【一口法話】おすそ分けの心が人生を豊かにする

信行寺で開催している「朝参り」では、皆様の心が少しでも安らぐようなご縁となればと思い、法話をしております。

今回は、「おすそ分けの心が人生を豊かにする」というテーマでお話をさせていただきます。

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先日、『本願寺新報』という本願寺から出ている新聞を読んでいましたら、浅野執持さんという布教使の方が、このような言葉を紹介されていました。

一生を終えてのちに残るのは、われわれが集めたものではなくて、われわれが与えたものである。

この言葉は、クリスチャンで作家の三浦綾子さんという方が書かれた小説の中に、何度も出てくる言葉だそうです。

私たちが、一生懸命働いたりして手に入れたものよりも、与えたもののほうが後に残っていくという意味の言葉でしょうか。

生き方として、手に入れていくというような生き方よりも、与えていくという生き方のほうが大事かもしれない。そのように、生き方を考えさせられるような言葉ではないでしょうか。

私たちは若い頃や元気な頃は、何かを手に入れることに一生懸命になることも大事かもしれませんね。

例えば、生きていくためにお給料をいただこうと頑張ったり、欲しいものを手に入れるため、夢を叶えるために頑張ったり、好きな人と結ばれるために、一生懸命アピールをしたり。

そうした何かを手に入れるために一生懸命になることは、青春と言われるように、人生を彩りますよね。ですから若い頃に、何かを手に入れることに一生懸命になることも、大事な経験かもしれません。

皆さんは、若い頃に思い残したことはありますでしょうか。

あんなところに行ってみたかったとか、こんなことをやりたかったとか、こういうものが欲しかったとかありますか。きっと、一つや二つはあるのではないかと思います。

私は、もっと海外を巡って、色々なことを見たり感じたりして、見分を広めたかったなと思います。

皆さんは、思い残したことはあるでしょうか。

ただ、家庭を持ったり、仕事が忙しくなったり、歳を重ねたりして、私たちはそういう思いに折り合いをつけることもありますね。

私も、海外を巡ることは、叶えばいいなという思いは今もありますが、どうしても叶えたい目標かと言うと、そうではなくなっている気がします。

しかし、折り合いをつけたり、あきらめたかというと、それだけではないように感じます。

どちらかというと、自分の思いを叶えることや、自分が何かを手に入れることに、それほど一生懸命になれなくなっている自分がいるように思うのですね。

この自分の思いを、今回の話に関連した言葉で表現すれば、手に入れる生き方だけでは喜べず、与えることにも喜びを感じるようになってきているのかもしれません。

これはそれほど立派なことではないのです。何かが欲しいという思いはありますし、ただ、それを何のために使うのか。

自分のために使うだけではなく、周りの人も喜んでくれるような使い方ができたら、自分も喜びを感じる。そういう思いも持つようになってきたといいましょうか。

皆さんもそういう感じはありませんか。

自分が何かを手に入れるということに一生懸命になる生き方だけでなく、周りの人に何かさせていただくことにも喜びを感じるような生き方になっていませんか。

例えば、こういう方がおられました。

70代の女性の方ですが、お連れ合いを亡くされて、自分だけが生活するなら、年金で何とか暮らしていけるそうです。

しかし、お孫さんの教育費の一部を出しておられて、そのためにお仕事をなさっているとおっしゃっていました。

自分の服を買うとか、そういうことにはあまり興味がないそうですが、それよりもお孫さんのことを思っておられるようでした。

他にも、野菜が多く取れたら、ご近所の方に配っておられる方や、働くお母さんが大変だろうからと、学童保育のお手伝いをされている方。他にも民生委員をされている方や、子どもの登下校の見守りをされている方。

色々とおられますし、それぞれに何かしら、周りの人に何かをするという機会があられるのではないかと思います。

自分ができることの中で、周りの人のために何かをすることに、やりがいや喜びを見出すということが、私たちにはあるようですね。

自分が何かを手に入れるということに一生懸命になる生き方だけでなく、周りの人に何かさせていただくことにも喜びを感じるような生き方になっていく。

そして結果的に、自分のためにやったことよりも、人のためにやったことのほうが、後に残っていくのでしょうね。

一生を終えてのちに残るのは、われわれが集めたものではなくて、われわれが与えたものである。

自分の人生の変遷と照らし合わせてみると、この言葉が実感されるという方もおられるのではないでしょうか。

私は僧侶という立場上、色々な方のご葬儀やご法事のご縁に合わせていただくことがあります。一生を終えたのちをご一緒させていただく機会も多いのですね。

ご家族をはじめ、周りの方を大切にされたのだろうなと思われる方のその思いや温もりは、後の方に伝わっているものですね。

さて、私たちはいざ周りの人に何かを与えようと思うと、少し難しく感じるかもしれません。

また、与えるという言葉が、立場が上の人から下の人に対してすることのように感じて、違和感がある方もおられるかもしれません。

ですから、「与える」というよりも、「おすそ分け」と考えてみるとどうでしょうか。「おすそ分け」という言葉は、良い言葉だなと思います。

「与える」という言葉は、自己犠牲のように感じてしまう場合もありますが、「おすそ分け」だとそれがありませんね。

自分を大事にしながら、しかし自分が良ければ良いということで終わらない。できることの中で人のためにもさせていただく。

そうした生き方が、仏教的な生き方とも言えるでしょうね。そして、そうした仏教的な生き方が、「おすそ分け」という言葉にも表れています。

今言っている「おすそ分け」とは、ものを配るという意味だけではなくて、周りの人のことを思いながらする全てのことです。

例えば、笑顔をおすそ分けしてみる。感謝の気持ちや嬉しい気持ちをおすそ分けしてみる。飴やお菓子をご友人に分ける。

そういう小さなことでいいのではないでしょうか。

宜しければこれからの一カ月、「おすそ分けの心」を意識して過ごしてみていただければと思います。

相手のことを思ってした「おすそ分け」が、きっと相手の心にも残り、それが巡り巡って、この人生を豊かにすることでしょう。

今回は、「おすそ分けの心が人生を豊かにする」というテーマでお話をさせていただきました。

そして、今日ご紹介させていただいた言葉は、

一生を終えてのちに残るのは、われわれが集めたものではなくて、われわれが与えたものである。

という言葉でした。

クリスチャンの方の言葉でしたけれども、仏教にも通じる言葉ではないかと思います。

法話を通して、少しでも心が安らかになったり、この一カ月を心新たに過ごすようなご縁となれば幸いです。

本日も、信行寺の「朝参り」に、ようこそお越しくださいました。


合掌
福岡県糟屋郡 信行寺(浄土真宗本願寺派)
神崎修生

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