「仏教解説」では、仏教の考え方をできるだけ分かりやすく、ご紹介しています。仏教の考え方を通して、皆様の仕事や生活がより良いものとなったり、日々を安らかに穏やかに過ごすようなご縁となれば幸いです。
今回は、その八正道の中の七つ目、正念(正しい思念)についてご紹介致します。
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八正道の七つ目の正念とは、正しい思念のことです。念とは、「気付き」とも訳されます。「正念」で「正しい思念」「正しい気付き」という意味になります。
心や身体を観察し、感覚器官などを通して外側から入ってくる情報や、自分の内側からおこってくる感情などに意識を向け、気付いていくことだと言われます。
さて、私たちには、感覚器官があります。仏教では、私たちが持つ感覚器官や知覚能力を大きく六つに分類しています。
「眼・耳・鼻・舌・身・意」の六つです。これを「げん・に・び・ぜつ・しん・い」と読み、六根と言われます。
これらの器官は、「視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚・知覚」といった感覚や知覚する器官でもあります。これらの感覚器官、知覚能力によって、私たちは対象物を認識していると、仏教では考えます。
その対象物を、「色・声・香・味・触・法」(しき・しょう・こう・み・そく・ほう)と分類しています。
色とは、色や形のことです。私たちは、眼の視覚によって、色や形を認識していますね。声とは、音や声のことです。私たちは、耳の聴覚によって、音や声を認識しています。
香とは、匂いや香りのことで、鼻の嗅覚によってそれらを認識していますね。味とは、味わいのことで、舌の味覚でそれらを認識しています。
触とは、堅さ・熱さ・重さなどで、私たちは身体の触覚を通してこれらを認識しています。法とは、知覚や意識で捉える全ての対象のことを指しています。
これらの「色・声・香・味・触・法」という認識される対象物のことを、六境(ろっきょう)と言っています。
このように、私たちは、「眼・耳・鼻・舌・身・意」という感覚器官や知覚能力によって、対象物を認識していると仏教では考えるのですね。
眼で色や形を認識し、耳で音や声を認識している。ここまでは、理解できる話ですよね。そしてここからが、仏教が問題とするところです。
仏教では、ここで何を問題としているかというと、私たちは対象物をそのまま見ていない、ありのままに認識していないという点なんですね。
眼で見るという行為で考えてみましょう。私たちは、何か対象物を見ている時に、そのまま見ていないのですね。
例えば、好きな人に対しては好意的な感情を混ぜて見ていたり、苦手な人に対しては苦手意識や嫌悪感をもって見ていたりします。そういうことがありますよね。人を見る時に、自分の感情や過去の記憶などを混ぜて、私たちは見ています。
この例のように、私たちは対象物を見る時に、色眼鏡をかけて、バイアスをかけて、偏見をもって、物事を見ているのですね。これが、対象物をそのまま見ていない、ありのままに認識していないということです。
今は眼から入ってくる視覚情報で例えましたが、聴覚や嗅覚、味覚などでも同じことが言えるわけです。対象物をありのままに認識していないということが、仏教では問題とされています。
ではいったい、その何が問題なのでしょうか。何が問題だと思われるでしょうか。
問題は、対象物を感情や記憶などを混ぜて自分が捉えていることに気付かないと、妄想が膨らんで、現実を誤認したり、苦しみが増幅することがあるということです。
例えば、先ほどの例でいうと、好きな人を見た時に、好きという感情から妄想が膨らんで、苦しみが増幅することがあります。
どういうことかというと、好きという気持ちが大きいあまり、妄想が膨らみ、あの人もきっと自分のことが好きに違いないと勘違いしてしまうようなこともありますね。
でも現実がそうではない場合、落ち込みます。落ち込むだけならいいのですが、裏切られた気分になって、愛情が怒りや憎しみに変わるということもあります。
自分が現実を誤認したために、怒りや憎しみなどの感情がおこってくるのですね。そして、怒りや憎しみから衝動的な行動につながることもありますので、本当に気を付けなければいけません。
このように、好きという色眼鏡をかけて見ていると、妄想が膨らんで、現実を誤認したり、苦しみが増幅するということもあるのですね。
苦手な人と接する場合でも、同じようなことが言えます。苦手な人と会うことを想像しただけで、苦手という感情が先行して、会うのが苦痛になる、避けたくなるということはありませんか。
過去にその人と何かトラブルがあったり、または何となく苦手意識があったりして、その苦手意識がどんどんと膨らんで、嫌いという感情や、怒り、憎しみに変わることもあります。
しかし、過去にトラブルがあったとしても、相手はもうあまり気にしていないかもしれません。ですが、自分は中々そうは思えなかったりもしますね。これも、そのまま見れていない、ありのまま認識ができていない状態ですね。
私も偉そうなことは全く言えなくて、やはり人間関係の悩みはあります。そして、その悩みについて考えてみると、自分がその人や現実を正しく認識できておらず、自分の中で妄想を膨らませたり、苦手意識を膨らませたりして、悩みや苦しみとなっていることがあります。
ありのままに認識する、正しく思念するということは、中々難しいことですね。
眼や耳や鼻といった感覚器官を通して入ってくる情報に、自分の感情や記憶を混ぜて妄想し、それによって現実を誤認したり、苦しみが増幅される。そういうことを仏教では問題にしているのですね。そのため、正念という正しい思念、正しい気付きが大切だとされているのですね。
心や身体を観察し、感覚器官などを通して外側から入ってくる情報や、自分の内側からおこってくる感情などに意識を向け、気付いていく。
それによって、物事を正しく認識し、貪りや憂い、苦しみなどが除かれ、安らかで清らかな心の状態となっていく。そうしたことが、八正道の正念(正しい思念、気付き)のところで説かれていることかと思います。
そして、正念の具体的な方法として、ヴィパッサナー瞑想が挙げられます。そのヴィパッサナー瞑想を、医療用やビジネス用に転用したものが、マインドフルネス瞑想だと言われます。
ヘルシーテンプルにご参加の皆様は、日常的におこなわれていますね。瞑想の方法に関しては、様々な宗派のお坊さんが、ヘルシーテンプルで指導をされていますので、是非ご参加いただければと思います。
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いかがだったでしょうか。今回は、八正道の正念(正しい思念)についてご紹介致しました。次回以降も、八正道の続きをご紹介させていただきます。
合掌
福岡県糟屋郡 信行寺(浄土真宗本願寺派)
神崎修生
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