お寺から健康習慣を推進する「ヘルシーテンプル」では、皆様の心が少しでも安らぐようなご縁となればと思い、法話をしております。その時の法話を、動画と文章でご覧いただけるようにしましたので、どうぞご覧くださいませ。
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皆様、おはようございます。本日、3月21日は、お彼岸の中日ですね。このお彼岸に、お墓やお寺参りに行かれたり、先立たれた大切な方のことを思い、手を合わせたという方もおられるのではないでしょうか。
そこで今回は、「お彼岸に大切な方を思う」というテーマで、お話させていただこうと思います。
この話が、日々を安らかに過ごすようなご縁となれば幸いです。それでは、さっそく見ていきましょう。
まずは簡単に、お彼岸について振り返っておこうと思います。
「彼岸」とは、「到彼岸」(とうひがん)のことで、「安らかなさとりの境地に至る」ことを表す言葉です。
また、「彼岸」という言葉は、「彼に岸」と書きますが、「彼の岸」「向こう岸」のことを指しています。浄土真宗においては、「彼岸」とは「阿弥陀仏の浄土」という仏様の国のことを言い、その浄土に往かれた大切な方を思う季節として、大切にされています。
そしてまたお彼岸とは、その大切な方を思いながら、仏様の教え(仏法)に耳を傾け、心安らかに過ごそうとする仏教週間でもあります。
そのため、お寺では「彼岸法要」という行事を営むところもあります。こちらの写真は、私が勤める信行寺にて、先日おこなった彼岸法要の様子です。多くの方にご参拝いただき、皆様とご一緒にお経をとなえ、ご法話に耳を傾ける時間を過ごしました。
ちなみにご法話は、島根県高善寺の武田正文さんをご講師にお招きし、お話をしていただきました。武田正文さんは、Youtubeでも積極的に発信をされているお坊さんですので、ご存知の方もおられるかもしれませんね。お彼岸を通して、仏教や浄土真宗の教えについて、分かりやすく、そしてありがたく、お話をしていただきました。
法要の後には、牡丹餅と漬物のふるまいもしました。コロナ禍の間、こうした法要で飲食をすることはしばらく控えていましたが、今回久しぶりにお出しでき、牡丹餅や漬物を食していただきました。
やはり、皆様と食事ができることはいいことですね。笑顔で帰っていただいた方も多かったので良かったです。彼岸をご縁にお寺にお越しいただき、読経や法話で心安らいで、牡丹餅でお腹も満たして帰っていただけたのであれば嬉しく思っています。
ご存知の方もおられると思いますが、春のお彼岸には、牡丹の花にちなんだ牡丹餅を、秋のお彼岸には、ハギの花にちなんだお萩を用います。お仏壇のお供え物としても、ご参考にしていただければと思います。
お彼岸は、春と秋の年に2回あります。春分の日、秋分の日を中日として、その前後3日間ずつ、計1週間がお彼岸の期間とされています。
お彼岸の頃には、太陽は真東から昇り、真西に沈んでいくと言います。その真西に沈んでいく太陽の方に、阿弥陀仏の西方極楽浄土はあるのではないか。西側に沈んでいく太陽のほうに、先立たれた方がおられるのではないか。そのように、先立たれた方を思う季節として、お彼岸は日本において大切にされてきました。
沈んでいく太陽を見て、切ない気持ちになる方もおられるのではないでしょうか。もしくは、思わず手を合わせる方もおられるのではないでしょうか。知人に、お寺が海辺にあるお坊さんがおられるのですが、お彼岸の季節に真西に沈んでいく太陽を見て、「何と美しいのだろうか」と思ったとおっしゃっていました。そして、思わず手が合わさり、「南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」と、お念仏をお称えしたそうです。
浄土真宗の宗祖である親鸞聖人が尊敬されたお坊さんに、道綽禅師(どうしゃくぜんじ)という方がおられます。中国浄土教において、大切な方とされています。その道綽禅師の著書には、このような言葉が記されています。
昔から人は、太陽が通る軌跡に人生を重ねてきたようです。朝日の昇る東の方には、生命の始まりを感じ、夕日が沈む西の方には、いのちの終わりである死を感じてきた。そのようなことが、この道綽禅師の言葉から伺えます。
また、同じく親鸞聖人の尊敬されたお坊さんに、善導大師(ぜんどうだいし)という方がおられます。道綽禅師に直接教えを受けた方で、中国浄土教の大成者とも言われています。その善導大師の書物には、太陽が真西に沈んでいく彼岸は、阿弥陀仏の浄土を思うのに素晴らしい季節であるということが示されています。
西に夕陽が沈んでいく様子は、いのちの終わりを思わせる。そんな西に沈んでいく太陽の向こう側に、西方極楽浄土はあるのではないか。彼岸とは、そんな西方極楽浄土を思うのに素晴らしい季節である。
そうしたことから、彼岸には先に往かれた方を思い、手を合わせるという文化が、日本では育まれてきたと、浄土真宗においては言われています。
さて、「大切な人を失って、どのように受けとめたらよいか」。これは人類が昔から抱えてきた、大きな問いではないでしょうか。人類は、先立って往かれた大切な方と、新たな関係を結び直すことで、別れを受けとめ直してきました。
「お父さん、おはよう」「お母さん、ありがとう」「今日はこんなことがあったよ」「これからも見まもっていてね」。
このように会話をしたり、手を合わせたり、また会っていると感じたり、見まもってくれていると思えたり。別れただけで終わるのではなく、新たな関係を結び直すことで、人類は大切な方との別れを受けとめ直してきました。
時にはご葬儀やご法事といった儀式を通して、時にはお彼岸やお盆、お正月といった季節を通して、時にはお墓やお仏壇といった形を通して、人類は様々な方法で、別れた方と新たな関係を結び直してきたのですね。
お彼岸に、大切な方のことを思い、手を合わせるということも、そうした営みの一つです。宜しい方は、お彼岸をご縁として、改めて大切な方に手を合わさせていただきましょう。
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いかがだったでしょうか。
今回は、「お彼岸に大切な方を思う」というテーマで、お話させていただきました。皆様、どのように感じられたでしょうか。是非、ご感想などもお聞かせください。
合掌
福岡県糟屋郡 信行寺(浄土真宗本願寺派)
神崎修生
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