【基礎から学ぶ浄土真宗】親鸞聖人の生涯④法然聖人とお念仏の教えとの出遇い

「親鸞聖人の生涯」を見ています。

「親鸞聖人の生涯」を通して、浄土真宗の教えに触れるご縁となったり、またご自身の人生についても振り返るようなご縁となれば幸いです。

前回は、親鸞聖人の「六角堂での参籠と夢告」について見ていきました。

法然聖人のもとを訪ねるべきか、それとも比叡山に留まるべきか。

親鸞聖人は、そのような葛藤の中で、自分自身が進むべき道を尋ねるため、尊敬する聖徳太子への信仰の地である六角堂にて、百日間の参籠を決意されたのではないか。そういった説についてご紹介しました。

そして、参籠をはじめて95日目の明け方、親鸞聖人はある夢を見ます。

その夢とは、救世観世音菩薩の姿をした聖徳太子が夢に出てきて、親鸞聖人に言葉を示されたという内容だったようです。

親鸞聖人は、この夢での言葉を受けて、六角堂での参籠を終了し、ただちに法然聖人のもとへ向かわれました。

今回は、「親鸞聖人の生涯」について、中でも「法然聖人とお念仏の教えとの出遇い」について、見ていきたいと思います。

それでは、さっそく見ていきましょう。

▼動画でもご覧いただけます。

◆道を求める強い思い

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親鸞聖人は、六角堂で参籠をはじめて95日目の明け方、聖徳太子の夢を見ます。その夢を見た後、すぐに法然聖人のもとへ向かったと言われています。

夢を見た時間は、暁(あかつき)とされていて、午前4時頃だそうです。

午前4時頃に夢を見て、その後すぐに六角堂を出て、京都東山の吉水におられる法然聖人のもとへ向かったということです。

午前4時であれば、おそらくあたりもまだ暗い時間ではないでしょうか。こうしたエピソードからも、親鸞聖人の道を求める思いはよほど強いものであったことが伝わってきます。

例えば、親鸞聖人のこれらのエピソードを、私たちで例えるならどのようなものでしょうか。

六角堂での95日間の参籠は、私たちで言えば、95日間欠かさずに稽古場に行き、稽古に励むようなものでしょうか。

そして、法然聖人のもとを訪ねることは、私たちで言えば、素晴らしい先生を見つけて、すぐにその先生のもとを訪ねようと行動を起こすようなものでしょうか。

単純な比較はできませんが、いずれにしろ、親鸞聖人が六角堂での百日間の参籠を決意されたことや、その後すぐに法然聖人のもとを訪ねたエピソードからは、親鸞聖人の道を求める思いの強さが窺えます。

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親鸞聖人は、六角堂を出てからさらに百日間、雨の日も晴れの日も、どんな支障があろうと、法然聖人のもとを毎日訪ね、お念仏の教えを聞かれたそうです。

六角堂での参籠が95日間ですから、三ヶ月ちょっとです。それからさらに、法然聖人のもとを訪ねて百日間です。それだけでも、比叡山を下山されてから、半年と半月くらいの月日が経過しています。

それほど親鸞聖人の道を求める思いが強かったことが窺えます。

さらには、比叡山を下山されるまでにも、20年間にもわたる求道と修行の日々を送られました。

道を求め続けておられたということは、親鸞聖人の抱えた迷いや苦しみは、それだけ深いものだったことが想像されます。

しかし、いかに抱えた迷いや苦しみが深いものであっても、親鸞聖人の求道の姿勢は、中々真似のできない、凄いことだとも感じます。

◆法然聖人とお念仏の教えとの出遇い

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さて親鸞聖人は、六角堂を出てから百日間、くる日もくる日も法然聖人のもとを訪ね、お念仏の教えを聞いていかれました。

法然聖人が説かれたお念仏の教えとは、貴族であれ平民であれ、出家者であれ在俗の生活を送るものであれ、どのような立場のものも同じように、阿弥陀仏の浄土(仏の国)へ往き生まれることができると説き、迷い苦しみから抜け出す道を示したものでした。

親鸞聖人のその後の人生は、法然聖人とお念仏の教えとの出遇いによって、決定づけられていきます。

そのことを、親鸞聖人はご自身の著書である『教行信証』にて、このように記されています。

愚禿釈(ぐとくしゃく)の鸞(らん)、建仁辛酉(けんにんかのとのとり)の暦、雑行(ぞうぎょう)を棄てて本願に帰す。

(『教行信証』「後序」/親鸞聖人)

この親鸞は、建仁元年に様々な行をすてて、阿弥陀仏(お念仏)の教えに帰依しました。

この建仁元年(西暦1201年)とは、親鸞聖人が法然聖人のもとを訪ね、お念仏の教えを聞いて帰依された時期のことを指しています。

親鸞聖人は、迷い苦しみから抜け出すことを求め、求道していく中で、法然聖人と出遇い、お念仏の教えと出遇いました。

そして、これまで比叡山で学び、実践をしてきた様々な行をすてて、法然聖人の説かれる阿弥陀仏(お念仏)の教えに帰依されました。

この言葉にあるように、法然聖人との出遇い、お念仏の教えとの出遇いとは、親鸞聖人における人生の大きな転換点であり、その後の人生を決定づけた出来事だったのでしょうね。

また、親鸞聖人の言葉が記されているとされる『歎異抄』(たんにしょう)という書物には、法然聖人やお念仏の教えとの出遇いを、このようにも表現されています。

親鸞におきては、ただ念仏して、弥陀にたすけられまゐらすべしと、よきひとの仰せをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり。念仏は、まことに浄土に生るるたねにてやはんべらん、また地獄におつべき業(ごう)にてやはんべるらん、総じてもつて存知(ぞんじ)せざるなり。たとひ法然聖人にすかされまゐらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからず候ふ。

(『歎異抄』「第二条」)

この親鸞においては、「ただ一心に南無阿弥陀仏と念仏を称え、阿弥陀仏に救われて浄土へ往き生まれさせていただくのである」と法然聖人から教えていただき、それを信じているだけで、そのほかに特別な教えや道があるわけではありません。念仏を称えることが、本当に浄土に往き生まれるたねになるのか、それとも地獄におちる行為であるのか、私は全く知りません。たとえ法然聖人にだまされて、念仏を称えて地獄へおちたとしても、私は決して後悔は致しません。

この人になら、だまされたとしても構わないと思える人。この人の言うことなら、たとえ地獄のような人生を歩んでも構わないと思える人。そういう人との出遇いとは、人生を一変させるものでしょうね。

これほどまでに強烈な出会いの経験は、私もしたことがありません。皆さんはいかがでしょうか。

「たとえ法然聖人にだまされて、念仏して地獄へおちたとしても、私は決して後悔は致しません」。この言葉からは、親鸞聖人が法然聖人に対して、絶対的な信用をしていたことが感じられます。

そして、それだけ法然聖人を信用していたのは、法然聖人が説くお念仏の教えに対して、親鸞聖人は心が共鳴するような経験をされ、自分にはこの道より他はないという実感があられたからではないでしょうか。

『歎異抄』「第二条」には、このような言葉が続きます。

そのゆゑは、自余(じよ)の行もはげみて仏に成るべかりける身が、念仏を申して地獄にもおちて候はばこそ、すかされたてまつりてといふ後悔も候はめ。いづれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定(いちじょう)すみかぞかし。

(『歎異抄』「第二条」)

なぜなら、念仏以外の行を励むことで、迷い苦しみを離れ、仏のさとりをひらくことができるはずの私が、念仏を称えたことで地獄におちたというならば、だまされたという後悔もあるでしょう。しかし、どのような行も満足にできないこの私は、地獄こそが住み家なのです。

比叡山での20年にもわたる修行をしても、親鸞聖人の迷い苦しみははれなかったと言います。

そうした中で、親鸞聖人は比叡山を降り、六角堂での参籠を経て、法然聖人のもとを訪ねました。

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こうした比叡山での挫折の経験と、法然聖人の説くお念仏の教えに対して心が共鳴するような経験から、親鸞聖人はいよいよ、「私には念仏より他の道はないのだ」「阿弥陀仏におまかせをするしかないのだ」という実感が深まっていったのではないでしょうか。

それにしても、「どのような行も満足にできないこの私は、地獄こそが住み家なのです」という親鸞聖人の受け止め方は、もの凄いものを感じます。

迷い苦しみの深いところから自分を見つめてみたら、どのような行も満足にできない自分自身の姿が見えてきたのでしょうね。

いつも妄念に支配され、清らかな仏のような心を持てず、自分中心に考え行動をしてしまう自分であったことに気付かされていったのでしょうね。

それは同時に、救われようのない、地獄行きが間違いない自分であったことへの気付きでもあられたのでしょう。

しかし、親鸞聖人と同じように、「どのような行も満足にできない」と、自分自身のことを見つめていかれたのが法然聖人でした。

そしてそのような、行も満足にできない、救われようのないものにこそ、阿弥陀仏の慈悲の眼差しは向けられていて、必ず救われていくということを、法然聖人は親鸞聖人に説かれたのではないでしょうか。

親鸞聖人の人生は、こうした法然聖人とお念仏の教えとの出遇いによって転換され、決定づけられていくのでした。

今回は、「法然聖人とお念仏の教えとの出遇い」という内容でお届けしましたが、いかがだったでしょうか。

法然聖人やお念仏の教えとの出遇いは、親鸞聖人のその後の人生を決定づけていくような出遇いであったということを見ていきました。

私たちにとって、そうした出遇いはあったでしょうか。

「親鸞聖人の生涯」を通して、浄土真宗の教えに触れるご縁となったり、またご自身の人生についても振り返るようなご縁となれば幸いです。


合掌
福岡県糟屋郡 信行寺(浄土真宗本願寺派)
神崎修生

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・『親鸞聖人の生涯』/梯實圓
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