お寺で勤めていますと、日頃から多くの方のご葬儀やご法事をお勤めさせていただく機会があります。
そして、ご葬儀やご法事を通して、亡くなられた方への思いや思い出話を伺うことも多いです。
「大切な人との別れを、どのように受けとめたら良いのか」。
この問いは、この世を生きる私たちにとって、大きな問いではないでしょうか。
そしておそらく、人類がずっと抱えてきた問いでもあります。
亡くなった方が、自分にとって大切な方であればあるほど、その方との別れをそのままにはできません。
大切な人との別れを受けとめ直し、つながり直すことを、私たちは必要とします。
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先日、ある方の七回忌を、お勤めさせていただきました。
50代で亡くなられた男性の七回忌でした。
その方には、奥様と3人のお子様がおられます。
男性が亡くなられた時、お子様はまだ学生でした。
奥様は、お連れ合いを亡くした悲しみと共に、「子どもたちを抱えて、この先どうしていったらいいのだろうか」という不安もあられたのではないかと思います。
ただ、七回忌の時に、その奥様がこのようにおっしゃっていました。
「七回忌になりますが、今ではあの人が近くにいてくれることを実感しています。そのことが支えになって、今日までやってこれました」。
その言葉に、これまでの様々な思いが込められていることを感じました。
亡くなった方が、自分にとって大切な方であればあるほど、私たちはその方との別れをそのままにはできません。
大切な人との別れを受けとめ直し、つながり直すことを必要とします。
大切な人が、亡くなっても近くにいてくれるように感じる。
大切な人が見まもってくれている。
例えば、そのように実感できることが、私たちの生きる支えになることがあります。
それは、亡くなった大切な方のことを受けとめ直し、つながり直す営みでもあります。
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日本では昔から、亡くなった人を近くに感じてきたようです。
例えば、亡くなった人が近くでみまもっていて、お盆などにかえってくるというような考え方が昔からあります。
また、今から1500年ほど前に、日本に仏教が伝わります。
仏教にも様々な種類の教えがありますが、その中に浄土教という系統の教えがあります。
浄土教では、この世でのいのち尽きれば、阿弥陀仏という仏様の極楽浄土へ往き生まれるという考え方を大切にしてきました。
浄土真宗も、この浄土教という教えの流れをくむ宗派です。
日本に昔からある考え方と、阿弥陀仏の浄土へ往き生まれるという浄土教の考え方などが混ざり合い、日本における死後の世界観が形作られていったと言われます。
「大切な人との別れを、どのように受けとめたら良いのか」。
この問いは、この世を生きる私たちにとって、大きな問いです。
そしておそらく、人類がずっと抱えてきた問いでもあります。
「大切な人が、亡くなっても近くにいてくれるように感じる」「大切な人が見まもってくれている」。
死後の世界観について、様々な考え方がありますが、例えばこのように、亡くなられた方のことを近くに感じることで、私たちの生きる支えになることがあります。
それは、亡くなった大切な方のことを受けとめ直し、つながり直す営みでもあります。
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いかがだったでしょうか。
今回は、「大切な人に見まもられて」というテーマで、お話をさせていただきました。
皆様、どのようなことを感じられたでしょうか。また是非、感想などもお聞かせください。
合掌
福岡県糟屋郡 信行寺(浄土真宗本願寺派)
神崎修生
▼一口法話シリーズ
一口法話|神崎修生@福岡県 信行寺|note
南無阿弥陀仏