信行寺で開催している「朝参り」では、皆様の心が少しでも安らぐようなご縁となればと思い、法話をしております。動画と文章でご覧いただけるようにしましたので、宜しければご覧くださいませ。

▼動画はこちら

皆様、本日も信行寺の「朝参り」に、ようこそお参りくださいました。

「朝参り」では、短い法話をしております。法話を通して、少しでも心が安らいだり、一日、一カ月を心新たに過ごすようなご縁となれば幸いです。

さて、浄土真宗、真宗各派で組織されている「真宗教団連合」という組織があります。その「真宗教団連合」から、『法語カレンダー』という仏教の言葉が載ったカレンダーが発行されています。

▼真宗教団連合
真宗教団連合(浄土真宗十派による連合体) (shin.gr.jp)

カレンダーに仏教の言葉が記載されていると、日々目にしますから、その言葉によって考えさせられたり、心が安らいだりしますよね。今日は、その法語カレンダーに記載された言葉をご紹介しつつ、それをもとに話をしたいと思います。

今日ご紹介したい言葉は、この言葉です。

「自分のあり方に痛みを感ずるときに 人の痛みに心が開かれる」

(『法語カレンダー』2020年9月/宮城顗)

この言葉は、もうご往生されましたが、真宗大谷派の宮城顗(みやぎしずか)先生というお坊さんの言葉だそうです。

私たちは、自分が元気な時や、ある程度思い通りになっているような時には、自分の言動などを深く見つめることは少ないかもしれません。

逆に、思い通りにいかない時には、苦しみや悩みによって、色々なことを考えさせられたり、気付かされることがあります。

60代くらいの男性で、脳梗塞になられ、半身が上手く動かせなくなった方と、以前私がお話をしていた時のことです。その方は、脳梗塞になってからの苦しみを、このように話してくださいました。

「歩こうとする時に、頭の中では足が前に出ているのです。でも実際には足が出ていなくて、転んでしまうこともしばしばです。これまで当たり前に歩いていたことができない。これはつらいですね。情けないです。そして、悔しいです。毎年旅行に行くことが楽しみでした。脳梗塞になってからは、それも難しくなった。とても悔しいです」

そうおっしゃって、涙されていました。

自分の足で歩くことができれば、それを当たり前のことだと思ったりします。しかし、いざ自分の足で歩けなくなったり、思い通りに動かせなくなった時に、感じるつらさはいかほどでしょうか。同じような経験された方でないと、そのつらさは本当には分からないかもしれませんね。

その方は、そうした苦しい思いを吐き出すように打ち明けてくださいました。そして続けて、そのことによって気付かされたこともお話をしてくださいました。

「身体が動かなくなって、色々なことに気付かされるようになりました。歩けるということが、どれだけ嬉しいことだったのか。当たり前に歩いていた時には、思いもしませんでした。

そして、実は私の父も脳梗塞で、晩年は思うように身体を動かせませんでした。「ああ、父はこのような状態だったのか」と、自分が病気になって初めて思い至りました。その時の父の苦しみを、私はよく理解できていなかったことに、今更ながら気付かされました。

今思えば動けない父に対して、私は心ない言葉を何度となくかけてしまっていたと思います。同じような苦しみを経験しないと、人の苦しみは分かりませんね。昔の自分の言動を思い出すと、心が痛くなります」

その男性の方は、自分が思い通りに動けない経験をして初めて、父の苦しさや、悔しさ、はがゆさなどに、思いが至ったのかもしれません。そして、苦しんでいる父の前を素通りし、時には心ない態度をしてきた自分のあり方に、心から痛みを感じたのでしょうね。

「自分のあり方に痛みを感ずるときに 人の痛みに心が開かれる」

自分はなんて浅はかだったんだ、なんて愚かだったんだ。そうした自分のあり方に痛みを感じる時に、私たちは初めて人の痛みにも意識が向いていくのではないでしょうか。

この言葉からは、私たちは自分の思いで人のことを推し量ろうとしてしまう性質を持っていることを教えられます。また同時に、謙虚さや、相手の思いを聞いていこうとすることの大切さも教えられます。

お念仏の教えを聞いていくことでも同様に、自らの至らなさや愚かさに気付かされることがあります。

「経教(きょうきょう)はこれを喩ふるに鏡のごとし。しばしば読みしばしば尋ぬれば、智慧を開発(かいほつ)す。」

(『観経疏』「序分義」/善導大師)

この言葉は、親鸞聖人が尊敬された善導大師というお坊さんが書かれた書物にある言葉です。「仏法(仏教)とは、鏡のようなものですよ」と示された言葉です。

私たちは、自分が元気な時や、ある程度思い通りになっているような時には、自分の言動などを深く見つめることは少ないかもしれません。

逆に、思い通りにいかない時には、苦しみや悩みによって、色々なことを考えさせられたり、気付かされることがあります。そして、そうした苦悩が、仏法を求めたり、お寺に足を向かわせるきっかけになることがあります。

皆さんは、お寺にお参りしようと思ったきっかけは何だったですか。家が浄土真宗だからという方もおられるとは思いますが、何か思い通りにいかないことや、うまくいかないことがあって、お寺に足が向かうようになった方もおられるのではないでしょうか。

悩みや苦しみや悲しみは、その最中はたまらないですね。早くどうにかなってほしいものです。しかし、振り返ってみると、そのことによって色々なことを考えさせられたり、気付かされたり、また仏縁が育まれるきっかけとなっていることもあります。

そして、仏法(仏教)を聞いていく中で、これまでの自分のあり方について、深く考えさせられることがあります。

「経教(きょうきょう)はこれを喩ふるに鏡のごとし。しばしば読みしばしば尋ぬれば、智慧を開発(かいほつ)す。」

そして、自分のあり方を見つめた時に痛みを感じて、人の痛みにも意識が向いていくことがあります。

「自分のあり方に痛みを感ずるときに 人の痛みに心が開かれる」

今日は、このような言葉をご紹介させていただきました。

皆様、どのようにお感じになられたでしょうか。また是非、ご感想もお聞かせください。

本日も信行寺の「朝参り」に、ようこそお参りくださいました。


合掌
福岡県糟屋郡 信行寺(浄土真宗本願寺派)
神崎修生

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