アナウンサーの古舘伊知郎さんがおられますね。
プロレスの実況や、報道ステーションのキャスターを長年勤めておられたことを記憶されている方も多いのではないでしょうか。
その古舘さんですが、お若い頃に最愛のお姉様を癌で亡くされています。
最愛のお姉様を亡くすという経験を通じて、古舘さんは仏教に出遇っていかれたそうです。
古舘さんが、そうしたお姉様との別れや仏教との出遇いについて語られている動画が、古舘さんのYoutubeチャンネルで配信をされていました。
その動画を拝見して色々と感じることがありましたので、今日はその内容を皆様に共有をさせていただきたいと思います。
▼動画でもどうぞご覧ください。
◆仏教との出遇い
さて、古舘さんにとってお姉様は大きな存在だったようです。
古館さんより6つ年上で、アナウンサーになるきっかけにもなった存在だったのかなと、お話を聞きながら思いました。
そのお姉様が、37歳の時にスキルス性の胃癌になっていたことが分かったそうです。
分かった時点で、癌はずいぶんと広がり、進行してしまっていたようです。
3回手術をして、抗癌剤治療をするなど、5年ほど闘病されたそうですが、42歳で亡くなられたとのことでした。
古舘さんは、肉親としていくつかの悔いが残ったそうなのですね。
現代はインフォームドコンセントといって、本人が自らの病状や病気のことを理解した上で、どのような治療をし、生活をしていくかを決めていく時代です。
しかし、古舘さんのお姉様が治療をしていた時代は、まだ病気を本人に隠すことが普通の時代でした。
本人には胃潰瘍だとか、婦人科の病気だと言って隠しながら、家族で相談をして化学療法を進めていったそうです。
しかし、お姉様はおそらく癌であることは気付いていて、気付きながらもそのことを家族には言わず、家族もまた本人には言わないという、そういう時代であり、そんな中で抗癌剤治療を進めていったそうなのですね。
抗癌剤治療は、癌細胞だけでなく、周辺の正常な細胞にも影響を与えてしまい、髪の毛が抜けたり、強烈な吐き気をもよおすなどの副作用が出る場合があります。
お姉様もそんな副作用の中、段々と体調が悪くなっていったそうです。
お母様と古舘さんを中心に抗癌剤治療をはじめとした化学療法を進めていったそうですが、それはお姉様に「1秒でも長く生きてほしい」という思いからおこなったとのことでした。
大切な人に「1秒でも長く生きてほしい」と思う心は、分かりますよね。
しかし、古舘さんはそうした「1秒でも長く生きてほしい」という思いは、自分のエゴだったのではないか、間違っていたのではないかと、後に思うようになったそうです。
また、お姉様が亡くなった後、通夜、葬儀が終わり、火葬場に向かう時に、古館さんの両親はそのバスには乗らずに帰ったそうなのですね。
おそらく、我が娘が遺骨になるところを見れなかったのでしょうね。
火葬場には行かずに肩を落として帰ろうとしている両親の後ろ姿を見た時に、古館さんは、娘を亡くした親のつらさを感じたそうです。
お母様は、治療中から「できるなら娘と自分の内臓を全部取り替えてあげたい」と言われていたそうです。
また、お父様も仕事の合間をぬって、病院へよくお見舞いに行っていたそうです。
そんな両親が火葬場のバスに乗らずに、自宅に帰ろうとしている。
その後ろ姿を見ながら、最愛の姉を亡くした自分も悲しみにくれていたけれども、それ以上に娘を亡くした両親はつらいよなと古館さんは思ったとのことでした。
そして、自分の悲しみばかりにしか目を向けられなかった自分のエゴにも気付いたそうです。
このように、古館さんは最愛のお姉様を亡くすことを通じて、自分のエゴに気付かされ、自分は間違っていたという思いから、仏教に関心をもつようになったということでした。
◆生死一如
それから、古舘さんは仏教、中でも特にお釈迦様の考え方に触れていかれます。
そして、仏教に触れることを通じて、何度も反芻(はんすう)しながら、お姉様を亡くした事実と、亡くしていく中で感じた自らの感情などについて、気付きを深めていかれたようです。
仏教に触れる中で、古舘さんが感じられたことはこのようなことだったそうです。
生死一如(しょうじいちにょ)というように、生と死とは一体であること。
生きることが良いことで、死ぬことが悪いことではないこと。
長く生きたか、短く生きたかで優劣が決まるわけではないこと。
古舘さんは、姉を亡くしたことで自分の片肺をとられたような悲しみを抱く中で、お釈迦様のこうした考え方に救われた思いがしたといいます。
姉が若くして癌になり、亡くなっていくことを、自分はなぜ悲しいこと、つらいことだとしかとらえられなかったのか。
若くして亡くなることが悲しいことだとしかとらえられなかったからこそ、自分は科学療法をしゃにむに進めてしまったのではないか。
古舘さんは、仏教を通じてそうしたことを思われたとのことでした。
これは、化学療法が悪いという話ではないのでしょう。
そしてまた、「1秒でも長く生きてほしい」と思うことが悪いという話でもないのでしょう。
「1秒でも長く生きてほしい」という家族としての願いは、当然のように抱くことではありながら、しかし、はたしてそれが本人のためになっていたのだろうか。
1秒でも長く生きることが、本当に姉が望んでいたことだったのだろうか。
自分のエゴだったのではないか。
古舘さんは、そうした問いに突き当たったのかもしれません。
そして、そうした問いに突き当たった時に、古館さんは仏教にその答えを求めたのかもしれません。
◆自分本位への気付き

私たちは、自分本位であったと気付かされる時に、これまでとは世界や物事が違って見えてくることがあります。
古館さんはこれまで、「1秒でも長く生きてほしい」と願うことは当然であり、長く生きるために化学療法をすることは正しいことだと思っていたそうです。
しかし、1秒でも長く生きることが、姉の望んだことだったのだろうか。
自分が癌であることを分かりながら、両親や夫や弟にあえて任せてくれていたのだろうか。
我が子をはじめ、大切な人と時間を過ごし、きちんと言葉や思いを伝えたかったのではないか。
こうしたことまで言われてはいませんでしたが、古館さんはこのようなことを感じたのではないかと動画を拝見しながら思いました。
古館さんは、自分本位であったと気付かされる中で、お姉様の立場や思いが、これまでとは違って見えてきたのではないでしょうか。
そして、悲しんでいるのは自分だけではなく、自分以上に両親はつらいよなと思えたのも、自分本位であったと気付かされる中で見えてきた親の姿があったからかもしれません。
◆亡くなった方が生きた意味
生死一如というように、生と死とは一体であること。
生きることが良いことで、死ぬことが悪いことではないこと。
長く生きたか、短く生きたかで優劣が決まるわけではないこと。
古館さんは、仏教に触れる中でこのようなことを感じ、救われる思いがしたのでしょう。
そして、こうした考え方によって古舘さんが救われる思いがしたのは、「お姉様の存在や人生を肯定的にとらえなおすことができたから」ではないかと私は思いました。
これは私の勝手な想像であり、古館さんがそのように思われたかどうかは分かりません。
しかし、救われたという思いになるのは、単に仏教の考え方に関心があるということ以上のものがあるのではないかと思うのですね。
「若くして病気になり、亡くなることはつらいことだ」という価値観は、「若くして亡くなる人の人生とはつらいものだ」と決めつけてしまうことにもなります。
そうした決めつけは、その人がこの世に生まれてきた意味や、生きてきた意味を見出すことを難しくします。
しかし、若くして亡くなることで、その人の人生は無意味になってしまうのでしょうか。
その人が生きて感じた喜びや楽しみが、無かったものになってしまうのでしょうか。
そうではないですよね。
たとえ、若くして亡くなったとしても、その人はその人の人生を大いに生き、精一杯生き抜いていったかもしれません。
若くして亡くなるという一点だけで、その人が生まれてきた意味や、生きてきた意味までが無くなるはずはありません。
若くして亡くなることが悪いことではないよ。
人は生まれ、歳を重ね、病になり、亡くなっていく。
それは自然なことだよ。
そうしたお釈迦様の言葉によって、古舘さんはお姉様の存在や人生を肯定的にとらえなおすことができたのではないでしょうか。
たとえ平均寿命より短かい人生であったとしても、姉は姉の人生を精一杯生きたのでないか。
かけがえのない人生を懸命に生き抜いていったのではないか。
そうしてとらえなおすことができたとき、お姉様がこの世に存在した意味を、古館さんは改めて感じることができたのではないでしょうか。
それは、幼い頃から自分のあこがれの存在であり、最愛の存在であった姉を、これからもそのように思い続けることができるということでもあります。
お姉さん、ありがとう。本当にありがとう。いい人生だったね。
そのように、お姉さんの存在や人生を肯定的にとらえなおすことができたとき、古舘さんは救われた思いがしたのかもしれません。
心の深い部分にお釈迦様の言葉が触れたからこそ、古館さんは救われた思いがしたのではないかと思いました。
この最後の部分は、古館さんが言われたことではありませんので、全く見当外れかもしれません。
そうでしたら大変申し訳ないのですが、古館さんのお話を伺いながら、私はそのように感じました。
皆様は、どのようなことを感じられたでしょうか。
宜しければ、古館さんの動画を直接ご覧になってみてください。
▼【釈迦の推し活】古舘が釈迦の仏教にハマった理由。姉の死。父と母の背中。
合掌
福岡県糟屋郡 信行寺(浄土真宗本願寺派)
神崎修生
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