【基礎から学ぶ浄土真宗】親鸞聖人の生涯③六角堂での参籠と夢告編

浄土真宗の宗祖である親鸞聖人の生涯を見ています。

前回は、親鸞聖人の比叡山でのご修行時代や、比叡山を下山なさる経緯について見ていきました。

親鸞聖人は、比叡山にて仏道修行に励まれましたが、迷い苦しみがはれなかったと言われています。

その迷い苦しみの中で、法然聖人のもとを訪ねるために比叡山を下山なさったのではないか。そうした説を、前回は紹介いたしました。

しかし、親鸞聖人は比叡山を下山なさった後、すぐに法然聖人のもとを訪ねずに、京都の六角堂にて百日間の参籠(さんろう)を決意されます。

なぜ親鸞聖人は、六角堂にて参籠をしようとされたのか。今回は、親鸞聖人が六角堂で参籠をされた経緯や、参籠中に見た夢の言葉などについて、見ていきたいと思います。

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◆六角堂での参籠の理由

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親鸞聖人は比叡山を下山した後、すぐに法然聖人のもとを訪ねずに、京都の六角堂にて百日間の参籠をすることを決意されます。参籠とは、お寺などに一定期間籠ることを言います。

親鸞聖人は、なぜ六角堂で百日間の参籠をしようと思われたのでしょうか。

親鸞聖人の後の妻である恵信尼公が、娘の覚信尼公に当てた手紙があります。

そこには、親鸞聖人が下山後、六角堂にて参籠をされ、その後法然聖人のもとへ向かったことは記されています。しかし、参籠の理由までは書かれていません。

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実は、法然聖人の説くお念仏の教えに対して、世間ではその評価が割れていたと言います。

一方では、「法然聖人の説くお念仏の教えこそ、自分たちが救われていく教えである」と喜ぶ人がいました。そして、法然聖人は勢至菩薩の化身であるとも考えられ、尊敬を集めていました。

また一方では、「法然の説く教えとは、仏道の基本である戒を守らなくてもよいというような、仏教の価値観を破壊し、社会を混乱させる邪教である」と非難する人たちもいました。

比叡山での修行に行き詰まりを感じていた親鸞聖人は、法然聖人の説くお念仏の教えに惹かれるものがあったのでしょう。しかし、世間で言われるように、法然聖人の説く教えとは邪教であるかもしれない。

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法然聖人のもとを訪ねるべきか、それとも比叡山に留まるべきか。親鸞聖人には、そのような葛藤があられたのかもしれません。

そこで親鸞聖人は、自分自身が進むべき道を尋ねるため、尊敬する聖徳太子への信仰の地である六角堂での参籠を決意されたのではないか。

親鸞聖人が比叡山の下山後、法然聖人のもとをすぐに訪ねずに、六角堂へ参籠をした理由について、このように解釈をする説があります。

◆六角堂と聖徳太子

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六角堂は、現在の京都市にあり、正式には頂法寺(ちょうほうじ)というお寺です。お堂が六角形であることから通称六角堂と言われています。

六角堂は、用明天皇2年(西暦587年)に聖徳太子が創建したと伝わり、古くから観音信仰と聖徳太子への信仰の地として知られていました。

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また聖徳太子は、近年は厩戸皇子(うまやどのみこ)とも言われていますが、西暦574年に生まれ、推古天皇という女性天皇の側近として、大和朝廷を支えた方とされています。

聖徳太子がおこなったとされていることは、「冠位十二階」や「十七条の憲法」の制定などが有名ですね。

また聖徳太子は、仏教を日本に広めた方としても有名です。

「十七条の憲法」には、仏教の精神が入っていますし、聖徳太子自身が、『法華経』や『勝鬘経』(しょうまんぎょう)、『維摩経』(ゆいまきょう)といった仏教の経典の註釈書をつくったとも伝わっています。

また、現在の大阪に四天王寺というお寺を建て、お寺とともに病院や薬局、福祉施設などもつくり、人々の心身を療養するための事業を整備されました。

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聖徳太子は亡くなった後も、日本に仏教を広めた方として「倭国の教主」と尊敬を集めました。また、「救世観世音菩薩」の化身であると考えられ、信仰の対象ともなっていきました。

親鸞聖人もまた、聖徳太子を「倭国の教主」として尊敬され、我が父母のような存在の方であると慕われていました。

親鸞聖人がつくられた和讃といううたには、このように記されています。

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「救世観音大菩薩(くせかんのんだいぼさつ) 聖徳皇(しょうとくおう)と示現(じげん)して 多々(たた)のごとくすてずして 阿摩(あま)のごとくにそひたまふ」

(『正像末和讃』/親鸞聖人)

「救世観音大菩薩は、聖徳太子としてこの世に現れ、父のように私を捨てず、母のように寄り添ってくださいます。」

このように、親鸞聖人は聖徳太子を尊敬され、また我が父母のような存在の方であると慕われていました。

法然聖人のもとを訪ねるべきか、それとも比叡山に留まるべきか。親鸞聖人は、そのような葛藤の中で、自分自身が進むべき道を尋ねるため、尊敬する聖徳太子への信仰の地である六角堂での参籠を決意されたのではないか。

親鸞聖人が六角堂へ参籠をした理由について、このように解釈をする説があります。

ここで少し想像してみたいのですが、百日間の参籠をするということは、お堂に百日間籠り、祈り続けるということです。

親鸞聖人が百日間の参籠を決意されたことについて、私たちは「そうか」と軽く考えてしまうかもしれませんが、実は百日間の参籠とは、経験したことのない人にはできないような厳しいことです。

例えば、私たちが一週間、どこかに籠って、同じ作業をするとしたらどうでしょうか。一週間と言わず三日間でも、私たちにとってはきついかもしれませんね。

親鸞聖人が、百日の間、ずっと六角堂に籠り続けておられたのか。それとも比叡山の麓から、毎日歩いて通われ、六角堂に籠られたのか。

説が分かれるところですが、いずれにしろ、六角堂での百日間の参籠とは、言葉で聞く以上に、実際にやってみると非常に厳しいことであり、経験したことのない人にはできないことであることが、想像してみると分かります。

親鸞聖人は、比叡山におられた頃に、常行三昧堂の堂僧を勤め、不断念仏を行われていたのではないかということを前回紹介しました。

不断念仏とは、一定期間、お堂などに籠ったりして、念仏をとなえ続けることです。そうしたことを、親鸞聖人は比叡山にてなさっていたのではないかと考えられています。

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この六角堂での百日間の参籠とは、比叡山で堂僧をつとめ、不断念仏を経験していた親鸞聖人だからこそできる、厳しいものであったことが想像されます。

そして、厳しいものであるからこそ、参籠を決意された親鸞聖人の迷いや葛藤も、それだけ大きなものだったとも考えられるのではないでしょうか。

法然聖人のもとを訪ねるべきか、それとも比叡山に留まるべきか。親鸞聖人は、そのような葛藤の中で、自分自身が進むべき道を尋ねるため、尊敬する聖徳太子への信仰の地である六角堂での参籠を決意されたのではないか。

六角堂での参籠の理由を、そのように考えても違和感はないかと思います。

◆六角堂での夢告

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このように、親鸞聖人は尊敬する聖徳太子への信仰の地である六角堂にて、百日間の参籠を決意されます。

そして、六角堂で参籠をはじめてから95日目の明け方のことです。親鸞聖人は、ある夢を見ます。

その夢とは、救世観世音菩薩の姿をした聖徳太子が夢に出てきて、親鸞聖人に言葉を示されたという内容だったそうです。

そのことが、先ほど紹介した恵信尼公の手紙に記されています。しかし、どんな言葉を示されたのかについては、恵信尼公の手紙には書かれていません。

親鸞聖人は、この夢での言葉を受けて、百日間の参籠を終了し、ただちに法然聖人のもとへ向かっておられます。

ですので、この夢の言葉によって、親鸞聖人は法然聖人のもとを訪ねることを決めたとも言える、重要な意味をもったものであることが想像されます。

では、その夢の言葉とはどういう内容だったのでしょうか。大きく二つの説があります。

その二つの説の中の一つである、「行者宿報の偈」(ぎょうじゃしゅくほうのげ)と言われている言葉が、現在では有力視されていますので、そちらを紹介します。

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「行者宿報の偈」と言われる言葉は、親鸞聖人のひ孫である覚如上人という方がつくられた『親鸞伝絵』(しんらんでんね)という書物に記されています。

『親鸞伝絵』には、このように記されています。

「行者宿報設女犯 我成玉女身被犯 一生之間能荘厳 臨終引導生極楽」
(ぎょうじゃしゅくほうせつにょぼん がじょうぎょくにょしんぴぼん いっしょうしけんのうしょうごん りんじゅういんどうしょうごくらく)

(『親鸞伝絵』/覚如上人)

意訳をすると、このような意味になります。

「もしあなたが、これまでの報いによって戒を破り、妻をめとるようなことがあれば、観世音菩薩である私が麗しい女性となって、あなたの妻となりましょう。そして、在俗の生活を送りながらも歩める仏道として、あなたの一生を整えて、臨終にはあなたを導き、極楽浄土へと生まれさせましょう。」

出家をし、戒を守り、厳しい修行をして極楽浄土へと生まれていこうとする。法然聖人の説くお念仏の教えとは、そういうものではありませんでした。

出家をしないものも、戒を守れないものも、在俗の生活のままで(出家をせずに)、阿弥陀仏という仏様の力によって、極楽浄土へと生まれていくという、多くの人々に開かれた仏道でした。

親鸞聖人は、出家をし、比叡山にて20年間にもわたり、仏道修行に励まれました。しかし、いっこうに迷いや苦しみがはれませんでした。

そしてまた、阿弥陀仏を拝み、念仏をとなえながらも、浄土へと心が定まらない。本当に浄土へと生まれていけるのか。親鸞聖人は、修行をしながらそのような悩みを抱えていたと言われます。

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親鸞聖人は、出家をし、戒を守り、修行に励むという仏道を自らが歩むことに対して、行き詰まりを感じておられたのかもしれません。

そのような悩みの中で、法然聖人の説く、在俗の生活を送りながらも歩める仏道に強く惹かれるものがあったのではないでしょうか。

しかし、それは比叡山で教わり、実践をしてきた仏道とは、種類の異なったものでした。

そして、世間で言われるように、法然聖人の説く教えとは邪教であり、浄土ではなく地獄へおちるものかもしれません。

法然聖人のもとを訪ねるべきか、それとも比叡山に留まるべきか。親鸞聖人は、そのような葛藤の中で、自分自身が進むべき道を尋ねるため、六角堂での参籠を決意されたのではないでしょうか。

そしてくしくも、在俗の生活を送りながらも歩める仏道のあり方を、尊敬する聖徳太子が観世音菩薩の姿をして示されたのでした。

「あなたの妻となり、在俗の生活を送りながらも歩める仏道として、あなたの一生を整えて、臨終にはあなたを導き、極楽浄土へと生まれさせましょう。」

親鸞聖人にとって、この参籠中に見た夢の言葉は、「法然聖人のもとを訪ねなさい」という言葉にも等しいものだったかもしれません。

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法然聖人の言葉に、このような言葉があります。

「ひじりで申されずば、めをまうけて申すべし。妻(め)をまうけて申されずば、聖(ひじり)にて申すべし。」

(『和語灯録』/法然聖人)

「出家をして念仏ができないのであれば、妻をめとって念仏しなさい。妻をめとって念仏ができないのであれば、出家をして念仏しなさい。」

親鸞聖人は、法然聖人のもとを訪ねてからしばらくして、妻をめとり、子どもにも恵まれ、家庭生活を送りながら、生涯仏道を歩まれました。

僧侶であっても、家庭生活を送りながら歩んでいく仏道が、ここに開かれていきます。そしてそれが、後の浄土真宗のあり方にもつながっていくのでした。

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ちなみに、阿弥陀三尊といって、阿弥陀仏を中心にして、両側に観世音菩薩と勢至菩薩が安置されるという形が古くからあります。

阿弥陀仏の左側に観世音菩薩、右側に勢至菩薩が安置されている阿弥陀三尊の像が古くからあるのですね。

観世音菩薩は阿弥陀仏の慈悲を表す菩薩であり、また勢至菩薩は阿弥陀仏の智慧を表す菩薩であると、古くから考えられてきました。

また、親鸞聖人が尊敬する聖徳太子は、その観世音菩薩の化身であり、また法然聖人は勢至菩薩の化身であると考えられていました。

親鸞聖人が見た夢とは、観世音菩薩の化身とされる聖徳太子が、勢至菩薩の化身とされる法然聖人のもとを訪ねることを勧めておられるような内容とも取れます。

そして、その法然聖人が説かれていたお念仏の教えとは、阿弥陀仏の救いの教えです。

こうして考えていくと、親鸞聖人が法然聖人のもとを訪ねること、そしてそこで阿弥陀仏のお念仏の教えに出遇っていくことは、深いご縁を感じるような出来事にも感じられてきます。全てが阿弥陀仏のお念仏の教えへとつながっていきます。

こうして親鸞聖人は、聖徳太子の夢の言葉を聞いてからすぐに、法然聖人のもとを訪ねるのでした。

いかがだったでしょうか。

親鸞聖人の生涯について、今回は親鸞聖人が六角堂で参籠をされた経緯や、参籠中に見た夢の言葉などについて見ていきました。

皆様、どのようなことを感じられたでしょうか。

余談ですが、現在の浄土真宗の寺院においても、本堂には聖徳太子の絵像がかけられています。

親鸞聖人が聖徳太子を「倭国の教主」として尊敬されていることから、浄土真宗寺院でも聖徳太子を大切にし、絵像をおかけしているのですね。

また、親鸞聖人が六角堂で見た夢の様子は、ひ孫の覚如上人がつくられた『親鸞伝絵』という書物に記されていると申しました。

『親鸞伝絵』の絵だけの巻物を『御絵伝』(ごえでん)というのですが、親鸞聖人のご命日の法要である「報恩講」には、『御絵伝』を本堂に安置します。

浄土真宗のお寺に行かれた際などに、見る機会があれば、是非ご覧になってみてください。


合掌
福岡県糟屋郡 信行寺(浄土真宗本願寺派)
神崎修生

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