信行寺で開催している「朝参り」では、皆様の心が少しでも安らぐようなご縁となればと思い、法話をしております。動画と文章でご覧いただけるようにしましたので、宜しければご覧くださいませ。

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皆様、本日も信行寺の「朝参り」に、ようこそお参りくださいました。

「朝参り」では、短い法話をしております。法話を通して、少しでも心が安らいだり、一日、一カ月を心新たに過ごすようなご縁となれば幸いです。

さて本日は、「自是他非」(じぜたひ)という仏教の言葉を紹介させていただこうと思います。

「自是他非」とは、「自らを是とし、他を非とする」ということです。

「是」とは「正しいこと」、「非」とは「間違っていること」ですから、「自是他非」とは「自らを正しいとし、他を間違っているとする」ということです。

「自分は正しい」「人は間違っている」。私たちは、そうした偏った見方をしてしまう習性があることを表した言葉が、「自是他非」という言葉です。そして、そうした自分の習性は、中々気付きづらいですね。

親鸞聖人や法然聖人が尊敬された、中国の高僧に善導大師という方がおられます。その善導大師が、『観経四帖疏』という書物の中で、自是他非という私たちの偏った見方について指摘されています。

確か新聞の投稿欄に書いてあったことだったと思いますが、70代の男性のお話です。その70代の男性は、これまでの自分の言動について、最近考えるようになったと書いてありました。

その70代の男性には40代の息子さんがいるそうですが、その息子さんから自分の言動について指摘されたことが、考えるきっかけとなったそうです。

息子さんが言われた内容が、書いてありました。

「お父さんは、僕が発言している時に、それを遮って自分の意見を言うよね。そういう言い方をしたら、言われた相手は否定された気持ちになったり、嫌な気分になるよ。まずは僕の意見をしっかりと聞いて、一旦受け止めてほしい。自分の意見を言うなら、しっかり聞いた後で、こういう意見もあるよと付け加えるようにしてほしい。そう言われたほうが、お父さんの意見を素直に聞ける」。そういうことを、息子さんから折に触れて言われるようになったそうです。

70代の男性は、息子さんから指摘されてから、これまでの自分の言動を振り返ってみると、確かに指摘された通りだったと言うんですね。これまでは相手がどう思うかはあまり考えずに、自分の意見をポンと言うことが多かったそうです。それは自分の性分で、自分はただ思ったことを言っているだけで、相手のことを否定するつもりも全くなかったと言います。

しかし、これまでの自分の言動が、多くの人の思いを傷付けてきたのかもしれない。言おうとしてきたことを遮ってきたのかもしれない。そう思うようになったそうです。そして、それからというもの、自分の言い方を気を付けたり、また相手が何を思っているかを考えるようになったそうです。

私たちは、「自分は正しい」「人は間違っている」というような、偏った見方をしてしまう習性がある。そのような意味の言葉が、「自是他非」という言葉でした。

相手の思いに耳を傾けることなく、自分の意見を言うばかりだと、相手は否定された気持ちになり、嫌な気分になります。その意見がたとえ正しいものだったとしても、自分のことを否定されたと感じたら、相手はその意見を聞き容れることはありません。親子関係でも、友人関係でもそうですね。そして、この人には言ってもしょうがない、言いたくないと思って、本音を言ってくれなくなります。

私たちの持つ「自分は正しい」という見方は、あまりに自然に身についていて、それに中々気付くことができません。ですから、そのことを私たちは日頃から気を付けておく必要があるのでしょうね。

そして、お念仏の教えを聞いていくことも、そうした偏った見方を自分はしていないかと確認をする機会となり、気付くきっかけにもなると言われます。

親鸞聖人の記された『教行信証』という書物に、このような言葉があります。

無礙(むげ)の光明は無明(むみょう)の闇(あん)を破する恵日(えにち)なり。

(『教行信証』「総序」/親鸞聖人)

無礙の光明という言葉は、阿弥陀仏の光のことであり、お念仏の教えのことです。そして、無明の闇とは、自分中心の生き方をしている状態のことを言います。今日の話でいえば、「自分は正しい」「人は間違っている」とする、自是他非のあり方のことです。そして恵日とは、智慧の光のことです。

阿弥陀仏の光、お念仏の教えは、「自分は正しい」「人は間違っている」とする偏った見方に気付かせる智慧の光だと言います。

これまでの自分の言動によって、人の思いを傷付けてきたのかもしれない。そう気付かされた時に、相手のことをこれまでよりも理解しようとし、人の痛みにも敏感になります。

私たちは「自分は正しい」と思いがちであることを意識し、相手の思いに耳を傾けようとする。それだけでも、相手の自分に対する印象は良いものになるでしょうし、相手の見え方も変わってきます。私も気を付けたいと思います。

今回は、「自是他非」という仏教の言葉を紹介させていただきました。

皆様、どのようにお感じになられたでしょうか。また是非、ご感想もお聞かせください。

本日も信行寺の朝参りに、ようこそお参りくださいました。


合掌
福岡県糟屋郡 信行寺(浄土真宗本願寺派)
神崎修生

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