【正信偈を学ぶ】シリーズでは、浄土真宗の宗祖である親鸞聖人が書いた「正信念仏偈」の内容について解説しています。 日々を安らかに、人生を心豊かに感じられるような仏縁となれば幸いです。

さて今回は、「正信偈」の「成等覚証大涅槃 必至滅度願成就」という二句について、見ていきます。

「成等覚証大涅槃」の句には、救いと利益という、お念仏の教えの根幹ともいうべき内容が示されていました。そのため、回を重ねながら、「成等覚証大涅槃」という句について、詳しく見てきました。

ですが、「成等覚証大涅槃 必至滅度願成就」というこの二句は、二つの句で一つの文になっています。本来は二句を併せて見ていく必要があります。

ですので今回は、この二句を併せて見ていき、その内容をまとめていきたいと思います。テーマは、「生きる意味」です。

今回の前半でこの二句の構成を見ていき、後半では内容を深く味わっていきます。前半は、仏教用語が出てきて、難しく感じられるかもしれませんが、是非最後までご覧いただければと思います。

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◆後生の救いと現生の利益

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まずは、「成等覚証大涅槃 必至滅度願成就」の二句の構成を見ていきます。この句を書き下すと、このようになります。

「等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願(第十一願)成就なり」

「等覚を成る」ことも、「大涅槃を証する」ことも、「必至滅度の願」(第十一願)が成就されたことによるという意味の文章になります。

「大涅槃を証する」とは、「安らかな仏のさとりをひらく」ことでした。この世でのいのち尽きた後に、阿弥陀仏の浄土へと往き生まれ、安らかな仏のさとりをひらく。そのことが、「証大涅槃」(大涅槃を証する)という言葉の意味になります。

この「証大涅槃」は、この世でのいのち尽きた後のことですから、「後生の救い」(この世でのいのち尽きた後の救い)とも言われます。

また、「等覚を成る」とは、「仏のさとりに等しい位に成る」ことでした。これは、「証大涅槃」という「安らかな仏のさとりをひらく」ことが、今の現生で定まるということを表しています。

後生の救いが、現生で定まる。いのち尽きた後の救いが、この世を生きている間に定まる。そのことを、「成等覚」という言葉で示されています。そして、この「成等覚」とは、現生(この世)を生きている間の利益ということで、「現生の利益」とも言われます。

つまり、「正信偈」の「成等覚証大涅槃 必至滅度願成就」の二句で言われていることは、「成等覚」という「現生の利益」も、「証大涅槃」という「後生の救い」も、「必至滅度の願」(第十一願)が成就したことによるということです。

「成等覚」という「仏のさとりに等しい位に成る」ことも、「証大涅槃」という「安らかな仏のさとりをひらく」ことも、「必至滅度の願」(第十一願)に願われ、その願いが完成し、成し遂げられたことによるということです。

仏教用語が出てきて、詳しい意味を理解しようとすると難しいかもしれませんが、ここではまずこの二句の構成をご理解いただければ大丈夫です。構成自体はそう難しくありません。

「成等覚」という「現生の利益」も、「証大涅槃」という「後生の救い」も、「必至滅度の願」(第十一願)が成就したことによるということです。

つまり、私たちがお念仏の教えに出遇うことによる救いや利益が、この句には示され、その救いや利益は「必至滅度の願」(第十一願)が成就したことによることが、この二句には示されているということです。

◆必至滅度の願

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では、「必至滅度の願」とは何かというと、阿弥陀仏の四十八の願いの中の一つで、「第十一願」のことです。

阿弥陀仏は、迷い苦しむものたちを救うために、「私はこのような仏になりたい」と願われて、四十八の願いを建てられました。そうした内容が、浄土真宗で大切にされているお経『仏説無量寿経』に説かれています。

その阿弥陀仏の四十八の願いの中の十一番目の願いを「第十一願」と言い、別名「必至滅度の願」とも言われています。そしてこの「必至滅度の願」(第十一願)には、人々に「仏のさとりに等しい位に成らせたい」「安らかな仏のさとりをひらかせたい」という阿弥陀仏の願いが説かれています。

つまり、「必至滅度の願」(第十一願)には、「正信偈」の「成等覚証大涅槃」と同じ内容が説かれています。厳密にいうと、「必至滅度の願」(第十一願)には、「成等覚証大涅槃」という言葉とは違う言葉が使われていますが、意味としては同じことが説かれています。

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「成等覚証大涅槃」という句には、私たちがお念仏の教えに出遇うことによる救いや利益が示されていますが、その救いや利益は、「必至滅度願成就」とあるように、阿弥陀仏の願いである第十一願が成就したことによるということです。

仏教の専門用語で書かれていますが、結局、この二句で言われていることは何かというと、阿弥陀仏という仏様とは、迷い苦しむものたちを救いたいと願われている仏様だということです。

そしてもっと言うと、この私たちを救いたいと願われている仏様だということです。そうした阿弥陀仏の慈悲の心が、「成等覚証大涅槃 必至滅度願成就」という二句には表されているということです。

◆生きる意味

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ここまで、「成等覚証大涅槃 必至滅度願成就」の二句の構成を見てきました。ここからは、この二句の意味について、味わっていきたいと思います。

さて、考えてみると私たちは日々、何のために生きているのでしょうか。この人生を何のために、どこに向かって生きているのでしょうか。そう言われて、さっと答えられる人は少ないかもしれません。

仕事のため、家族のため、趣味のため、健康のため、夢のため、そうしたことのために生きているという方もあるでしょう。仕事や家族、趣味、健康、夢といったことに生きる意味を感じたり、自分の役割を感じることもあるでしょうね。

しかし、それらが思うようにできなくなったり、人生の節目のタイミングで、私たちは悩み、迷うことがあります。

健康でいたいが病気になってしまう。子どもがほしいけれど中々授からない。若くいたいが歳をとってしまう。余裕がある生活をしたいけれど、そんなにお金は入ってこない。歳をかさねれば、あちこちが痛くて身体も動かなくなってくる。最愛の人を亡くす。

思うようにならない現実、自分の望んだこととは違う現実を経験するたびに、私たちは悩み、迷うことがありますね。

私たちは、この人生に意味を求めながらも中々見出せず、幸せを感じるような時には人生に納得し、思うようにいかない時にはまた人生に迷うことがあるのでしょう。

私たちは日々、何のために生きているのでしょうか。この人生を何のために、どこに向かって生きているのでしょうか。そう考えると、とても難しいですね。さらには、この人生は自分の意思で始めたわけでもなく、事前に準備して始めたものでもない。だから余計に難しく、迷うのですね。

お念仏者の方で、向坊弘道(むかいぼうひろみち)さんという方がおられました。2006年に67歳でご往生されたとのことで、私は直接お会いしたことはありません。

しかし、向坊先生のことは、色々な方からよくお話を伺います。こちらをご覧の方の中には、先生とお会いになり、お話を伺ったことがある方もおられるかもしれません。私は、動画や文章を通して、向坊先生のご法話を伺ったことがあります。

向坊先生は、20歳の頃に交通事故で首の骨を折り、下半身や腕に麻痺が残り、身体を思うように動かせない状態でいらっしゃいました。「なぜいのちがあったのだろうか」「あの時に死んでしまったほうが良かったのに」。苦しみの中で何度もそう思ったそうです。特に怪我をされてからの10年間は、絶望や苦しみの中、怒ったり、愚痴をいったりして、家族にも迷惑をかけてばかりだったといいます。

しかし、お念仏の教えに出遇われ、仏法を聞いていく中で、身体の不調を抱えながらも、苦しさよりも希望や明るさのほうが大きくなってきた、そのような人生に転換せしめられたとおっしゃっていました。

自分は何のために生きているのか。自分はどこにいくのか。

阿弥陀様の慈悲とは、そうした真理を知らしめようとされていた。そうしたことに、徐々に気付かされていったといいます。そして、人生を振り返ってみると、阿弥陀様のお慈悲の中に生かされてきて、「良かったな」「おかげさまで」という心境だとおっしゃっていました。

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仏様とは、人生に迷う私たちを見て、迷いの方向ではなく、真実の方向へと歩みを進めてほしいと願われている方だといいます。そして、生まれてきて良かった、生きてきて良かったと、深く頷き喜べる人生を生きてほしいと願われている方だといいます。

挫折や絶望や苦しみを経験しながらも、それらが「生きる意味」を考えさせ、真実の道へと歩みを進めさせる逆縁となる。

向坊先生は、交通事故も含めて、一つの無駄もなかったんだなあと味わっておられました。

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迷い苦しみながらも、お念仏の教えに出遇い、お念仏の道を歩み、浄土へと歩みを進めていく。そして、安らかな仏のさとりをひらき、仏となっていく。お念仏の教えを聞いていく中で、私たちはそういう人生を生きていることが知らされ、迷いの人生から、さとりの人生へと道がひらかれていくことがあります。

思うようにいきますようにと望む自らのはらかいの中に、「生きる意味」を見出してきた人生から、思うようにいかない中にも、自らのはからいを超えたもっと大きなものの中に生かされている人生だったと喜んでいくような「生きる意味」がひらかれてくる。

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利己的な自らのはからいの中で生きる人生から、他力の大きなはたらきの中で生かされている人生であったと、「生きる意味」が転換されていく。

私たちは、そういう人生をいただき生きている。だから真実の道へと人生の歩みを進めてほしい。そうした阿弥陀仏の願いや親鸞聖人の思いが示されているのが、「正信偈」の「成等覚証大涅槃 必至滅度願成就」の二句ではないかと思います。

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「証大涅槃」とは、「安らかな仏のさとりをひらく」ことでした。そして、「成等覚」とは、「仏のさとりに等しい位に成る」ことでした。この世でのいのち尽きた後に、阿弥陀仏の浄土へと往き生まれ、安らかな仏のさとりをひらかせていただく。

しかしそれは、死後のことだけではなく、お念仏の教えに出遇い、聞いていく中で、仏のさとりをひらくことが、今生において、この人生を生きている中で定まっていくということでした。仏のさとりをひらくことが定まっていくことを、「人生の目的地が定まる」、「生きる方向性が定まる」という言葉で、前回お話しました。

私たちは日々、何のために生きているのでしょうか。この人生を何のために、どこに向かって生きているのでしょうか。それを示されているのが、仏教であり、お念仏の教えでもあります。

お念仏の教えに出遇い、聞いていく中で、「生きる意味」が知らされ、「人生の目的地」「生きる方向性」が定まっていく。そうしたことが、「成等覚証大涅槃 必至滅度願成就」の二句に示されています。

いかがだったでしょうか。今回は、「成等覚証大涅槃 必至滅度願成就」について、「生きる意味」というテーマでお話させていただきました。

数回をかけて、「本願名号正定業」から「必至滅度願成就」までの四句の内容を味わってきました。数句、数文字というわずかな言葉の中にも、阿弥陀仏の願いや親鸞聖人の思いといった、とても深いものが込められていることを、改めて感じさせていただきました。皆様はどのようにお感じでしょうか。

この内容の深みを、私の解説ではとてもではないですがお伝えしきれなかったことと思いますが、できる範囲でお話をさせていただきました。一旦、「本願名号正定業」から「必至滅度願成就」までの四句の内容はここまでにさせていただきまして、次回は次の句から見ていきたいと思います。


合掌
福岡県糟屋郡 信行寺(浄土真宗本願寺派)
神崎修生

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