時代を超え、多くの人を魅了してきた仏教書『歎異抄』。稀代の宗教家、思想家と言われる親鸞聖人の、人間や世の中の本質を突いた逆説的な言葉の数々が、現代の私たちの常識や価値観が揺さぶられるような感覚を覚える書物です。
信行寺で開催している「真宗講座」では、その『歎異抄』を読み進めながら、人生の意味を味わい、生きる喜びや感謝の心を深めています。
今回は、『歎異抄』の中序を拝読しました。その時の内容を、文章と動画でご覧いただけるように致しましたので、ご関心がある方はご覧くださいませ。
▼動画でもご覧いただけます
◆『歎異抄』の構成
皆様、こんにちは。真宗講座では、人生を考えると題して、『歎異抄』を読んでおります。前回は、『歎異抄』の「第十条」を見ました。今回は、「中序」と言われる部分を見ていきたいと思います。
改めて、『歎異抄』の構成を確認しておくと、『歎異抄』は全部で十八条からなります。「前序」という序文が置かれて、その後に本文が十八条あります。
前半は、「第一条」から「第十条」までです。この前半部分は、親鸞聖人のお言葉が記されている部分だと言われます。前回、その「第十条」を見ていき、前半部分の解説は一応は終えました。
そして、その「第十条」の文章に一緒になるような形で「中序」が置いてあります。この「中序」が、それから後の「第十一条」から「第十八条」までの後半部分の序文になっているとも言われます。今回は、その「中序」の部分を見ていきます。
ちなみに、『歎異抄』の後半の「第十一条」から「第十八条」までは、「唯円房の歎異」と言われる部分です。親鸞聖人が伝えてくださったお念仏の教えが、異なって伝わっていることを歎き、『歎異抄』の著者と言われる唯円房が言葉を記した部分であると言われます。そこには、お念仏の教えの異なった解釈について、具体的に記されています。
今回は、「第十一条」以降のお念仏の教えの異なった解釈について、具体的に見ていく前に、「中序」を見ていき、そうした異なった解釈がうまれてくる理由について、ご一緒に考えてみたいと思います。ではまず、「中序」の文章を読んでいきましょう。
◆「中序」
◆唯円房の歎異
それでは、今拝読した「中序」の内容を、味わっていきたいと思います。この「中序」の内容から、親鸞聖人が言っておられないような異説を主張する人が多くいることが分かります。
『歎異抄』の著者と言われる唯円房は、そうした異説が主張され、お念仏の教えが異なって伝わっている状況を歎き、それを正そうと、この『歎異抄』を記されたと言われています。「中序」からは、そうした「唯円房の歎異」が表れています。
かつて親鸞聖人がご在世の頃に、同じ志をもって、関東からはるか遠い京の都におられる親鸞聖人のもとまで足を運んだ仲間たち。今のように、新幹線や飛行機や車がある時代ではありません。移動手段は、徒歩ですね。道中に宿やお店がないところも多いことでしょう。山越えもあったでしょうし、道中は過酷だったでしょうね。数百キロにもわたる道のりを、ある意味いのちがけで親鸞聖人のもとを訪ねるわけです。
そうしてまで親鸞聖人のもとを訪ねるわけは、ひとすじに阿弥陀仏の救いを信じて、いのち尽きた後には、阿弥陀仏の浄土へと生まれさせていただこうと思いをよせているからでしょう。
親鸞聖人のお顔を拝見し、お念仏の教え、親鸞聖人のお心を改めて聞かせていただき、共に喜ばせていただく。親鸞聖人のもとを訪ねた方は、唯円房をはじめ、そうした仏法を求め、道を求めた方々だったのでしょうね。
仏法や道を求める方々のこうした姿勢と、自分自身のあり方を比べてみると、果たして自分がしっかりとお念仏の教えに向き合えているかと言われると、お恥ずかしながら自信がありません。皆さんはいかがでしょうか。
日々おこなう家事や仕事やあらゆることを、一旦横に置いて、お念仏の教えをひとすじに聞き求める。お念仏を称え、お浄土に心を寄せる。
自分がそういう日々を送っているかとどうかと自分に引き寄せて考えながら、この「中序」の文章を見てみると、親鸞聖人のもとを訪ねた方々が、どれほどの思いで訪ねておられたのかが、より想像できるように思います。
そうした方々に教えをうけて念仏をもうされるようになった方々が、老いも若きも数えきれないほど多くおられたと、「中序」には記されています。しかしその中に、親鸞聖人が仰せになっていない異説を主張するものが多くおられた。
この「中序」には、こうしたお念仏の教えが異なって伝わり主張されているという当時の様子や、それに対する「唯円房の歎異」の思いが綴られています。
だからこそ、唯円房は、そうした異説が主張され、お念仏の教えが異なって伝わっている状況を歎き、それを正そうと筆を取り、『歎異抄』を記されたのでしょうね。
◆教えが正しく伝わる難しさ
親鸞聖人がご往生になり、段々と教えが異なって伝わっていくということは考えられることでしょうね。きちんと教えを伝えてくださる方がおられなくなり、段々と教えが異なって伝わっていくということは考えられます。
しかし、こうした状況は親鸞聖人がおられた当時からあったようです。例えば、親鸞聖人のご子息である善鸞という方は、異説を主張し、人々を混乱させたということで、親鸞聖人が義絶をなさったと伝わっています。
また、もう少し前の話ですが、親鸞聖人がお若い頃の法然門下でも、そうしたことはあったと言います。親鸞聖人は浄土宗の開祖、法然聖人の門下でお念仏の教えを学ばれます。その時にもやはり、お念仏の教えについての異説が色々とあったようです。
お念仏の教えをひとすじに聞き求めようとする方であっても、お念仏の教えを異なって理解していくということがおこるのですね。
もっとさかのぼれば、お釈迦様が亡くなられてからも、その教えの解釈の違いによって、教団が分裂していきました。おそらく仏教だけでなく、様々な宗教、また宗教以外のことでも、ものごとの解釈が違っていったり、対立していくことがあります。教えが正しく伝わっていくことは、それほど難しいことであるということが言えそうです。
ではなぜ、教えが正しく伝わることは難しいのでしょうか。教えが正しく伝わることが難しい理由の一つは、「伝えられたものをそのまま伝えること自体が難しい」ということがありそうです。
例えば、伝言ゲームをしてみると、3人目くらいから間違って伝えてしまっていることがありますね。短い文章ですら、そんな調子ですから、お念仏の教えを、伝えられたままに伝えていくことは、それ自体が難しいということが言えそうです。
ですから仏教においても、お釈迦様が亡くなられた後に、お釈迦様がおっしゃられたことが分からなくなっては大変だと言うことで、有力弟子が集まって、お釈迦様が言われていたことを文字に遺すという編纂事業がなされます。文字に遺っていれば、それが伝わっていきますからね。
ちなみに、そのお釈迦様の言葉が記されたものが、現代に伝わるお経です。お経はとなえるものというだけでなく、本来はこの人生をより心豊かに生きていくための教えが記されているのですね。
親鸞聖人も、数多くのお書物を遺してくださいました。そして、それを代々大切に保管して、今日まで伝えてくださった方々がおりました。
時には、お寺が家事になった時に、親鸞聖人直筆のお書物が焼けてしまってはいけないと、火の中に飛び込み、自らの腹をかっさばき、その中に書物を入れて、いのちがけで親鸞聖人のお書物を守ったお坊さんもおられました。その方は、全身が焼けて、遺体で発見されましたが、お腹の中に親鸞聖人直筆のお書物が遺っていたと言います。
このように、何とか後世に教えを伝えておこうとしてくださった先達がおられたおかげで、今私たちがこうして教えに触れることができるのですね。そう考えると、有難みが変わってきますね。
ちなみに、本願寺から出版されている「日常勤行聖典」は朱色ですが、その時の血に染まったお書物を表していると言います。こうしたお経や聖典とは、それほど大切に伝わってきたものですよということが表されているのですね。
話を戻しますと、教えが正しく伝わることが難しい理由の一つは、「伝えられたものをそのまま伝えること自体が難しい」ということがあります。しかし、書物を遺し、それを後世に伝えるなどして、先達は何とか教えを伝えていこうとしてくださいました。
また、教えが正しく伝わることが難しい理由のもう一つは、「教えを理解することが難しい」ということもあるでしょう。
私たちに引き寄せて考えてみても、仏教のお話を聞いた時に、全てが理解できるかというとそうでもありませんね。仏教用語が難しくて、言葉が理解できないということもあるでしょうし、また言葉は理解できても、言われていることが分からないということや、理屈として納得できないということもあるでしょう。
例えば、お浄土ということで考えてみると、お浄土という言葉がそもそも分からないとか、お浄土が仏の国だという言葉の意味は理解できても、果たしてお浄土があるのだろうかと疑問に思ったり、納得できないという場合もあるでしょうね。
そのように、教えが正しく伝わることが難しい理由として、「教えを理解することが難しい」ということもあるでしょう。
お念仏の教えとは、人間の理屈を超えたものと言われますから、理屈で考えていくだけでは理解が難しいところがあります。そして、自分が納得できたからといって、それが本当に正しい理解かというと、そうでもないということもあります。
そしてそうしたことが、教えが正しく伝わることが難しい理由の肝の部分になってきます。
◆自らのはからいをまじえてしまう
つまり、教えが正しく伝わることが難しい理由の根本的なものに、「自らのはからいをまじえてしまう」ことがあります。
これはきっとこうじゃないか。こうにちがいない。そのように、教えに対して自らのはからいをまじえて解釈していく。そうしていく中で、段々と教えが異なって伝わっていくということがあるのでしょう。
一人一人、性質や性格や仏教への理解度が違います。同じ教えを学んでいても、解釈の仕方が人それぞれに異なるということがあります。同じことを伝えても、受け取り方は人それぞれということがありますね。
そしてまた、自らのはからいをまじえるのは、今のように教えの真意を理解しようとする時だけではありません。どういう時かというと、利己的な思いが強くはたらく時に、自らのはからいをまじえることがあります。
それは例えば、自分の立場をもっと良くしようという時や、相手を言い負かしてやろうというような時のことです。そうした利己的な思いが強くはたらく時に、教えを利用して、そこに自らのはからいをまじえて伝え、教えが異なって伝わっていくことがあります。
先ほど、親鸞聖人のご子息の善鸞さんのお話を挙げました。親鸞聖人が京都におられた時の話ですが、お念仏の教えの解釈をめぐり、関東のほうで混乱が起きたことがありました。その関東での混乱をおさめるために、ご高齢の親鸞聖人に代わり、ご子息の善鸞さんが関東に派遣されます。
しかし関東には、その善鸞さんよりも年齢も上で、お念仏の教えを長く聞いてきた方々も多くおられました。そうした方を前にして、善鸞さんの言うことは全く聞き入れてもらえなかったのかもしれません。
そして善鸞さんは、「私は父親鸞からこのような教えを密かに聞いた」と主張したと言われています。そのことによって、混乱がさらに深まり、善鸞さんは親鸞聖人によって義絶されることとなります。
親鸞聖人が善鸞さんに教えを密かに伝えたということはなかったのですが、善鸞さんは利己心がはたらいたのでしょうか。「父親鸞から密かに教えを聞いた」というようなことを主張したと言われています。
「このように言えば、少しは皆が耳を傾けてくれるのではないか」「こうでも言わなければ、誰も取り合ってくれない」「自分は親鸞の息子だぞ。一目置いてくれてもいいのではないか」
善鸞さんは、果たしてそういう思いを抱いたでしょうか。ちなみに、善鸞さんが異説を主張したということとは、違う見方もあるそうです。その点、補足しておきます。
ともかく、そのような自分の立場をもっと良くしようという時や、相手を言い負かしてやろうというような時など、利己的な思いが強くはたらく時に、教えを利用して、そこに自らのはからいをまじえて伝え、教えが異なって伝わっていくことがあります。
私たちも、仕事や家庭などで、自分の思いを通していくことがいつしか主になって、本来の目的を見失ってしまうことはないでしょうか。
さて、『歎異抄』の「第十一条」から「第十八条」には、お念仏の教えの異なった解釈について、具体的に記されています。そして、これらの異なった解釈の根本には、こうした自らのはからいをまじえて教えを解釈したり、教えを伝えるということがあります。教えが正しく伝わることが難しい理由の根本的なものに、「自らのはからいをまじえてしまう」ことがあるということです。
ところで、先ほどの善鸞さんを例にお話した利己心についてですが、利己心がはたらくのは、性根の悪い人だけでしょうか。良い人は、利己心(自分中心の思い)はないのでしょうか。そうではないでしょうね。状況によっては、誰しもが利己的な行動をしてしまうかもしれません。
仏教では、利己心は誰もが持っていると考えます。ですから、状況によっては、誰しもが利己的な行動に出てしまいます。それほど、利己心とは根深いものです。
例えば、こういう話があります。ある方が、車の運転中に、一旦停止のところで止まらずに、車と接触事故をしたそうです。大変だ、事故をしてしまった。相手は大丈夫だろうかと、色々な思いが湧いたでしょうね。
警察官が来て、「あなたは一旦停止をしましたか」と聞かれたそうです。その事故をした人は何と答えたかと言うと、「すみません。一旦停止をしませんでした」と正直に答えたそうですよ。
そうしたら警察官の方が、「あなたは本当のことを言っていますね。一旦停止をしたかどうかは、見分をすると分かるんです。でも大抵の人は、一旦停止をしたと主張するんですよ」。そのように、警察官の方はおっしゃったそうです。
幸い、相手の方も大事はなかったそうですが、この話を聞いた上で、いかがでしょうか。もし自分が、同じように一旦停止の場所で止まらずに事故をした時に、正直に答えることができるでしょうか。ついとっさに、「一旦停止をしました」と答えてしまうかもしれませんね。
少しでも自分の罰が軽くなればという保身から利己心がはたらいて、そのように嘘をついてしまうかもしれません。このように、私たちも状況によっては、利己心がはたらいて、利己的な行動をとってしまうこともあるのではないでしょうか。
他にも例えば、学生時代に学校で問題が起きた時に、友人をかばって、実際とは違う証言を先生にしてしまったという経験をお持ちの方もおられるかもしれません。相手をかばう時にも利己心がはたらくことはあります。
このように、状況によっては誰しもが、利己心をはたらかせ、利己的な行動をしてしまう可能性があるのではないでしょうか。それほど、利己心とは根深いものなのですね。
お念仏の教えが異なって伝わるということについても、色々な人が利己的な自分都合のはからいを教えに加えて伝えていくことで、異説が生まれてくることがあります。
自分の立場をもっと良くしようという時や、相手を言い負かしてやろうというような時など、利己的な思いが強くはたらく時に、教えを利用して、そこに自らのはからいをまじえて伝え、教えが異なって伝わっていくことがあります。
こう考えると、異説が生まれてくる原因はとても根深く、教えが正しく伝わっていくということは、実はとても難しいことであるということが言えるかと思います。
◆念仏には無義をもつて義とす
「中序」のすぐ前にある『歎異抄』「第十条」には、このような言葉がありました。
他力の念仏においては、自力のはからいをまじえないことを本義とします。なぜなら、他力の念仏とは、我々のはからいを超えたものであり、説き尽くすことも、心で思いはかることもできないからです。このような言葉でした。
お念仏とは、自らのはからいをまじえないことが重要なのですよ。なぜなら、お念仏とは、私たちのはからいを超えたものだからですよ。「第十条」には、そのような親鸞聖人の言葉が記されていました。
お念仏の教えに対して、「自らのはからいをまじえない」ことが、とても重要なことだと「第十条」には示されています。そして、それがその後の「中序」と「第十一条」から「第十八条」までを貫くような言葉になっています。
今ここで言った、お念仏の教えに対して「自らのはからいをまじえない」ということが、今回の内容で一番重要な点になります。
お念仏の教えに対して異なった解釈が生まれてくる根本的な理由は、教えに対して自らのはからいをまじえることにある。自らのはからいをまじえて教えを解釈したり、伝えるということから、異なった解釈が生まれてくる。
お念仏の教えに対して「自らのはからいをまじえない」ことの重要性が、「第十条」の文章を念頭に「中序」以降を読んでいくと、知らされてくるところです。
『歎異抄』の「第十一条」から「第十八条」までは、お念仏の教えの異なった解釈が具体的に記されています。そして、それらの異なった解釈が生まれてくる根本的な理由として、お念仏の教えに対して「自らのはからいをまじえる」ことがあります。
そしてもっと言えば、「第十条」とは、「第一条」から「第九条」までを総括するような内容でした。つまり、お念仏の教えに対して「自らのはからいをまじえない」ということは、『歎異抄』全体を通して貫くテーマであり、とても重要なテーマであることが言えようかと思います。
お念仏とは、自らのはからいをまじえないことが重要なのですよ。なぜなら、お念仏とは、私たちのはからいを超えたものだからですよ。こうした言葉に触れた時に、お念仏の教えを聞いていく時には、「自らのはからいをまじえない」ということがとても重要であることが知らされてきます。
ともかく、『歎異抄』の後半の「第十一条」から「第十八条」までは、「唯円房の歎異」と言われる部分です。親鸞聖人が伝えてくださったお念仏の教えが、異なって伝わっていることを歎き、『歎異抄』の著者と言われる唯円房が言葉を記した部分であると言われます。そこには、お念仏の教えの異なった解釈について、具体的に記されています。
今回は、そうした異なった解釈を具体的に見ていく前に、異なった解釈が生まれてくる理由について、特に、お念仏の教えに対して「自らのはからいをまじえてしまう」ということについて、「中序」を通してお話させていただきました。
次回は、「第十一条」を見ていきたいと思います。
合掌
福岡県糟屋郡 信行寺(浄土真宗本願寺派)
神崎修生
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南無阿弥陀仏