信行寺 秋季彼岸法要
令和3年(2021)3月21日
法話:角道宏師(浄土真宗本願寺派 徳勝寺)

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◆御讃題
生死(しょうじ)の苦海(くかい)ほとりなし
ひさしくしづめるわれらをば
弥陀弘誓(みだぐぜい)のふねのみぞ
のせてかならずわたしける

 

◆意訳
生まれかわり死にかわりしてきたこの苦悩の人生は、まるで果てしない苦しみの海を航海しているようなものです。
遠い過去から苦しみの海に沈む我々を、阿弥陀如来の救いの船のみが、乗せて必ず彼岸の浄土へと渡してくださいます。

お彼岸のご縁でございます。

昨日もお話をいたしました。彼岸というのは、正式名称は到彼岸(とうひがん)。彼岸に至る。彼岸とは彼(か)の岸でありますから、向こうの岸。それに対して、こちらはこっちの岸、此(こ)の岸と書いて、此岸(しがん)と言います。

この此岸というのは、この私の世界。彼岸というのは、仏様の世界、さとりの世界。この此岸の私が、彼岸に至り仏様にさせていただく。これが、お彼岸の中身であります。

それとともに、お釈迦様が説かれた仏教という教えの中身であります。だから、皆様方仏教とは何ですかとお尋ねになられたら、お釈迦様が説かれた教えであり、その中身は、此岸の私が彼岸に至り仏となる教えであります、とお答えすればよろしゅうございます。

ところが、親鸞聖人はね。ご自身を徹底的に見つめられまして、仏となる可能性も種も、これっぽっちも持ち合わせん、地獄にしか向かっておらんこの私であると、明らかにされました。

そして、この私を救わんがために立ち上がってくださった唯一の仏様が、この南無阿弥陀仏ですよ。なぜならば、阿弥陀様は十方衆生(じっぽうしゅじょう)、生きとし生けるものを全て救うとおっしゃいます。

生きとし生けるものを全てを救うには、誰を救いの目当てとしなければいけないのか。一番救われにくいものを、救いの目当てとされます。

見渡しました。一番救われにくいものを見渡しました。おったおった、ここにおった。どこにおったかって、ここにおります。この私でありました。

ほうっておけば、地獄にしか向かっておらん、これっぽっちも仏となる種も可能性も持ち合わせん、凡夫(ぼんぶ)のこの私がおった。だからこそ、救わずにはおれんと立ち上がってくださった、唯一の仏様でございます。

凡夫(ぼんぶ)といふは、無明煩悩(むみょうぼんのう)われらが身にみちみちて、欲もおほく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおほくひまなくして、臨終(りんじゅう)の一念に至るまで、とどまらず、きえず、たえず

意訳
「凡夫」というのは、我々の身には、自己中心的な欲が満ち満ちており、怒りや腹立ち、そねみ、ねたむ心が絶え間なくおこり、今生でのいのち尽きるその時まで、止まることなく、消えることなく、絶えることもない

死ぬが死ぬまで、地獄行き間違えのない煩悩(ぼんのう)で仕上がっておる、この私でございました。だからこそ、不憫(ふびん)でならん。だからこそ、救わずにはおれんと立ち上がり、五劫(ごこう)という間、思惟(しゆい)され、兆載永劫(ちょうさいようごう)のご修行の末に、この愚かな凡夫(ぼんぶ)がとなえやすい、たもちやすい、名前の仏、声の仏、となえられる仏となって、私に至り届いてくださるのであります。

さあ、そのはたらきが、ご自身のお名前、南無阿弥陀仏の中に、全部しあげられました。その南無阿弥陀仏を、昔の方は三つで味わわれました。三つに分けて、味わわれました。南無 阿弥陀 仏。

南無の二文字は、そのまま来いよ。阿弥陀の三文字は、必ず救う。仏の文字は、親ではないかと、この南無阿弥陀仏を味わって下さったんですね。

南無の二文字は、そのまま来いよ。そのままのお救いであります。条件を付けられません。条件を付けたらかなわんこの私は、全て見抜かれております。

諸仏方は、条件を付けられます。わが浄土にどっしり腰を据え、ここまでおいで、煩悩なくせ、苦しみのりこえよ、悲しみのりこえよ、仏となる階段を一段一段踏みしめて、立派なさとりをひらきなさい。身を清くせよ、心を清くせよ、戒律まもれよ。嘘ついちゃ仏になれんぞ。悪口言うちゃ仏になれんぞ。酒飲んじゃ仏になれんぞ。

心の中まで問われますね。身口意(しんくい)の三業(さんごう)と言いますから。嘘ついちゃ仏になれんぞ。悪口言うちゃ仏になれんぞ。そうですね。心の中まで問われますから。

例えば、いのち奪っちゃいかんぞ。あいつさえ、おらにゃええが。アウトです。物盗んじゃいかんよ。あの人の持っとるものが自分のものになりゃいいが。思うただけでもアウトって書いてある。

そういう教えによって、さとりをひらこうとされるお方々には、お釈迦様はそういう教えを説かれました。そしてそれが、お経となってのこっております。そのお経を依りどころにして、さとりをひらこうとするご宗旨もございます。

ところが阿弥陀様は、この私の全てを見抜かれました。煩悩をなくせと言うても、煩悩で仕上がり、苦しみのりこえよ言われても、その苦しみの海から一歩も逃れきれん。悲しみのりこえよ言われても、悲しみの涙を流してしか生きていけん、この私の全てを見抜かれました。

わかっとるよ、悲しかろう、苦しかろう、辛かろう。ここまでおいで言うても、来きらんあなたがおる。ならば私の方から、あなたの苦しみの海に飛び込み、沈み込んどるあなたを救い上げ、煩悩抱えたまんま、苦しみ抱えたまんま、悩み抱えたまんまのあなたを抱き取り、ともにわが浄土に向かって、仏となる人生を歩もうではないか。そのお浄土を、お彼岸というのであります。

私のところに、唯一至り届いてくださる。南無の二文字は、そのまま来いよ。そのままのお救い。条件は付けられません。

ある小学校の女の子、のりちゃんという子の作文であります。

私は、かけっこが苦手です。いつもかけっこでビリです。今日もかけっこでビリでした。お家に帰って、お母さんに今日もビリやったと報告しました。するとお母さんは、「のりこ、そんなことは大したことはない。のりこは一生懸命走ったんやろ。それでええんやで。言うとくけどな、ビリがおるから一等ができるんやろ」
私はほっとしました。私は、お母さんの子供に生まれてきて良かったと思います。

こののりちゃんは、お母さんからビリが認められておるから、ビリを一生懸命走ることができます。ビリが輝く。もしお母さんが、「のりこつまらん。今度のかけっこでは、三番までに入らにゃ承知せんよ」とでも言おうものなら、のりこちゃんの人生、真っ暗でしょうね。一生懸命走った結果、ビリでもいいよ。ビリが輝く。

阿弥陀様もおっしゃいます。あなたはあなたなりに、精一杯生き抜いてごらん。その結果、縁があってどんな人生になろうが、どんな生き様にしようが、縁あってどんな死に様しようが、そのまま救う。なぜならば、親じゃないか。

南無の二文字は、そのまま来いよ。阿弥陀の三文字は、必ず救う。

さとれ、さとれとはおっしゃいません。救うぞ、救うぞとおっしゃる。救うには、そこに至り届かんと救えません。遠くから離れて、おーい、浮かび上がれ言うたっちゃ、無茶な話であります。

罪業深重(ざいごうじんじゅう)と言いますから、この私が抱えておる煩悩、罪業は深重。深くて重い。

苦しみの海に沈みこんでおるこの私に、浮かび上がれとは、遠くからおっしゃらない。この私の苦しみの海に飛び込んでくださり、煩悩を抱えたまんま、苦しみ抱えたまんま、悩み抱えたまんま、悲しみの涙抱えたまんまの私を抱き取り、ともに浄土彼岸に向かって歩んでくださる仏様であるがゆえに、立ち上がり、前の方にぐーっと傾いてある。私の苦しみの海に飛び込んでくださるお姿でございます。

南無の二文字は、そのまま来いよ。阿弥陀の三文字は、必ず救う。仏の文字は、親ではないか。

阿弥陀様は、私のところに彼岸より此岸の私に至り届き、一子(いっし)、わが一人子よと、親の名のりをされました。だから、阿弥陀様のことを、親様とね、昔から味わってまいりました。親心の仏様。

親心は、親のものですけど、子どもの上にはたらきます。子どもが気付こうが、気付くまいが、どこにおろうが、何しとろうが、どっち向いとろうが、親を拒絶しようが、親に反発しようが、心配でならんと親心が至り届く。

今年の1月9日で、三回忌をむかえられた女性のお話をいたします。

この(方の)ご自宅には、毎年5月4日の日にね、お参りに行かせていただく。今年で23年目であります。お参りに行きましたら、奥様のご命日。すると、遺されたご主人と、そのお嬢様が、ご縁に遇うてくださる。

一緒に阿弥陀経をあげて、ご法話を聞き、そしてお念仏してくださる。64歳で末期癌でお亡くなりになりました。最後は、福岡ドームの前にあります、医療センター、そこに入院をされたわけであります。

そのお嬢さんが、2年前の1月9日に57歳でお亡くなりになりました。最後まで独身でありましてね、素敵な女性でありました。明るいお方でありました。

このお方は何をされとったかと申しますと、うちの近くでありますが、福岡市立幼稚園金武幼稚園というところがありますが、そこの園長先生をされておりました。あの福岡市の公立の幼稚園は、最後は二園残りましてね。この金武幼稚園と、雁ノ巣の幼稚園東区のこの二園だけでした。それも、一昨年の3月31日をもって閉園でございました。だから今、一園もございません。公立の幼稚園は福岡市にはね。

その金武幼稚園の最後の園長先生。1月9日にお亡くなり、3月いっぱいで閉園でありましたから、あと何ヶ月かいのちがもてば、最後まで見届けることができました。ところが、こればっかりは仕方がありません。4年前に膵臓癌になられまして、会うたんびに痩せていかれる。もう最後はガリガリでございました。

ところがね、そういう病を抱えながらも、最後まで子どもたちと明るく接していただいてね。うちの近くのご門徒のお子様方も、たいがいその幼稚園に通っておりましてね。その保護者がいますから、もう大好きな園長先生でありました。本当に明るい、素敵な園長先生でありました。

お葬式は、お母さんと同じ斎場でありましたが、お葬式が終わりましてね。霊柩車が、これはだいぶ大回りなんでありますが、その幼稚園の前金武幼稚園の前をぐるっと回りまして、園児がみんな並びましてね。園長先生ありがとう。園長先生さようなら言うて見送って、それから火葬場に行ったわけでありますけれども。

その(方の)お母さんがね、23年前でしょうか。入院された時に、この方(お嬢さん)は、うちの近くにあります、内野小学校という小学校がありますが、そこの6年生の担任でありました。最後は、そこの教頭先生になられまして、校長格でその(金武)幼稚園に入られるわけで、優秀なお方でございましたが。

6年生の担任であります。お母さんは、12月20日過ぎに入院されましてね。末期癌です。毎日毎日そういう状況でありますから、授業が終わって見舞いに行きます。

そのお嬢さんに気付かれた、お母さんの口から出てくる言葉は、いっつも同じ言葉やった。どんな言葉か言うたらね、6年生であります。12月、1月、2月のことでありますから。卒業式はいつね、卒業式はいつね。3月何日よ、お母さん。そうね、そうね。

それまで頑張られました。お医者さんがね、あなたのお母さんは今日亡くなったとしても不思議ではないんですよ。あなたの卒業式に向かって、一生懸命頑張ってあるに違いないですね。そう言われたそうであります。

お母さん、無事卒業式は終わりました。よかったね。がくっとなられる。ところが、なんとかいのちがもちました。

そしたらね、この先生(お嬢さん)、1年生の担任になられたんです。お母さん、今度1年生の担任になりました。入学式いつね、入学式いつねっちゅうそうです。4月何日よ、お母さん。そうね、そうね。頑張られました。

お母さん、無事入学式終わりましたよ。報告に行ったら、よかったね、よかったね。これが母の最期の言葉でした。それから段々、意識がなくなっていくわけであります。

まあ入学式ですからね。4月の上旬ぐらいでしょう。お亡くなりになったのが、5月4日であります。それまでは、なんとかいのちはつなぎとめましたけれども、ついにお亡くなりになる。

同じ斎場でありました。お葬式は終わりまして、私が控室で着替えておりましたら、私のところにそのお嬢さんが、ご挨拶に来られる。今日はありがとうございました。これからも宜しくお願いいたします。

母は、最後まで親でした。どういうことですか。いつ亡くなってもおかしくない、苦しい我が身を抱えながら、その母の口から出てくる言葉は、私を案じてくれる言葉ばかりでした。母は、最後まで親でした。素晴らしい母心に出遇われましたね。

幾千万の母あれど、我が母にまさる母なし。

ある中学校の女の子のね、短い詩に。

母語る 夢は私のことばかり。

そのお母さんの心の中、胸の内は、いつでもどこでも、どんな時でも、そのお子さんのことでいっぱいなんでしょうね。

最後のお別れがありよるですよ。出棺ですよ。最後のお礼、言うてきてください。はあいって、明るいお方でありました。私もね、着替えまして、出棺の様子をぼうっと見とりました。最後まで、棺の中のお母さんの顔を撫でてありました。

そしていよいよ、蓋が閉まる間際にね、ちょっと大きな声で、お母さん。

ああ、母心っちゅうのはいのち終えても届くんやな。いつでもどこでも、どんな時でも、いのち終えても、心配し通しの母がここにおるからねという母心が、その子に至り届き、その子の身に満ち満ちて、その母心が姿を変えて、お母さんという呼び名となって飛び出ておる。たった五文字の呼び名でありますが、そのお母さんという呼び名の中身は、母心で出来上がっておる。もっと言うならば、お母さんそのものが飛び出ておると言うていい。

お母さんに会いたかったら、お母さんと呼べばいい。お父さんに会いたかったら、お父さんと呼べばいい。

お母さん、お母さん、お母さんったら、お母さん。何にもご用はないけれど、なんだか呼びたいお母さん。

それと一緒でありますね。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。文字で書けば、たった六文字の阿弥陀様のお名前でありますが、そのお名前は阿弥陀様の親心でしあがっております。その親心は、凡夫(ぼんぶ)のあなたを救う仏になりました。あなたの救いは、こちらで全部しあげた。まかせよ。必ず救う。

縁あってどんな人生歩もうが、縁あってどんな生き様しようが、縁あってどんな死に様しようが、必ず救う。なぜならば、親じゃないか。その阿弥陀様の親心が、ご自身のお名前、南無阿弥陀仏の中に全部しあがって、私に至り届き、私の口を通して、その親心がもれ出ておる。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。

そして、南無阿弥陀仏の中に、先立ったいのちもみんなはたらいてくださっております。わがいのちを縁として、お念仏申しておくれ。わがいのちを縁として、両の手を合わせておくれ。

またお浄土で、会おうではないか。その願いに出遇うたならば、私ができることもただ一つ。またお浄土で会いましょうね。それまでは、お浄土から見護っていてください。私は私なりに、いただいたいのち、生き抜かさせていただきます。またお浄土で会いましょう。それまではお浄土からお導きください。見護ってください。ありがとうございます。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。

往きし人、みなこの我にかえりきて、南無阿弥陀仏と称えさせます。

さあ、お彼岸のご縁でございます。彼(か)の岸、阿弥陀様のお浄土のことであります。この此岸(しがん)の私は、この此岸に生きながら、阿弥陀様のお浄土に向かって、仏となる人生を今歩まさせていただいておることであります。

肝要は拝読の御文章であります。

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