お墓参りやお盆参りなど、日本では昔から、お盆に手を合わせるという文化があります。
先に往かれた方を近くに感じ、受け止め直していく。そうして心が安らぎ、温かくなる。お盆の文化は、そんな先人の智慧の営みなのでしょうね。
信行寺のお盆の法要では、そのようなお話をしました。動画と文章にまとめましたので、宜しければご覧ください。
▼動画はこちら
◆大切な方との別れ
皆様、信行寺の盂蘭盆会(お盆の法要)に、ようこそお参りくださいました。
お盆はご先祖や大切な方が近くに感じられる季節として、日本では古くから大切にされてきました。
お盆の季節になれば、お墓参りや納骨堂のお参り、お盆参りなどをして、手を合わせ、大切な方を偲びます。
大切な方を失って、どのように受け止めたらよいか。これは、人類がずっと抱えてきた大きな問いです。
先人は、お盆などに手を合わせることを通して、大切な方との別れを、受け止め直してきたのでしょうね。
◆大切な方に見まもられている
以前、十三回忌のお勤めをさせていただいた時に、印象的なことがありました。70代の男性がお亡くなりになられてから、十三年目のご法事でした。
ご法事が終わった時に、亡くなられた方のご長女様が寄ってこられ、このようにおっしゃいました。
「今日は父も喜んでいると思います」。
私はこの言葉を伺って、とても温かい受け止め方だと思いました。
「今日はよく集まってくれたな」。「よく手を合わせてくれたな」。
そのようなお父様の姿が思い浮かんだのでしょうか。
「今日は父も喜んでいると思います」。
そのように、「亡くなられた方が、今も見まもってくれている」と受け止めていくところに、私たちの心が安らいだり、温かくなることがありますね。
大切な方を失って、どのように受け止めたらよいか。これは、人類がずっと抱えてきた大きな問いです。
私たちは大切な方を失って、「遠くにいってしまった」「もう会えない」という思いを抱きます。
しかし、「きっと今も見まもってくれている」。そうした受け止め方に、心が安らぎ、心が温かくなることがあります。
◆お浄土へ往き仏様となる
この世でのいのち尽きても、仏さまのお浄土という安らかなところに往かせていただく。そして、仏さまとなって、今度は縁のある人を見まもっていく。
浄土真宗の宗祖である親鸞聖人が読まれた和讃といううたには、そのような内容が記されています。
今日はお盆でございますね。大切な方とただ別れていったのではなく、死が死で終わるのでもない。
大切な方がお浄土に往き生まれ、仏さまとなって、見まもってくださっている。
私たちは大切な方を近くに感じたり、見まもられていると受け止めていくところに、心が安らぎ、心が温かくなることがあります。
今日は、信行の盂蘭盆会(お盆の法要)を通して、大切な方を偲びながら、共に手を合わせていただきました。本日もようこそ、お参りくださいました。
合掌
福岡県糟屋郡 信行寺(浄土真宗本願寺派)
神崎修生