【仏教解説】のコーナーでは、仏教に関するテーマを一つ取り上げて、できるだけ分かりやすくご紹介しています。仏教やお寺を身近に感じていただいたり、日々を安らかに、穏やかに過ごすようなご縁となれば幸いです。
前回は道諦、八正道の概要について見ましたので、今回は、八正道の一つ目、正見(正しい見方)について見てみたいと思います。
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さて前回、四聖諦(ししょうたい)の道諦、八正道についての概要をお話しました。
道諦とは、苦しみを止滅させ、安らかなさとりの境地に至るための真理です。そして、その具体的な実践方法として、道諦には八正道という、八つの実践方法が説かれています。
この道諦、八正道を、現代の私たちにとって、もう少し馴染みのある言葉で表現するならば、道諦、八正道とは、私たちが幸せに生きていくための道であり、幸せに生きるための実践方法と言えるかと思います。
前回は道諦、八正道の概要について見ましたので、今回は、八正道の一つ目、正見について見てみたいと思います。
八正道の一つ目は正見です。正見とは、正しい見方のことです。
その内容はいくつかありますが、中でも四聖諦(ししょうたい)の真理について、正しく認識することだと言われます。
つまり、四聖諦の苦諦(くたい)という苦しみについて知ること。
集諦(じったい)という苦しみが起こる原因について知ること。
滅諦(めったい)という苦しみの消滅について知ること。
そして、道諦(どうたい)という苦しみの消滅に導く方法について知ること。
この苦諦、集諦、滅諦、道諦という四聖諦について正しく認識することが、正見の根本的な内容だと言われます。
もう少し分かりやすく言いますと、正見という四聖諦の真理について正しく認識することとは、私たちが抱える悩みや苦しみについて、正しく認識することであり、また、その悩み苦しみを和らげる方法について、正しく認識することと言えます。
例えば、どんな種類の苦しみかとか、その苦しみはなぜ起きているのかとか、苦しみを和らげるにはどうすればいいのかとか。
そうしたことについて、正しく認識することが正見であり、四聖諦の真理について正しく認識することだと言えます。
この数回にわたり、四聖諦のお話をしてきました。
集諦のところでは、私たちが抱える悩み苦しみの大きな原因は、煩悩であることをお話しました。そして、煩悩の代表として、三毒の煩悩という貪欲、瞋恚、愚痴という煩悩についてご紹介しました。
貪欲(とんよく)とは、貪りの心のことで、もっと欲しい、もっと欲しいと思う心のことでした。今の日常用語では、貪欲(どんよく)と言いますが、同じような意味ですね。
もっと欲しいというような欲求は、ほうっておけば際限なく膨らんでいくもので、中々満足しないものだと言います。
例えば今、自分が悩んでいたとします。そして、なぜ悩んでいるのだろうかと、自分の心に目を向けてみたところ、不満足な思いがあったとします。
何か満たされない気持ち、不満足な思いによって、自分が悩み苦しんでいることに気付いたとします。
では、その不満足な思いは、何に対する不満足でしょうか。そしてそれは、簡単に満たされるものでしょうか。
感嘆に満たされるようなものであれば、手に入れて、満たそうとすることもいいでしょう。
しかし、手に入れて一瞬は満足しても、長い間、満足は続かないかもしれません。
そして、次の何かを追い求めて、また不満足な思いが膨らんでいくかもしれません。
地位や名誉や財産といったものに対する欲求や、物質的なものに対する欲求は、たとえ手に入れても、満足が長続きしないものだそうですね。
そして、追い求めれば追い求めるほど、際限なく欲求は膨らんでいき、いつまでたっても満足できないかもしれません。
もし自分が、満足が長続きしないような種類のものを追い求めていて、それによっていつまでも満足できずに、自分は悩み苦しんでいるのだと気付くことができたならば、どうするのがよいでしょうか。
それ以上追い求め続けるよりも、ある程度のところで現状に満足したり、今あることに感謝することのほうが、悩み苦しみを和らげることにつながるかもしれません。
今は貪欲という、もっと欲しいと思う心、不満足な思いを例にお話しました。
これは、成長を求めることがだめだということをいいたいのではありません。もし自分が、仮に何かを追い求め続け、いつまでも手に入らず、それが悩み苦しみの原因となっているのであれば、悩み苦しみを和らげるためには、現状に満足するという方法が有効になるという話です。
この例のように、自分の悩みや苦しみに対して、どんな種類の苦しみかとか、その苦しみはなぜ起きているのかとか、苦しみを和らげるにはどうすればいいのかとか。
そのように、自分の心を観察して分析し、正しく認識していく。そうした見方が正見という正しい見方であり、四聖諦の真理について正しく認識することと言えるかと思います。
こうした正しい見方、正しい認識の仕方とは、日常に活用できるものです。
日頃の生活の中で、悩みや苦しみを感じた時には、宜しければ、今の話を思い出して、自分の心を見つめてみていただければと思います。
四聖諦とは、苦しみを和らげる考え方、実践法であり、日常に活用できるものですので、是非、気軽に活用してみていただければと思います。
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いかがだったでしょうか。
今回は、四聖諦の道諦、八正道の中の正見について、ご紹介しました。
次回は続きをご紹介したいと思います。
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合掌
福岡県糟屋郡 信行寺(浄土真宗本願寺派)
神崎修生
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