経には、阿弥陀仏という仏様の浄土の世界観が説かれています

阿弥陀仏の浄土には、争いはなく、飢えることもなく、すべてが美しく、安らぎに満ちた世界であることが示されています。

暴力や飢えが身近にあった時代、いのちや生活を脅かされる現実の中で生きた人々は、そのような世界をどれほど切実に願ったことでしょうか。

暴力におびえることなく、飢えることなく、穏やかに1日を過ごすことができる。

そんな日々が、それほど貴重だったかと思わされるのではないでしょうか。

そして、なぜこの世に人間として生まれながら、互いに憎しみ、殺し合わなければならないのか

どうか互いを慈しみ合い生きてほしい

仏様は、そうした視点から、私たち人類のことを眺めているのかもしれません。

阿弥陀仏の願いに照らされるとき、私たちは、中々そうはなれない自分自身の姿や、世の中の現状を省みることがあります。

本願寺の前門主である即如門主は、このような言葉を述べられています。

「常に阿弥陀如来の大悲・智慧のお心に立ち返り、世界の人々が強い信頼で結ばれ、本当の平和がもたらされることを念願せずにはおれません。限られた資源を独占しようと貪る生き方、人間同士、分け隔てをし、優劣をつける心は、すべて争いにつながります。…世界の各地で争いの絶えない今、すべてのいのちを尊ぶ仏教の精神を身につけ、実践していくことこそ、私たちの課題であると申せましょう」

(「終戦50周年 全戦没者総追悼法要 ご親教」/大谷光真門主)

繰り返しますが、平和は、自然に与えられるものではありません。

努力なくして実現せず、努力なくして維持もできないものです。

世界が戦争へと向かいつつあるこの時代にあって、仏法に照らされながら、自分自身を省みつつ、戦争の悲惨さと平和の尊さを学び、語り継いでいきたいものです。

▼参照文献

職業は武装解除 (朝日文庫)link.amazon

792(2026年08月09日 06:32時点 詳しくはこちら)
Amazon.co.jpで購入する

合掌
福岡県糟屋郡 信行寺(浄土真宗本願寺派)
神崎修生

▼Youtube「信行寺 寺子屋チャンネル」
https://www.youtube.com/@shingyoji/
仏教や仏事作法について分かりやすく解説しています。

▼信行寺公式 LINEアカウント
https://lin.ee/53I0YnX
信行寺の日々や行事の情報などをお届けしています。

▼一口法話シリーズ
https://shingyoji.jp/category/shortdarmatalk/

■信行寺HP
https://shingyoji.jp

■Youtube
https://www.youtube.com/@shingyoji/
■Instagram(公式)
https://www.instagram.com/shingyoji.official/
■Instagram
https://www.instagram.com/shusei_kanzaki/

■X
https://twitter.com/shingyoji1610
■TikTok

https://www.tiktok.com/@shuseikanzaki
■Facebook
https://www.facebook.com/shingyoji18/
■note
https://note.com/theterakoya
■LINE
https://lin.ee/53I0YnX

南無阿弥陀仏