信行寺で開催している「朝参り」では、皆様の心が少しでも安らぐようなご縁となればと思い、法話をしております。今回は、「手を合わせる意味。大切な方との別れをどう受け止めたら良いか」というテーマで、お話させていただきました。
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皆様、おはようございます。信行寺の朝参りに、ようこそお参りくださいました。朝参りでは、短い法話をさせていただいております。
今日は、「手を合わせる意味」について、皆様とご一緒に味わってみたいと思います。
昔から日本では、手を合わせることを通して、大切な方との別れを受け止めてきました。そして、受け止める中で、大切な方とまた会い、思いに触れ直すことがあるようです。
今日は、「手を合わせる意味」について、「別れを受け止める」「また会う」「思いに触れ直す」という三つのことから、味わってみたいと思います。
◆大切な方との別れを受け止める
以前、20代の女性の方が、このような思いを語ってくださいました。
「亡くなったおばあちゃんに、また会いたいです。またおばあちゃんに会えるでしょうか」。このような思いを語ってくださいました。
その方のおばあさまは突然亡くなられ、急にお別れすることになったそうです。「もっと会っておけばよかった」「もっとお話がしたかった」と、後悔や追憶の思いがわいておられたようでした。「おばあちゃんのことが大好きでした」と、涙ながらに語っておられました。
この方のように、私たちは、大切な方と別れた時に、「もう会えない。また会いたい」という思いになることがありますね。そしてまた、寂しさや悲しさと同時に、亡くなったことを実感できない時もあります。
以前、ご葬儀をお勤めさせていただいた60代の女性の方は、お連れ合いを亡くされました。その方は、このようにおっしゃっていました。
「まだ亡くなったことを実感できません。いつも病院にお見舞いに行っていましたから、今も病院にいて、行ったら会えそうな気がします。でも、不思議と涙だけは出てくるんですね」。その方は、そうおっしゃっていました。
私たちは、大切な方と別れた時、その事実を中々受け止められないことがあります。別れて間もないあいだは、悲しみや後悔の思いと共に、何か現実ではないような気もします。思いが揺れ動いているのですね。
しかし、手を合わせることを通して、徐々に受け止めていくことが多いです。「手を合わせる意味」の一つに、「大切な方との別れを受け止める」ということがあります。
◆大切な方とまた会う
また、「手を合わせる意味」として、「大切な方とまた会う」ということがあります。
日本には、お仏壇やお墓の前で手を合わせ、大切な方に思いをはせるという文化があります。
「お父さん、おはよう。今日も行ってくるね」「お父さん、ただいま。今日はこんなことがあったよ」。そのように、大切な方に手を合わせながら、日々の出来事や思いを語りかけることも多いですね。
手を合わせ、会話しているその瞬間、私たちは、大切な方とまた会っているのでしょうね。
大切な方が亡くなれて、離れ離れになったはずですが、手を合わせる瞬間に、私たちはその方とまた会っている。これは、凄いことではないでしょうか。
仏教では、大切な方と別れていく苦しみを、愛別離苦と言いいます。愛する方と別離する苦しみ、別れていく苦しみということで、愛別離苦です。
本願寺の第三代の宗主である覚如上人は、愛別離苦とは数ある苦しみの中でも、最も苦しいものだとおっしゃいました。
大切な方との別れを経験した方は、本当にそうだなと頷かれるのではないでしょうか。思い出や共に歩んできた時間が深い分、苦しみや悲しみは中々癒されません。
しかし、手を合わせることを通して、徐々に大切な方との別れを受け止め、また会っていると実感できる。もう会えないはずの方と、また会っていると実感できる。これは本当に凄いことで、先人から受け継がれてきた、人類の知恵ではないでしょうか。
このように、「手を合わせる意味」として、「大切な方とまた会う」ということがあります。
◆大切な方の思いに触れ直す
そして、「手を合わせる意味」として、「大切な方の思いに触れ直す」ということもあります。
浄土宗のお坊さんに井上広法さんという方がおられます。私もよくお世話になっている方なのですが、先日、その井上広法さんのご法話を伺っていたら、このような言葉を紹介されていました。
もとはどなたの言葉なのかを聞きそびれてしまったのですが、とてもいい言葉だと思いました。この言葉を、私なりに別の言葉で言い換えてみると、このようにも言えるかと思います。
私たちは、子どもの頃や若い頃など、誰かに思いをかけてもらっている時は、その思いを実感しないことも多いですね。
しかし、例えば子どもができたり、孫ができたり、部下ができたり、またはペットの世話をするなど、誰かに思いをかけている時に、自分がかけられた思いを実感することがあります。
ご法事の時に、40代の男性の方が、このようなことをお聞かせくださいました。
「子育てとは、こんなに手が掛かるとは思っていませんでした。想像以上でした。可愛さは、もちろんあるのですが、それ以上にこんなに手が掛かるんだと驚いています。
それと同時に、自分が子どもの頃も、手が掛かっていたんだということを、今更ながら思いました。自分の場合は、父を早くに亡くし、母は働きに出ていたので、おばあちゃんに面倒を見てもらっていました。40代の自分でも、子育て疲れをするのに、おばあちゃんはあの歳で自分を育ててくれて、本当に、感謝しかないです」。
40代の男性の方は、そのようにおっしゃっていました。
私たちは、誰かに思いをかけている時に、かけられた思いを実感することがあります。そして、かけられた思いを実感する時に、「大切な方の思いに触れ直す」ことがあります。その男性の方は、30年越し、40年越しに、おばあ様の思いに触れ直したのでしょうね。
そのように、「手を合わせる意味」として、「大切な方の思いに触れ直す」ということがあります。
今日の冒頭に、20代の女性の方のお話を致しました。亡くなったおばあちゃんのことが大好きで、「亡くなったおばあちゃんに、また会いたいです。またおばあちゃんに会えるでしょうか」と、思いを語ってくださった方ですね。
私はその方に、僭越ながらこのようにお伝えさせていただきました。
「おばあさんを失って、苦しいですよね。ただ、おばあさんとの思い出は、残り続けます。おばあさんが思いをかけてくれていたことは変わりません。
手を合わせながら、おばあさんの思いに触れ、その手の中、胸の中が、おばあさんの思いで満たされることもあるでしょう。ですから、手を合わせることを大切にしてください。時間はかかるかもしれませんが、手を合わせながら、おばあさんとまた会っている、一緒にいると実感できる日がくると思います」。
差し出がましいですが、そのようにお伝えしました。
大切な方と別れることは、人生の一大事です。昔から日本では、手を合わせることを通して、大切な方との別れを受け止めてきました。そして、受け止める中で、大切な方とまた会い、思いに触れ直すことがあるようです。
◆
今日は、「手を合わせる意味」について、「別れを受け止める」「また会う」「思いに触れ直す」という三つのことから、味わってみました。
お話を聞かれて、どのように思われたでしょうか。また是非、感じたことなどをお聞かせいただければと思います。少しでも、心豊かな人生を歩むご縁となれば幸いです。
本日も、信行寺の朝参りに、ようこそお参りくださいました。
合掌
福岡県糟屋郡 信行寺(浄土真宗本願寺派)
神崎修生
南無阿弥陀仏