【一口法話】では、皆様の心が少しでも安らぐようなご縁となればと念じて、仏教のお話をさせていただきます。 今回は、和顔愛語(穏やかな顔と優しい言葉を大切にする)という言葉について、ご紹介しました。
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改めて本日は、信行寺の「朝参り」に、皆様ようこそお参りくださいました。ここから、法話の時間で、皆様の心が少しでも安らぐようなご縁となればと念じて、仏教のお話をさせていただきます。
先ほど、「私たちのちかい」を、皆様と一緒に唱和致しました。この「私たちのちかい」は、近年、京都の本願寺で制定されたものです。浄土真宗のお寺とご縁のある皆様に拝読していただき、日々を生きる糧にしていただきたいという思いが込められたものだと思います。全部で四つの文章がありますが、今日はその一つ目の文章について、味わってみたいと思います。
一つ目の文章は、穏やかな顔と優しい言葉を大切にするという内容です。穏やかな顔と優しい言葉は、接する相手の心を和ませますね。逆に、しかめっ面で、きつい言葉は、接する相手を緊張させてしまいます。この私も気を付けなければいけないなと思います。
さて、この春という季節は、新たな人との出会いが多い季節です。入学や入社などで、どんな人たちがいるんだろうと、ワクワクしつつも、不安な気持ちになった方も、世の中にはたくさんおられたことでしょう。初登校、初入社の時に、笑顔で話しかけてくれる同級生や同僚、上司などがいたら、ほっとするでしょうね。そういう人と接するだけで、これから頑張ろうとか、良かったなとか、いい会社だなとか、そんな気持ちになると思います。
この朝参りもまた、初めての取り組みですので、今この場にお越しになっている方の中にも、今日はどんなことをするんだろうとか、どんな方がいるんだろうかとか、そんな思いを抱いてこられた方もいるかもしれませんね。そんな中、ここにおられる皆さんが、笑顔と優しい言葉で話している様子を見たり、どなたかが話かけてくれたら、そうした思いを抱いた方も、ほっとすると思います。
そのように、穏やかな顔と優しい言葉は、人を和ませる力があります。この穏やかな顔と優しい言葉を大切にすることを、仏教の言葉では和顔愛語(わげんあいご)と言います。和顔とは、平和の和に顔と書いて、和やかな顔という意味です。そして愛語とは、愛する言葉と書いて、慈しみの言葉、思いやりの言葉というような意味です。つまり、和顔愛語とは、穏やかな顔と優しい言葉を大切にするということです。この「私たちのちかい」の一つ目の文章の内容は、和顔愛語のことを分かりやすく、かみくだいた言葉にしたものです。
穏やかな顔と優しい言葉は、人を和ませる力があります。自分がこれから接する相手が、そういう穏やかで優しい方だったらいいなと自分が思うように、自分と接している相手もまた、私に対して同じように思っているかもしれません。私たち自身が、穏やかな顔と優しい言葉を心掛けることで、接する人はきっと心が和み、心も開かれてくると思うんですね。
穏やかな顔をしよう、優しい言葉づかいをしようとすることは、それはそのまま、人に優しくしようとすることであり、人のことを思いやろうとすることです。人への思いやりがないと、穏やかな顔にしようとか、優しい言葉づかいをしようとは思いませんね。
人を思いやるとは、自分の殻に閉じこもるのではなく、自分の心を開いていくということです。相手に関心をもって、相手がどう思うだろうかと気を配って接するということです。
自分の心を開いて、穏やかな顔と優しい言葉を大切にする。そうすることで、家庭、友人、職場などでの人間関係が、和やかに、そして豊かになるのではないでしょうか。
優しく微笑み語りかけてくださる仏様のように、穏やかな顔と優しい言葉を大切にして、次の朝参りまでの一カ月を過ごしてみませんか。まずは今日一日でも、穏やかな顔と優しい言葉を大切にするという話を思い出して、和顔愛語を心掛けて、過ごしてみていただければと思います。私もどこまでできるか分かりませんが、やってみたいと思います。
合掌
福岡県糟屋郡 信行寺(浄土真宗本願寺派)
神崎修生
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【一口法話】三毒の煩悩_むさぼり、いかり、おろかさ。 | 信行寺 福岡県糟屋郡にある浄土真宗本願寺派のお寺 (shingyoji.jp)
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