皆さん、おはようございます。

僧侶の神崎修生です。私は福岡県糟屋郡にある信行寺というお寺の副住職をしています。浄土真宗本願寺派の僧侶です。

仏教やお寺、僧侶を身近に感じてほしいという思いから、ブログや動画を配信しております。

さて本日は、「今日の言葉」のコーナーです。

▼このブログは動画でもご覧いただけます

このコーナーでは、仏教やお寺の価値観があらわれた言葉をつむいだり、紹介をさせていただいています。

「今日の言葉」を通して、自分の大切なものを見つめていくきっかけになれば幸いです。

冒頭に画像がありますが、改めて「今日の言葉」を紹介させていただきます。

目次

  1. これが最後と思えると人は優しくなれる
  2. 「これが最後」とはなかなか思えない

これが最後と思えると人は優しくなれる

2020.07.22_永遠の別れを意識できると人は優しくなれる

永遠の別れがあると意識できると
人は優しくなれる

「お墓デザイナー 榊原亮氏」

これは、お墓デザイナーの榊原亮さんという方がおっしゃっていた言葉です。


皆さん、この言葉を聞いて、いかが思われますか?


私の思うことを少しお話させていただきます。


例えば、親子や夫婦などの家族関係、上司や同僚などの職場関係、取引先などの仕事関係など、人それぞれに色々な人とのつながりがありますよね。


我々はつい、人間関係の中で、相手に分かってほしいと共感や理解を求めることがあります。

しかし、それぞれ立場や経験によって、価値観や考え方は違いますから、相手の反応は共感や理解ばかりではないですよね。


仕事になると、何らかの結論を出さないといけないですから、これはうまくいかないと思うことは、それぞれの経験から思ったことを言います。

その中で言い合いになることもあるでしょうし、お互いに感情的になることもあります。


親子の関係でも、親の方が長年生きていますから、転ばぬ先の杖ということで、親の経験から思ったことを言います。

子の立場からすると、親の言葉がうっとおしく聞こえることもあります。

そこでつい、売り言葉に買い言葉のように、言い合いになったりもします。


今日の話のポイントは、どちらの意見が正しいかということではなく、人と接する時の姿勢についてです。


人は永遠に生きるわけではないことは誰しもが分かっています。

しかし、「この人がいつまでもいる」「この関係がずっと続く」という前提をおきながら相手と接していないでしょうか。


「これが最後になるかもしれない」と思い人と接すると、相手の見え方も違ってきます。

まず、相手を尊重して接するようになりますし、相手がなぜそう言うのかという思いや背景を知ろうともします。

そして、こちらの接し方や表情、言葉遣いなども変わってくるのではないでしょうか。


永遠の別れがあると意識できると、人は優しくなれる。


良い言葉だと思います。

「これが最後」とはなかなか思えない

画像2

しかし我々は、これが最後になると思いながら過ごし続けることができません

それはなぜでしょうか。


それは、明日も今日と変わらない日が来ると思うからであり、実際に明日が来ることが多いからですね。

連絡を取ろうと思えばいつでも取れたり、会ったりできると思うからです。


実際には、日々変化していて、会おうと思っても会えなかったり、最後の別れになることもあるのですが、なかなかそうは思えません。

つまるところ、本当にこれが最後だと実感する機会にならないと、本当に最後だとはなかなか思えないのですね。

これが最後だと本当に思える時は、相手が病気などで弱っている時か、自分が弱っている時などです。

相手が亡くなった時には、あれが最後だったのかと思わされ、後悔をすることもあります。


「もっと優しくしておけば良かった」とか、「もっとできることがあったんじゃないか」とか。

多くの思いを抱えます。

自死をされた方のご遺族、ご友人は、本当につらいです。

何気ない日常生活の中では、これが最後になるとはなかなか思えませんが、たまに「これが最後になるかもしれない」と想像してみませんか?


歳を重ねる中で、大切な方との別れの中で、自分や身近な方の病気を通して、「最後」を意識する機会は実は結構あります。

ただ、私もそうですが、喉元過ぎれば熱さ忘れるで、「これが最後」と思い続けることは難しいことです。


ですから、たまに「これが最後になるかもしれない」と想像してみることが大切ですし、そうする機会や習慣が大切になります。

現実以上の想像はなかなかできないのですが、少しでも考える機会があれば、より人生は豊かになります。

私のブログも、人生の大切なことについて考える機会やきっかけに少しでもなればと思い、書かせていただいています。


「これが最後」と思うことで、何気ない日常の素晴らしさを実感します。

それは何物にも代えがたい、豊かさです。

そして、「これが最後」と思うことで人は優しくなれます。

今までは見ようとしなかった相手の良い部分を見るようになります。

それぞれのいのち輝きや、思いに触れることができます。

人の思いに触れられないのは、実は自分中心の心が邪魔をしています。

これを煩悩といいます。

いつも自分中心に物事を見て、自分を苦しめている正体です。


自分は自分の見たいように相手を見ます。

そうしている限り、相手の本当の部分は見えません。

そして、相手に自分の「こうあるべき」という思いを押し付け、相手をも苦しめます。

人それぞれに、他者には分からない痛みや悲しみや喜びなどを抱え、人生を歩んでいます。

そうしたこれまでの歩みがあり、それぞれが今ここにいます。


それぞれが色々な思いを抱えながら、一人一人がその人の人生を精一杯生きている。

この事実を前提として人と接すると、その人の見え方が随分と変わります。


相手にも優しくなれ、ありがとうという言葉が素直に出てきます。

こうした機会に、「これが最後になるかもしれない」という思いで人に接してみませんか?


本日は、

永遠の別れがあると意識できると
人は優しくなれる

という榊原亮さんの言葉を、「今日の言葉」として紹介をさせていただきました。

ちなみに「今日の言葉」は、定期開催している信行寺の「オンライン朝会」で取り上げ、ご参加の皆さんと対話をしています。

そちらも関心がある方は、是非ご参加ください。

8月5日(水)「健康をはぐくむ朝会」を開催!お坊さんと健康習慣づくり

▷追記

ただし、相手に寄り添うことや、相手のことを理解することは、とても難しいものです。

どこまでいっても、相手とは変われない、相手の思いは分からないのも事実です。

自分は自分の見たいように見てしまいます。

ですから、そうした自戒と反省は大切にしたいものです。



最後までご覧いただきありがとうございます。

更新情報は各種SNSにて配信しておりますので、宜しければ是非、「フォロー」いただけますと幸いです。

合掌
福岡県糟屋郡 信行寺(浄土真宗本願寺派)
神崎修生

▼関連の記事も是非お読みください

思い通りにならないことを経験したくはない。しかし、、、【今日の言葉】
生きる意味を仏教から考える。生かされていることへの気付き編