【正信偈を学ぶ】第47回_摂取心光常照護~雲霧之下明無闇_信心の利益

【正信偈を学ぶ】シリーズでは、浄土真宗の宗祖である親鸞聖人が書いた「正信念仏偈」の内容について解説しています。 日々を安らかに、人生を心豊かに感じられるような仏縁となれば幸いです。

本日より、「正信偈」の「摂取心光常照護」から「雲霧之下明無闇」までの六つ句を見ていきます。

この六つの句は、「阿弥陀仏の光に常に照らされ護られる」という信心の利益が示されたところです。今回は特に、その六つの句の中でも、「摂取心光常照護」という言葉の意味について、見ていきたいと思います。テーマは、「信心の利益」です。

それではさっそく見ていきましょう。

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◆「正信偈」の偈文

ではまず、今回見ていく「正信偈」の本文、書き下し文、意訳を見ていきましょう。宜しい方は、ご一緒ください。まずは、本文からです。

摂取心光常照護 已能雖破無明闇
(せっしゅしんこうじょうしょうご いのうすいはむみょうあん)
貪愛瞋憎之雲霧 常覆真実信心天
(とんないしんぞうしうんむ じょうふしんじつしんじんてん)
譬如日光覆雲霧 雲霧之下明無闇
(ひにょにっこうふうんむ うんむしげみょうむあん)

次に、書き下し文です。

摂取の心光(しんこう)、つねに照護(しょうご)したまふ。すでによく無明(むみょう)の闇(あん)を破(は)すといへども、貪愛(とんない)・瞋憎(しんぞう)の雲霧(うんむ)、つねに真実信心の天に覆へり。たとへば日光の雲霧に覆はるれども、雲霧の下あきらかにして闇(やみ)なきがごとし。

次に、意訳です。

阿弥陀仏の光は、阿弥陀仏の救いを信じ喜ぶ人を摂め取って捨てず、常に照らし護ってくださいます。すでに疑いの闇ははれて、阿弥陀仏の救いを信じ喜ぶ心をいただいていても、貪り捉われの心や、怒り憎しみの心といった煩悩の雲や霧が、いつもその真実の信心の空を覆っています。しかし、たとえ空が雲や霧に覆われていても、太陽が出ていればその下は明るく、闇ではないのと同じようなものです。

◆信心の利益

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今回から見ていく六つの句ですが、それより四つ前の句に、「能発一念喜愛心」(のうほついちねんきあいしん)という句があります。今回の六つの句は、この「能発一念喜愛心」という句を受けています。それがどういうことかを、これから説明します。

「能発一念喜愛心」という句は、「阿弥陀仏の救いを信じ喜ぶ心をいただくと」という意味の言葉でした。この「阿弥陀仏の救いを信じ喜ぶ心」とは、浄土真宗における「信心」のことです。

そして、この「能発一念喜愛心」という句以降に、「では、信心をいただくとどうなるのか」ということが示されています。つまり、「能発一念喜愛心」以降の句には、「信心の利益」について示されているのですね。

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実は前回までに、その「信心の利益」のうちの二つを見てきました。

一つ目は、「煩悩を断ち切れないままでも救われる」という利益です。これは、「不断煩悩得涅槃」(ふだんぼんのうとくねはん)という句に示されています。「煩悩を断ち切れないままでも、浄土という仏の国に往き生まれ、安らかな仏のさとりをひらくことが定まる」という利益でした。

二つ目は、「全てのものが等しく救われる」という利益です。これは、「凡聖逆謗斉回入 如衆水入海一味」(ぼんじょうぎゃくほうさいえにゅう にょしゅしいにゅうかいいちみ)という言葉に示されています。「愚かなものでも、聖らかなものでも、様々な罪を犯したり、真実の教えをないがしろにするような生き方をするものでも、信心をいただき回心したならば、ひとしく救われる」という利益でした。

ここまでが、前回まで見てきた内容でした。

そして、今回から見ていく六つの句に、信心の利益の三つ目が示されています。その利益とは、「阿弥陀仏の光に常に照らされ護られる」という利益です。これは、「摂取心光常照護」から「雲霧之下明無闇」までの句に示されています。

「阿弥陀仏の光は、阿弥陀仏の救いを信じ喜ぶ人を摂め取って捨てず、常に照らし護ってくださる」という利益です。この利益を専門的な言葉では、「心光常護の益」(しんこうじょうごのやく)とも言います。

「正信偈」は、こういう構成になっていて、今は「信心の利益」について示されている部分を見ているということを念頭におきながら、話を進めていきたいと思います。

◆逃げるものをも抱き取る

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では、今回取り上げる「摂取心光常照護」という言葉の意味を見ていきましょう。

書き下すと、「摂取の心光(しんこう)、つねに照護(しょうご)したまふ」となります。

「摂取」とは、「摂め取る」という意味で、人々を救う仏様のはたらきや、慈悲の心を表す言葉です。

「正信偈」のこの部分では、「阿弥陀仏が、阿弥陀仏の救いを信じ喜ぶ人を摂め取る、抱き取る」という意味で、「摂取」という言葉が使われています。

親鸞聖人は、「摂取」という言葉について、書物の中でこのように解説されています。

「ひとたびとりて永く捨てぬなり。摂はものの逃ぐるを追はへとるなり」

(『浄土和讃』/親鸞聖人)

「阿弥陀仏という仏様は、一度摂め取ったならば、抱き取ったならば、永遠に見捨てることがない仏様である」ということが、「摂取」という言葉の意味にはあると示されています。また、「摂取」の「摂」という字には、「阿弥陀仏から背を向けて逃げるものをも追いかけて抱き取る」という意味があり、阿弥陀仏とは慈悲の心の深い仏様であることが示されています。

ある50代の男性の方が、お母様のご法事の時に、お母様とのエピソードを教えてくださいました。お母さまは、その50代の男性のことをいつも気にかけてくれていたようです。「無理はしないようにね」「できるだけ早く寝なさいよ」「お酒はほどほどにしなさいよ」などと言って、会ったり電話で話すたびに、いつも息子さんのことを気にかけておられたようです。

しかし言われたほうは、そうした言葉に「ありがとう」とは、中々思えなかったり、言えなかったりもしますね。その50代の男性も、「はいはい、分かったよ」とか、「もう子どもじゃないんだから大丈夫だよ」というように、雑に返事をすることが多かったようです。

ある時、働き過ぎがたたってか、その50代の男性は倒れて、病院に担ぎ込まれ、入院したことがあったそうです。容態は徐々に落ち着いたようですが、入院している間、お母様も何度もお見舞いに来られたそうです。その時のことを振り返りながら、その男性はこのようにおっしゃっていました。

「80代の母が、そんなに元気ではない身体で、自分のお見舞いに来てくれる。大丈夫かと気にかけてくれる。これまで自分が元気な時は、母が気にかけてくれることに対して、何とも思わなかったり、時には疎ましく思うことさえありました。しかし、親とはありがたいものですね。そうした過去がなかったかのように、親身に接してくれる。自分の身を案じてくれる。親の思いに、入院した時初めて、きちんと向き合えた気がします。そして、これまでの自分の態度を、本当に申し訳なく思いました」。そのようにおっしゃっておりました。

さて、阿弥陀仏とは、一度摂め取ったならば、永遠に見捨てることがない仏様であることが、「摂取」という言葉で示されています。それはまるで、何歳になっても我が子を心配し、気に掛けるような親心のようでもあります。そして、背を向けて逃げるものをも追いかけて、優しく抱き取り、包み込むような心をもった仏様だと言われます。

50代の男性とお母様のエピソードを通して、阿弥陀様が私たちにいつも思いをかけ、抱き取ろうとしてくださっていることを思いました。

「摂取心光常照護」の「摂取」という言葉には、このような阿弥陀仏の慈悲の心の深さが示されています。

◆心光常護の益

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次に、「摂取心光常照護」の「心光」とは、ここでは阿弥陀仏の放つ光のことです。大いなる智慧と慈悲の心で、阿弥陀仏の救いを信じ喜ぶものを摂め取ろうとする光のことです。

また「心光」とは、仏の心から放たれる光とも言われ、すでに阿弥陀仏の救いを信じ喜ぶ心をいただいた人を、摂め取って捨てないというはたらきがあるとされます。

ちなみに、この「心光」に対する言葉が、「色光」(しきこう)だとされます。「色光」とは、仏の身体から放たれる光のことで、まだ阿弥陀仏の救いを信じ喜ぶ心がない人を、信心をいただいていくように育てるはたらきがあるとされます。

ここでは、「心光」という言葉が使われていますので、すでに阿弥陀仏の救いを信じ喜ぶ心をいただいた人を、摂め取って捨てない光という意味になります。しかし、これらは別々のものではなく、同じ一つの阿弥陀仏の光を二つの性質で表現したものです。

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次の「常照護」ですが、「常」とは常にということです。そして「照護」とは、照らし護るということです。「常照護」とは、昼も夜も、例えば私たちが悩んでいるような時も、楽しく笑顔でいる時も、またどこにいても、阿弥陀仏は常に光で照らし護ってくださっているという意味の言葉です。

お念仏の教えを聞いてこられたある女性は、このようにおっしゃっていました。「阿弥陀様がいつも照らしてくださっている、見護ってくださっていると思うと、本当に心が安らぎます」。この方のように、阿弥陀様から照らされ護られていることに、温もりや安らぎを感じるという方は多いですね。

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改めて、「摂取心光常照護」という言葉の意味を見てみましょう。「阿弥陀仏の光は、阿弥陀仏の救いを信じ喜ぶ人を摂め取って捨てず、常に照らし護ってくださいます」。こういう意味の言葉となります。

そしてここには、「信心の利益」が示されていると申しました。その利益とは、「阿弥陀仏の光に常に照らされ護られる」という利益でした。それを、専門的な言葉で、「心光常護の益」とも言います。

「阿弥陀仏の光は、阿弥陀仏の救いを信じ喜ぶ人を摂め取って捨てず、常に照らし護ってくださる」。信心にはそういう利益があることを、「摂取心光常照護」という句では示されています。

◆もととなったお経と注釈書

阿弥陀仏の救いを信じ喜ぶ人には、「阿弥陀仏の光に常に照らされ護られる」という利益があることを、「正信偈」には示されていました。これは、親鸞聖人の根拠のない見解ということではなく、お経やお経の注釈書などにも、そうした内容が説かれています。最後にそれらの言葉も確認しておきましょう。

まず、阿弥陀仏の救いが説かれた『仏説観無量寿経』というお経には、このように記されています。

「光明は、あまねく十方世界を照らし、念仏の衆生を摂取して捨てたまはず」

「阿弥陀仏の光明は、ひろく全ての世界を照らし、阿弥陀仏の救いを信じ、念仏を称えるものたちを摂め取って、お捨てにならないのである」

(『仏説観無量寿経』/釈迦如来)

ここには、阿弥陀仏の光明は、全ての世界を照らし、阿弥陀仏の救いを信じる人を摂め取って捨てないと示されています。「正信偈」の「摂取心光常照護」の言葉と同じ意味の言葉が、『仏説観無量寿経』というお経に記されています。

また、親鸞聖人も尊敬された中国の高僧である善導大師は、『観念法門』(かんねんぼうもん)という書物に、このように記されています。

「ただもつぱら阿弥陀仏を念ずる衆生のみありて、かの仏の心光つねにこの人を照らして、摂護(しょうご)して捨てたまはず」

「一心に阿弥陀仏を念じるものを、阿弥陀仏の光は常にこの人を照らして、摂め護ってお捨てにならないのです」

(『観念法門』/善導大師)

ここにも、同じ意味の言葉が記されています。

『仏説観無量寿経』をお説きになったお釈迦様も、その『仏説観無量寿経』を註釈された善導大師も、親鸞聖人よりも以前の方です。親鸞聖人は、こうしたお経や注釈書をご覧になり、「正信偈」をつくられたことがお分かりいただけるかと思います。

そしてまた、親鸞聖人ご自身も、阿弥陀仏の救いに摂め取られ、阿弥陀仏の光に照らされていることを喜びながら、この「正信偈」の言葉を記されたのではないでしょうか。

いかがだったでしょうか。

今回は、「信心の利益」というテーマで、「正信偈」の「摂取心光常照護」という句の意味について見ていきました。皆様は、どのように感じられたでしょうか。また感想もお聞かせください。

次回も「正信偈」の続きを見ていきます。


合掌
福岡県糟屋郡 信行寺(浄土真宗本願寺派)
神崎修生

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