仏教書の「正信偈」をなるべく分かりやすく味わい、読み進めていきます。仏教を学びながら、自らについて振り返ったり、見つめる機会としてご活用いただけますと幸いです。

「正信偈を学ぶ」シリーズ、19回目の今回は、無対光から、人と比較せず自分らしく生きることについて考えてみたいと思います。

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◆十二光

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さて数回にわたって、十二光について見ています。

十二光とは、浄土真宗のご本尊である阿弥陀仏のもつ光のお徳を十二種に分けて讃えたものです。十二種にも分けて光のお徳を讃えられているのは、阿弥陀仏とは、様々なお徳をもった仏様であるということを、色々な角度から言葉を尽くして表現をしようとしたものです。ですので、十二光とはどういうものかを見ていくと、阿弥陀仏とはどういったお徳をもった仏様であるのかが分かってきます。

前回まで、無量光、無辺光、無礙光について見てきました。今回は、無対光(比べるもののない光)について見ていきたいと思います。そして、無対光から人との比較や人からの評価に捉われすぎない、その人らしいあり方、生き方について、考えてみたいと思います。

◆正信偈の偈文(げもん)

では、今回見ていく「正信偈」の本文と書き下し文、そして意訳を見てみましょう。

【本文】
普放無量無辺光 無礙無対光炎王
(ふほうむりょうむへんこう むげむたいこうえんのう)
清浄歓喜智慧光 不断難思無称光
(しょうじょうかんぎちえこう ふだんなんじむしょうこう)
超日月光照塵刹 一切群生蒙光照
(ちょうにちがっこうしょうじんせつ いっさいぐんじょうむこうしょう)

次に書き下し文です。

【書き下し文】
あまねく無量・無辺光、無礙(むげ)・無対・光炎王、清浄・歓喜・智慧光、不断・難思・無称光、超日月光を放ちて塵刹(じんせつ)を照らす。
一切の群生(ぐんじょう)、光照を蒙(かぶ)る。

次に意訳です。

【意訳】
阿弥陀仏の放つ光のお徳について、お釈迦様は十二種に分けてほめ讃えておられます。
無量光、無辺光、無礙光、無対光、炎王光、清浄光、歓喜光、智慧光、不断光、難思光、無称光、超日月光のことです。
阿弥陀仏の放つ光は、全ての世界を照らし、あらゆるものはその光をうけています。

◆無対光

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さて無対光とは、比べるもののない光のことです。阿弥陀仏の光明は、太陽や月などの光や、様々な仏方が放つ光などと比較しても、勝れていることを表しています。そして、本質的には、比較を超えた光、比較することができない光であることを表しています。

個人的な味わいとしては、この比較を超えているというあり方が、ありがたいなと思うところです。今回は特に、比較ということについて、少し自分に引き寄せて考えてみたいと思います。

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我々は、自分と他人とを比較する時もあるのではないでしょうか。比較してもしょうがないないなとか、良くないなと思いながらも、ついつい自分と他人とを比較してしまう。そんな時もあるのではないでしょうか。

あの人は、あんないい生活をしているのにとか、あの人ばかり評価されているとか、自分はあんな人にはなれないなというように、うらやましい気持ちや、妬み、劣等感といった、モヤモヤとした感情を抱くこともあるかもしれません。

また逆に、自分の方がすぐれているとか、自分のほうが評価されているとか、あの人は何でこんなこともできないんだというように、人のことを下に見て、満足したり、安心したり、傲慢になることもあるかもしれません。

自分を人より上に見たり下に見たり、比較して一喜一憂している。そんな自分がいるかもしれません。しかし、人と比較することで苦しみも生まれますし、相手のことを色眼鏡をかけてみてしまい、そのまま見ることができなくなったりもします。

人と比較して、自分はどうかとか、あの人はどうかと考えるよりも、なるべく比較をせずに、自分らしくいられたり、その人らしく見れるといいなとそう思うこともあるかもしれません。皆さんはいかがでしょうか。

無対光という、一見、他の光と比較して勝れていると示されながら、本質的には、比較を超えているというような無対光のあり方が、ありがたいなと思うことがあるんですね。

◆社会の中で生きる我々

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さて、社会のあり方は国によって違いますが、戦後から現代までの日本は、経済社会、資本主義社会であり、我々は、未だにその価値観が強い社会の中で生きています。

経済社会では、本来、数字では表しずらいものをも定量化して数字で表し、比較したり、評価して、成長させていくことが重要視されます。例えば、営業成績や商品・サービスの売上、会社の利益、株式価値、不動産価値、偏差値、出身校など。経済社会で生きている我々は、比較や評価の中で生きていると言えるかと思います。

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さらに、インターネットの登場以降、人の価値も数字で表されるような評価経済社会になりました。評価経済社会とは、例えばいいねの数や、フォロワー数など、個人の影響力が評価基準となり、価値やお金に変わるような社会のことです。

何万人のフォロワーがいる○○さんというように、個人の影響力が可視化(見える化)され、それが、接する人に何かしらの影響を与えるようになっています。

評価経済社会では、その影響力をうまく活用して、自分のあり方や社会のあり方を、良い方向に変えることができるという側面もあります。しかし一方で、いいねやフォロワー数など、目に見える数字を追いかけることに時間を費やしたり、それに翻弄されたりして、いったい自分は何をしているんだろうかと虚しくなったり、色々なものが数字で可視化され、評価されていくことに、生きづらさや苦しさを感じる人もいるでしょう。

我々は社会の中で生きていますから、価値観や日々の過ごし方は、多かれ少なかれ、今生きている社会の環境に影響を受けます。

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経済社会に加え、評価経済社会の中に生きる我々は、自分が思っている以上に、様々なものを比較し、評価に捉われながら生きているのかもしれません。

経済社会、評価経済社会の中を生きながらも、資本主義のルールを理解しながらも、価値観やあり方までもがそこにどっぷりと浸かってしまわないようなあり方。人の評価や社会のルールから適度に心理的な距離を置きながら、その人らしくあろうとする生き方。比較や評価を、無意識にしてしまうような社会の中にいるからこそ、比較や評価に捉われすぎない、生き方やあり方が、とても大切だと思うんですね。

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資本主義とか、経済社会とか、評価経済社会というのは、あくまで仕組みです。大事なのは、その仕組みを理解して、活用したり、適度に距離をとりながら、どのような生き方をしていくのか、どのようなあり方をしていくのかということが、大事な点だと思います。

仕組み自体を目的化しないこと。つまり、フォロワー数の獲得とか、稼ぐとか、それ自体を目的化しすぎないこと。数字を追うことは、経済社会や評価経済社会では求められることではありますが、それを通して、どのような生き方をしていくのか、どのようなあり方をしていくのかということが、本質的な問いになるかと思います。

人生の終わりが近づいてきて自分の人生を振り返る時に、人との比較や評価ばかりを気にして生きてきたと後悔するよりも、比較や評価に捉われすぎず、その人らしいあり方を念頭におきながら、生きていくほうが、良かったと思えるのではないか。そして、その人らしさを育んでいくことが、社会の変化にも影響を受けづらく、かえって評価されるような結果となるのではないか。そんなことを思います。

無対光とは、直接的には阿弥陀仏の光の勝れているさまを表しています。
そして本質的には、比較を超えた光、比較することができない光であることが表されています。そんな比較を超えているというあり方が示されていることが、個人的にはありがたいなと思うところです。

比較や評価に捉われないということは難しいことではあります。そして、比較や評価に捉われてしまうという自分をどうしたらいいかということが、浄土真宗では問題にされるわけですが、今回は、無対光から思ったところをお話させていただきました。

いかがだったでしょうか。今回は、無対光(比べるもののない光)について見ていきました。そして、人との比較や人からの評価に捉われすぎない、その人らしいあり方、生き方について、考えてみました。

皆様はどんなことを感じられたでしょうか。次回は、十二光の続きを見ていきたいと思います。

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合掌
福岡県糟屋郡 信行寺(浄土真宗本願寺派)
神崎修生
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【正信偈を学ぶ】
▼前回の内容

仏教講座_浄土真宗【正信偈を学ぶ】第18回_無礙光_無明の闇を照らす光 | 信行寺 福岡県糟屋郡にある浄土真宗本願寺派のお寺 (shingyoji.jp)

 

◇参照文献:
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