【正信偈を学ぶ】シリーズでは、浄土真宗の宗祖である親鸞聖人が書いた「正信念仏偈」の内容について解説しています。 日々を安らかに、人生を心豊かに感じられるような仏縁となれば幸いです。

さてこの数回、「正信偈」の「如来所以興出世」から「応信如来如実言」までの四つの句について見ています。今回は、その中の「五濁悪時群生海 応信如来如実言」の句に込められた心を、見ていきたいと思います。

テーマは「末法」です。それでは、さっそく見ていきましょう。

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◆末法

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まず、「五濁悪時群生海 応信如来如実言」という言葉をご覧ください。この言葉を書き下すと、このようになります。

「五濁(ごじょく)悪時の群生海(ぐんじょうかい)、如来如実(にょじつ)の言(みこと)を信ずべし」。

「濁りに満ち、乱れ切った時代を生きる人々は、お釈迦様がお勧めくださる真実の教えを信じ、依りどころとするべきです」。今回は、この言葉の意味を味わっていきます。

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さて、お釈迦様が入滅され(亡くなられ)てから、時代を経るごとに、時代は乱れ、濁りに満ちていくという仏教の歴史観、時代観があります。こうした考え方を三時とも言い、お釈迦様以後の時代を大きく三つに区分しています。

お釈迦様入滅後、最初の時代を正法(しょうぼう)と言います。この時代は、お釈迦様が説かれた教え(教)も、教えの実践法(行)も、さとりをひらく人(証)もある時代とされています。諸説ありますが、正法はお釈迦様入滅後、500年か1000年とされています。

次の時代を像法(ぞうほう)と言います。像法は、教え(教)と実践法(行)は残っていますが、さとりをひらく人(証)がない時代とされています。像法は、正法の後の1000年とされています。

そして、三つの目の時代を末法(まっぽう)と言います。末法は、教え(教)だけが残り、実践法(行)もさとりをひらく人(証)もない時代とされています。末法は、像法の後の1万年とされています。

そして、この末法という時代が、濁りに満ち、乱れ切った時代だとされています。お釈迦様が入滅され(亡くなられ)てから、時代を経るごとに、時代は乱れ、濁りに満ちていくという仏教の歴史観、時代観があるんですね。

そして、親鸞聖人が生きた平安時代末期から、鎌倉時代は、既に末法に入り、末法の真っただ中であったとされています。それは単に、仏教に末法という考え方があるからそうだというだけでなく、その時代の様相がまさに末法だと感じられるほど動乱の時代であったようです。

◆末法に生まれた親鸞聖人

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親鸞聖人は、承安(じょうあん)三年(西暦1173年)、平安時代の末期に生まれました。幼少期は現在の京都市にて過ごしたと言われています。

親鸞聖人の幼少期は、源氏と平家の争いがあり、政情が不安定化し、混乱した時代でした。また大地震や、京都市中での大火事も続き、そうした出来事が人々に末法の時代の到来を印象付けたとも言われています。

また、養和(ようわ)元年(西暦1181年)には、養和の大飢饉がおこり、死者は相当な数にのぼったといいます。鴨長明の『方丈記』には、養和の大飢饉の様子が記されています。日照りや台風や洪水などで、2年ほど農作物が全く実らなかったそうです。

さらには、そこに疫病も加わり、京都市中の道端に倒れている死者は4万人を超え、遺体が溢れ、異臭を放ち、目も当てられぬ状況だったそうです。河原に溢れかえる遺体を加えれば、その数はきりもないほどだと記されています。

こうした出来事が重なり、時代の様相はまさに末法のごとくであり、人々は末法の中にいることを実感したのではないでしょうか。

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親鸞聖人は、幼少期をそうしたまさに末法という時代の中で過ごしています。原体験として、末法の時代を生きているという実感があったのではないでしょうか。

さらには、親鸞聖人の父である日野有範(ありのり)は、政治の関係でトラブルに巻き込まれたのではないかと言われています。そうしたことから、親鸞聖人の兄弟の男性全員が、お寺に預けられています。

親鸞聖人もわずか9歳で、お寺に預けられました。今でいえば、小学校低学年くらいの年齢で、家族のもとを離れ、一人お寺に預けられていきました。

伯父の日野範綱(のりつな)に連れられ、お寺に着いた頃には夕方だったと言います。遅くになったから、また明日出直してきなさいと言われた親鸞聖人は、このような詩を詠んだと伝えられています。

明日ありと思う心のあだ桜
夜半(よわ)に嵐の吹かぬものかは

明日もあると思っていたら、夜のうちに嵐がくれば、このいのちは桜のように散ってしまいます。そのような内容の詩でした。

美しく咲き誇る桜も、嵐がくれば一晩にして散ってしまいます。私たちのいのちもまた、今は元気に思えても、何かがあれば儚く散ってしまうかもしれません。まさに末法という時代を過ごしてきた親鸞聖人は、幼いながらも、このいのちのはかなさを感じていたのではないでしょうか。

そしてだからこそ、今仏門に入るというご縁を、特別に感じていたかもしれません。

◆時機相応の教え

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親鸞聖人はその後、比叡山にて約20年間、仏法を学び、仏道修行に励みます。しかし、どれだけ仏法を学び、修行に励もうとも、いっこうにさとりをひらけない。欲や怒りや愚かさといった煩悩から離れられない。そんな自分自身に、親鸞聖人は深く悩みます。そして29歳の時に、失意と絶望の中、比叡山を下山したと伝わっています。

その後、親鸞聖人は法然聖人のもとで、お念仏の教えに出遇います。それから、お念仏の教えを生きる依りどころとされるようになったことは、前回お話した通りです。

末法とは、お釈迦様が入滅されてからかなりの時代が経ち、教え(教)だけが残り、実践法(行)もさとりをひらく人(証)もない時代でした。

親鸞聖人は、自らの力ではさとりをひらけないという経験からもまた、末法に生きていることを実感したのではないでしょうか。さらには、まさに末法という時代の中を過ごした幼少期の経験も、親鸞聖人が末法を実感する上で、大きな出来事だったことでしょう。

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時はまさに末法。末法の中にあって、阿弥陀仏に救われていくというお念仏の教えは、時機相応の教えではないか。時機相応の時とは、時代のこと。機とは、人々の資質のことです。時代が乱れ、人々の資質が低下している末法という時代にあって、それに相応した教えとは、お念仏の教えであった。

親鸞聖人は、幼少期の経験や比叡山での修行時代、またお念仏の教えとの出遇いによって、そうした実感を深めていったのではないでしょうか。そして、末法の中で生きる自分自身が、お念仏の教えに出遇えたことを、何より喜んでいったのでした。

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「正信偈」の「五濁悪時群生海 応信如来如実言」という言葉を、今一度見てみましょう。

「濁りに満ち、乱れ切った時代を生きる人々は、お釈迦様がお勧めくださる真実の教えを信じ、依りどころとするべきです」。

このような意味の言葉でした。

ここに出てくる「五濁悪時」とは、末法のことです。ですので、「五濁悪時群生海」という言葉は、「末法という濁りに満ち、乱れ切った時代を生きる人々は」という意味になります。

そして、「如来如実言」とは、お念仏の教えのことです。ですので、「応信如来如実言」という言葉は、「お釈迦様がお勧めくださるお念仏の教えを信じ、依りどころとするべきです」という意味になります。

お念仏の教えとの出遇いを通して、自らの幼少期や比叡山での修行時代を振り返ってみれば、まさに末法の時代を生きていたのではなかったか。そして、今もまさに末法の只中である。そうした末法の時代においては、お念仏の教えが時機相応の教えである。だからこそ、この末法を生きる人々は、お釈迦様が説かれたお念仏の教えを信じ、依りどころとしてほしい。

「正信偈」の「五濁悪時群生海 応信如来如実言」という言葉には、親鸞聖人のそのような思いが込められているように思います。

いかがだったでしょうか。今回は、「末法」というテーマでお話させていただきました。次回も、続きを見ていきたいと思います。


合掌
福岡県糟屋郡 信行寺(浄土真宗本願寺派)
神崎修生

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