【基礎から学ぶ浄土真宗】親鸞聖人の生涯②_比叡山での修行と下山編

信行寺で開催している「真宗講座」では、浄土真宗の基本について書かれた「浄土真宗の教章」の内容を、少しずつ学んでおります。

前回から、教章の中の宗祖という項目を見ています。

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浄土真宗の宗祖は、親鸞聖人という方です。前回は特に、親鸞聖人のご誕生と幼少期にスポットを当てて見ていきました。

今回はその続きで、親鸞聖人の比叡山でのご修行時代や、比叡山を下山なさる経緯について、見ていきたいと思います。

▼動画でもご覧いただけます。

◆比叡山での修行

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前回見たように、親鸞聖人は9歳の時に、お寺に預けられ、出家、得度をなさったと言われています。得度とは、僧侶になる儀式のことです。

現代の浄土真宗の僧侶も、僧侶になる時は、得度という儀式を受けます。薄暗い中で得度の儀式を受けますが、それは親鸞聖人が得度を受けた時の様子を再現しているとも言われます。

さて、親鸞聖人は、得度をなさった後、どこかのタイミングで比叡山にのぼり、天台の僧侶として修行をなさいます。

天台宗は、どなたが開いたかご存知でしょうか。伝教大師最澄(でんきょうだいしさいちょう/767~822)ですね。そして、比叡山にある延暦寺が、天台宗の総本山になります。比叡山延暦寺というと、織田信長の焼き討ちが有名ですね。

比叡山に行かれたことはあるでしょうか。もしない場合は、機会があれば是非、京都の西本願寺とあわせて、比叡山もお参りなさってみてください。「ここが、親鸞聖人がご修行をなさった場所か」というように、より身近に、感慨深く感じていただけることと思います。

▼比叡山延暦寺
天台宗総本山 比叡山延暦寺 [Hieizan Enryakuji]

比叡山は、現在の京都府と滋賀県にまたがる山です。その比叡山に延暦寺という一つのお寺があるわけではありません。比叡山には、100ほどのお堂があるそうですが、そのお堂の総称を延暦寺と言うそうです。

比叡山延暦寺は、親鸞聖人の当時、仏教の総合大学のようなところだったようで、多くの僧侶が学び、修行をする場所でした。

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延暦寺では、そうそうたる方が学ばれています。浄土宗の開祖である法然聖人。浄土真宗の宗祖の親鸞聖人。日本曹洞宗の開祖の道元禅師。日本臨済宗の開祖の栄西禅師。日蓮宗の開祖の日蓮聖人。

このように、比叡山延暦寺は、後に日本仏教の各宗派の開祖となる方をはじめ、多くの高僧を輩出しています。現在の日本仏教の礎が築かれた場所と言っても過言ではありません。そのため、比叡山は日本仏教の母なる山ということで、「母山」とも言われています。

日本を大乗仏教の国にし、多くの人々の苦しみを除こうとした伝教大師最澄の願いが後世に受け継がれ、多くの僧侶を生み出し、仏教が多くの人々の心の支えとなっていきます。

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その日本仏教の母山である比叡山延暦寺にて、親鸞聖人は約20年間にわたり、道を求め、仏道修行に励まれます。

親鸞聖人の比叡山時代について、親鸞聖人自身が書き記しておられないので、詳しくは分かっていません。しかし、学問や仏道修行に励まれたことは、その後の著述などを見るとよく分かります。

比叡山での約20年間のご修行の後、親鸞聖人は比叡山を下山され、お念仏の教えに帰依されます。下山後、お念仏の教えに帰依されたという観点から、比叡山時代を振り返ってみた時に、重要だと思われる点が二つあります。

一つは、親鸞聖人は比叡山時代に、常行三昧堂の堂僧を勤めていたとされる点です。

常行三昧堂というお堂の中央には、阿弥陀仏が安置されています。その阿弥陀仏の周りを、「南無阿弥陀仏」とお念仏を称えながら、90日間歩き続ける行が、常行三昧という行です。

食事とお手洗いと、入浴の時間はあるそうですが、基本的にそれ以外の時間は、ずっとお念仏を称え、歩き続けています。行の間、90日間横になることも、座ることも許されません。数時間続けることも難しい、想像を絶するほど過酷な行ですね。

親鸞聖人がおられた頃には、常行三昧の形態は変化し、一定期間念仏を称える不断念仏がおこなわれていたのではないかと言われています。

こうした常行三昧堂にて、親鸞聖人は堂僧を勤めていたとされています。つまり、親鸞聖人は比叡山において、阿弥陀仏やお念仏に深く接しておられたと考えられます。これが、比叡山時代での重要な点の一つかと思います。

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もう一つ、重要だと思われる点は、親鸞聖人は比叡山の中でも横川という場所を中心に修行をされていたとされる点です。

比叡山には、東塔(とうどう)、西塔(さいとう)、横川(よかわ)という大きく三つの地区があります。その中でも横川という場所は、浄土教の影響が強い場所です。浄土教とは、阿弥陀仏の救いが説かれた教えのことを言います。

親鸞聖人の師である法然聖人が、浄土宗という宗派をおこされますが、それまでは浄土宗という単独の宗派があったわけではありませんでした。浄土教と言って、仏教の中の教えの一つの系統としてありました。

とにかく、比叡山の中でも、阿弥陀仏の救い、お念仏の教えが色濃い横川で、親鸞聖人が学ばれていたということは、その後、親鸞聖人がお念仏の教えに帰依されていくことを考えると重要な点です。

この横川は、日本浄土教の大成者と言われる源信和尚(げんしんかしょう/942~1017)がおられた場所です。親鸞聖人は著書の中で、源信和尚の書物を数多く引用されています。そのため浄土真宗では、源信和尚は、七高僧という七人の高僧の中の一人として位置付けられています。

◆比叡山を下山

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その後、親鸞聖人が29歳の時、約20年間を過ごした比叡山を下山なさいます。

親鸞聖人は、なぜ比叡山を下山なさったのか。その理由も、ご本人が語っておられないので、真相は分かりません。しかし、親鸞聖人の言動などから、後世の方が様々に解釈をされています。ここでは、その理由の中の2つをご紹介します。

比叡山下山の理由の一つは、道を求め、仏道修行に励もうとも、迷いや苦しみがはれなかったからではないかということです。

先ほど、親鸞聖人は比叡山にて、常行三昧堂の堂僧として勤めていたという話を紹介しました。

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親鸞聖人は、常行三昧という行を通して、厳しく言動を慎み、阿弥陀仏の周りを歩き、ひたすら南無阿弥陀仏と称え続けておられたのではないかと想像されます。

しかし、いくら行を積み重ねても、心はざわつき、迷い苦しみがはれない。阿弥陀仏の浄土へと心が定まっていかない。私は今、はたして正しい道を進んでいるのだろうか。この道は、はたして阿弥陀仏の浄土へとつながっているのだろうか。仏のさとりへとつながっているのだろうか。

親鸞聖人が抱えていた迷い苦しみとは、そのようなものだったでしょうか。そして、親鸞聖人は真摯に道を求める方だったからこそ、そのような迷い苦しみを抱えておられたとも言えるかと思います。

また比叡山では、常行三昧だけでなく、様々な学問や仏道修行にも励まれたことでしょう。しかし、迷いや苦しみはれなかった。親鸞聖人が比叡山を下山なさった理由の一つとして、そうした迷い苦しみがあったのではないかと指摘されています。

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親鸞聖人が比叡山を下山なさったもう一つの理由として、法然聖人のもとを訪ねるためだったのではないかという説があります。

法然聖人は、後に親鸞聖人の師となる方です。法然聖人は親鸞聖人より、およそ40歳年上です。親鸞聖人よりも先に、比叡山で学ばれた方でした。

法然聖人は比叡山にて、お念仏の教えに出遇い、この教えこそが今の世の人々が救われていく教えではないかと確信するようになります。その後、法然聖人は比叡山を下山します。

比叡山を下山した後、法然聖人は人々に、お念仏の教えを説き広めます。そして多くの人々が、法然聖人の説くお念仏の教えに惹かれて、集まってくるようになりました。

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承安五年(西暦1175年)、法然聖人はお念仏の教えを体系化され、浄土宗という宗派をおこされます。この時、親鸞聖人は満年齢で2歳くらいの時です。親鸞聖人が比叡山にのぼる以前から、すでに法然聖人は浄土宗という宗派をおこされ、人々にお念仏の教えを説き広めていたのですね。

そこから時間が経過し、親鸞聖人が比叡山でご修行をされ、下山をなさった時、法然聖人は69歳、浄土宗をおこして26年程になっていました。

親鸞聖人は比叡山におられた時、天台の僧侶から、法然聖人がお念仏の教えを説き広めている様子を聞かれていたようです。

そこで、迷い苦しみがはれない親鸞聖人は、法然聖人のもとを訪ねるため、比叡山を下山されたのではないか。それが、親鸞聖人が比叡山を下山された理由として挙げられています。

その後実際に、親鸞聖人が法然聖人を訪ねたことを考えると、法然聖人のもとを訪ねることが、下山の大きな理由だったのではないかと考えられます。そしてその背景には、いかに道を求め、仏道修行に励もうとも、迷い苦しみがはれなかったことも、下山の理由としてあるのではないでしょうか。

だからこそ、さらなる道を求め、法然聖人のもとを訪ねるために、比叡山を下山したのではないかと考えられます。

いかがだったでしょうか。

今回は、親鸞聖人の比叡山での修行時代や、比叡山を下山なさる経緯について見ていきました。どのようなことを感じられたでしょうか。

こうして親鸞聖人の生涯など、歴史や背景を知ると、仏教やお寺のことに対してさらに関心がわいてきたり、また法話の聞こえ方も変わってきたりもします。法話を聞きながら、これまで気に留めなかったり、聞き流れていたものが、なるほどと頷かれてくることもあります。

真宗講座では、皆様と浄土真宗を題材にしながら、ご一緒に学ばせていただきたいと思います。そして、仏教や浄土真宗の教えをともに深く味わい、喜んでいければいいなと思います。それがひいては、心豊かな人生を歩んでいくことにもつながるものと思います。

次回も、親鸞聖人の生涯を見ていきたいと思います。


合掌
福岡県糟屋郡 信行寺(浄土真宗本願寺派)
神崎修生

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◇参照文献:
・『浄土真宗聖典』注釈版/浄土真宗本願寺派

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・『浄土真宗辞典』/浄土真宗本願寺派総合研究所
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・『浄土真宗本願寺派 日常勤行聖典』/浄土真宗本願寺派 日常勤行聖典編纂委員会
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・『大乗』「釈徹宗の隨縁探訪、岡村喜史先生対談回」
・『親鸞聖人の生涯』/梯實圓

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