ご質問をいただきました。
このようなご質問です。
夏の暑い時期など、お花は長持ちしませんよね。
どうしたら良いかと、頭を悩ませている方もおられるかと思います。
また、造花などでは味気ない感じもするという方もおられるのではないでしょうか。
そこで今回は、夏などの暑い時期に、お仏壇のお花をどうすれば良いのかについて、解説していきます。
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◆できるだけ生花でお供えする
まず、結論から言いますと、お仏壇のお花は、できるだけ生花でお供えしていただいたほうが良いです。
お供え物は、心の表れと言われます。
「どうせ枯れるから造花で良い」という気持ちでおこなうよりも、「傷みやすいけれど、できるだけ生花をお供えさせていただこう」という気持ちでおこなうことが大事ではないかと、以前先生に教わったことがあります。
夏の暑い時期は、確かにお花が傷みやすく、長持ちしません。お寺でも同じです。
また地球温暖化で、夏の暑さも異常です。ただし、昭和の途中まではエアコンがなかったですから、夏にお花が傷みやすいのは昔から同じです。
「どうせ枯れるのだから、造花で良いだろう」という気持ちでおこなうよりも、「傷みやすいけれど、できるだけ生花をお供えさせていただこう」という気持ちでお供えなさってみてはいかがでしょうか。
毎回、お花屋さんで立派なお花を買ってきてお供えするのは、金銭的にも気持ち的にも続かないかもしれません。
お花が枯れやすい時期は、多くの量でなくても、お花を一つや二つだけでもお供えするということでも良いかと思います。
また、お庭にお花が咲いている場合は、そのお花を摘んでお供えするのも良いです。
枯れにくいお花を選んでお供えするのも良いでしょうし、水換えを多くすると、お花は長持ちしやすくなります。
ちなみに、夏にお供えされることの多い鬼灯(ほおずき)は、水につけずにお供えすると長持ちします。
こうした工夫もしていただきながら、せめてこれくらいはさせていただこうという気持ちで、お花をお供えされてみてはいかがでしょうか。
家を数日あける時など、生花をお供えできない時もあるでしょう。
お墓や納骨堂などは、常時は手入れができないので、造花を用いる場合もあります。
そのような場合もありますが、お仏壇では、できるだけ生花をお供えされてみてはいかがでしょうか。
◆なぜ生花なのか
では、なぜ生花をお供えするのが良いとされているのでしょうか。
その理由についても、解説をさせていただきます。
まず、お花は仏様へのお供え物です。
お供え物として、お香やお花が古くから用いられてきました。
仏様へのお供え物は、造花というつくられたものよりも、香りや生気のある生花をお供えするほうが相応しいということが、理由の一つとしてあろうかと思います。
また、仏様へのお供え物であれば、なぜお花を仏様のほうへ向けてお供えせず、こちらに向けているのでしょうか。
それは、仏様が私たちのことを思う慈悲の心の象徴としてお花を見るのだと、浄土真宗では味わわれてきたからです。
浄土真宗でご本尊として敬っている阿弥陀仏という仏様は、「生きとしいける全てのものを救いたい」と願われている仏様だと言われます。
その願いを別の言葉で表現すれば、「生きていて良かったと頷いていける人生を歩んでほしい」と願われているとも言えます。
そのような、仏様が私たちのことを思う慈悲の心の象徴としてお花を見ていくのだと、浄土真宗では味わってきました。
美しいお花を、仏様の心の表れとして見ていくということですね。
お花を仏様の心として見ていくということであれば、造花よりも生花のほうが相応しいという考えに自然となっていくのではないでしょうか。
また他にも、枯れていくお花を通して、諸行無常を感じるという味わい方もあります。
諸行無常とは、ものごとは移り変わっていくという理(ことわり)です。
毎日、お仏壇の前に座り、手を合わせていると、お花が徐々に傷み、枯れていく様子が分かります。
その枯れていくお花を、自らのいのちに重ねて見るという味わい方があるのですね。
お花のように、私たちのいのちもまた、いずれ尽きていきます。
その尽きていくいのちを、いかに生きていくのか。
生花が枯れていく様子を見ながら、この人生をいかに生きていくのかと考えていくような見方もあるのですね。
諸行無常を忘れ、私たちは何となく日々を過ごすことがあります。
諸行無常を知らされることで、日々を大切に生きていく契機になることがあります。
老いや病や、大切な方との別れなどを通して、私たちは、この人生を見つめ直し、何か依りどころとなるものを求めるということがあります。
そんな時、「生きていて良かったと頷いていける人生を歩んでほしい」という阿弥陀仏の願いが、心にすっと染み込んできて、私たちの生きる指針となることがあります。
それはつまり、「尽きていくいのちを、いかに生きていくのか」という問いに対して、「生きていて良かったと頷いていける人生を歩むと良い」ということに気付かされるということです。
そして、「あなたがいのち尽きる時には、私が必ず浄土(仏の国)へと迎え摂るから、安心して今を生きなさい」という阿弥陀仏の言葉が、私たちの生きる支えとなることがあります。
このように、浄土真宗の先人たちは、美しいお花を通して阿弥陀仏のお心を味わったり、枯れていくお花から諸行無常の理を感じたりしてきました。
仏縁が深まっていくと、こうした様々な受け止め方も育まれてくるのですね。
造花であれば、こうした見方は出てきません。
仏様に生花をお供えすることによって、そうした見方が育まれ、またそこに意味合いを見出してきたということがあるかと思います。
結論としては、お仏壇のお花は、できるだけ生花でお供えしていただいたほうが良いということです。
◆
いかがだったでしょうか。
信行寺では、「仏事作法に」ついて、できるだけ分かりやすく解説しています。
こうした機会を通して、私も学ばせていただいています。
取り上げてほしい内容があれば、お聞かせください。
合掌
福岡県糟屋郡 信行寺(浄土真宗本願寺派)
神崎修生
▼【仏事作法解説】シリーズ
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南無阿弥陀仏