今回は、ご葬儀やご法事の意味について、ご紹介させていただきます。ただし、ご葬儀やご法事はこうあるべきといった話ではなく、ご葬儀やご法事で、亡くなられた方やご遺族などと接する中で感じることを中心に、ご紹介させていただこうと思います。
ご覧いただいた方にとって、先に往かれた大切な方との思い出が深まったり、悲しみや後悔などの思いが、少しでも和らいでいくようなご縁となれば幸いです。
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まず、ご葬儀の意味についてですが、日本の多くの方がもっていらっしゃる印象はどのようなものでしょうか。
一般社団法人「お寺の未来」がおこなった生活者の意識調査によると、日本の多くの方にとって、ご葬儀の場は、見送り、けじめ、区切りといった意味があるようです。私が、ご遺族と接する時に感じる印象も同様です。
私たちは、ご葬儀を通して、自分にとってその方が、いかに大切な方だったかということに、改めて気づかされることがあります。
そして、お一人お一人に人生の物語があることや、その方のことを大切に思われている方がおられることを、改めて教えられるように思います。
大切な方と死別することは、人生の一大事と言われます。その死別による苦しみは、愛別離苦とも言い、苦しみの中でもとても大きなものだと言われます。
ご葬儀を通して、大切な方との思い出や、大切な方がこれまで歩んできた生涯をかみしめながら、今生での最後を迎えるにあたり、お見送りをする。すぐに気持ちの整理はつかないけれども、けじめや区切りの節目として、葬儀を営む。
ご葬儀の意味は、色々な意味があるかと思いますが、多くの日本の方にとって、ご葬儀の場は、見送り、けじめ、区切りといった意味があるようです。
また、ご法事の意味ですが、こちらもご葬儀と同様に、節目としての意味合いを感じていらっしゃる方が多いようです。
ご法事は、四十九日や一周忌、三回忌、七回忌といったご命日を節目として、また初盆や彼岸などの季節を節目としてお勤めされます。ご命日や季節などの節目に、大切な方を思いながらご法事を営む文化が、日本には昔からあるんですね。
亡くなられた方との関係性や別れ方によっても、抱いている思いは人それぞれです。悲しみや後悔、もっと生きて欲しかった、もっと一緒に過ごしたかった。大切な方を亡くされて間もない方は、特にそのような思いをお持ちの方もおられることでしょう。
そんな悲しみや後悔といった思いをも抱きながら、節目節目に手を合わせていく。そして、時間をかけながら、手を合わながら、徐々に別れを受けとめなおしていく。そうする中で、受けとめ方や思いが少しずつ変化していくことがあります。
ご法事はそうした、大切な方との別れや思いを受けとめなおしていくような場にもなっているのだろうと思います。
またそのように、大切な方を思いながら手を合わせる機会は、ご法事だけではありませんね。お仏壇やお墓参りで手を合わせることもまた、大切な方との別れや思いを受けとめなおしていく機会になっていることとと思います。
そうした手を合わせることを通して、徐々に受けとめ方や思いが変ってくる。別れや思いを受けとめなおしていくというような意味合いが、ご法事やお仏壇、お墓参りといった営みにあるのだろうと思われます。
また、大切な方との別れを通して、人生のかけがえのなさに気付かされていく方もおられます。
ある男性の方は、お子様に先立たれ、悲しみに暮れておられましたが、その悲しみから、人生の受けとめ方が全く変わったとおっしゃっていました。
あの子がいてくれたことで、自分がいかに勇気づけられ、励まされていたかということ。これまでは、色々な人に支えられていたことに気付かずに、自分の力だけで生きているというような顔をして生きてしまっていたこと。
「痛みを経験して初めて、人の痛みや人の有難さに気付かされました。あの子がそうしたことを教えてくれました」。その男性の方は、そうおっしゃっていました。
また、ある女性の方は、お連れ合いの夫を亡くされました。生前、夫が色々と自分に話しかけてくることがうっとおしくて、面倒に思っていたと言います。
しかし、失った今にして思えば、仕事で忙しかったとはいえ、何でそんなに冷たい態度をしていたのだろう。もっと話を聞いてあげればよかった。自分ももっと頼ったり、話をすればよかった。一緒にいる時間を大切にできればよかった。そう後悔しているとおっしゃっていました。
「当たり前のように思っていたことが、当たり前ではありませんでした。当たり前のように過ごしていた時間が、当たり前ではありませんでした」。
その方は、失って初めて、夫が自分にとっていかに大切な人であり、大切な方との時間が、いかに大切なものであったかに気付かされたそうです。
また、別の男性は、お母様を90代で亡くされました。離れて暮らしておられましたが、親のところに行くたびに、息子である自分のことを心配してくれる。90代の母が、70代の自分を心配してくれる。そういう母でしたと、おっしゃっていました。
「母が生きていてくれたことが、どれだけ自分の支えになっていたのかと、母を亡くして改めて気付かされました」。そうおっしゃっていました。
私たちは、大切な方を失ってから、また出会いなおすということがあるようです。
その方が自分に思いをかけてくれていたことや、自分にしてくれていたこと、生きてくれていたこと。そうしたことに改めて気付かされ、その方の存在の大きさやありがたさに、改めて気付かされるということがあります。
私たちは、生前には当たり前のように思ってしまって、その方の大切さを忘れてしまうことがあります。しかし、失って改めて、その方の存在の大きさやありがたさに気付かされるんですね。
生きてくれているだけで、こんなにも支えになっていたのか。ああ、あれはそういうことだったのか。そういう思いで言ってくれていたのか。いつも思いをかけてくれていたんだな。いつも苦労をかけて、色々としてくれていたんだな。そうしたことに、失って改めて、そして歳を重ねて改めて、気付かされることがあるのではないでしょうか。
親の思い、連れ合いの思い、子の思い。「失って改めて気付かされることや、歳を重ねて改めて気付かされることが、本当に多いですね」と、おっしゃる方が多いです。
そうした亡くなられた方の思いに触れなおす時に、私たちはその方と、出会いなおすということがあるのでしょう。私たちは、大切な方と別れても、別れっぱなしではないんですね。大切な方との思い出や思いに改めて触れて、受けとめなおしたり、出会いなおすということがあるようです。
そしてそこから、人生の大切なことに気付かされ、人生のかけがえのなさに気付かされていく。そのように人生の味わいが深まり、人として育まれていくということが、私たちにはあるようですね。
大切な方との別れは、起きてほしくはないことですが、そのことを通して、人生の大切なことに気付かされ、人生のかけがえのなさに気付かされていく。
そのような、本当は起きてほしくはないことが、自分に大切なことを気付かせ、人として育まれるようなご縁となったと味わうことができた時に、そのご縁を逆縁とも仏縁とも言ったりします。
ご葬儀やご法事は、悲しみや後悔といった思いを抱きながらも、大切な方との思い出の中に手を合わせることを通して、人生のかけがえのなさに気付かされ、仏縁が育まれていくということがあるのだと思います。
そうした、人類が経験してきた大切な方との別れや思いが凝縮して詰められているのが、お経であり、仏様の教えでもあります。
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いかがだったでしょうか。
今回は、ご葬儀やご法事の意味について、亡くなられた方やご遺族などと接する中で感じることを中心に、お話をさせていただきました。
ご覧いただいた方にとって、先に往かれた大切な方との思い出が深まったり、悲しみや後悔などの思いが、少しでも和らいでいくようなご縁となったのであれば幸いです。
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合掌
福岡県糟屋郡 信行寺(浄土真宗本願寺派)
神崎修生
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南無阿弥陀仏