時代を超え、多くの人を魅了してきた仏教書『歎異抄』(たんにしょう)。

「歎異抄講座」では、『歎異抄』の拝読を通して、人生の意味を味わい、生きる喜びや感謝の心を深めていきます。

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目次

  1. 『歎異抄』(たんにしょう)とは
  2. 『歎異抄』前序(ぜんじょ)

『歎異抄』(たんにしょう)とは

『歎異抄』とは、浄土真宗の宗祖(しゅうそ)である親鸞聖人(しんらんしょうにん)の言葉を、門弟の唯円房(ゆいえんぼう)がまとめた書物であると言われています。

親鸞聖人の亡き後、仏様の教えが異なって伝えられていることを歎き悲しみ、同じお念仏の道を歩む方々の疑いを取り除こうとして、親鸞聖人のお言葉を収録補足した書物だと言われます。

そのため『歎異抄』と言われています。(『歎異抄』の歎とは嘆き悲しみのこと、異とは異なっていること、抄とは選び出してまとめたという意です)

ではさっそく、前序とよばれる序文をみてみましょう。今回は、前序の原文と意訳を記載し、次回以降にその内容を見ていきます。

『歎異抄』前序(ぜんじょ)

前序

【本文】
ひそかに愚案を回(めぐ)らして、ほぼ古今(ここん)を勘ふるに、先師の口伝(くでん)の真信に異なることを歎き、後学(こうがく)相続の疑惑あることを思ふに、幸ひに有縁の知識によらずは、いかでか易行(いぎょう)の一門に入(い)ることを得んや。
まつたく自見(じけん)の覚語(かくご)をもつて、他力の宗旨(しゅうし)を乱ることなかれ。
よつて、故親鸞聖人の御(おん)物語の趣(おもむき)、耳の底に留むるところ、いささかこれを注(しる)す。ひとへに同心行者の不審を散ぜんがためなりと云々。

【現代語訳】
私なりにつたない思いをめぐらして、親鸞聖人がおられた頃と今とを比べてみますと、この頃は、親鸞聖人から直接お聞かせいただいた真実の信心(阿弥陀如来の救いを疑いなく信じる心)とは異なったことが説かれていて、歎かわしいことです。これでは、後の人が教えを受け継いでいくにあたり、疑いや迷いがおこるであろうと思われます。真実の教えに導いて下さる方に出遇うことがなければ、どうして南無阿弥陀仏と称えて救われていく道に入ることができるでしょうか。
決して、自己流の見解をさしはさんで、阿弥陀如来のはたらきによって救われるという教えを乱してはなりません。
そこで、今は亡き親鸞聖人がお聞かせくださったお言葉のうち、今も耳の底に残って忘れられないお言葉をいくつか書き記します。これはただ、同じお念仏の道へと心を寄せる人々の、教えに対する疑問をはらしたいから記すのです。

福岡県糟屋郡 信行寺(浄土真宗本願寺派)

神崎修生

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