【かんたん「仏教解説」】のコーナーでは、仏教に関するテーマを一つ取り上げて、できるだけ分かりやすく、ご一緒に味わっております。
仏教やお寺を身近に感じていただいたり、日々を安らかに、穏やかに過ごすようなご縁となれば幸いです。
今回は、「煩悩に苦しんだ親鸞聖人」という内容でお届けします。
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◆煩悩とは?
さて、前回まで数回にわたり、煩悩について見てきました。
煩悩とは、心身を煩わせ、悩ませるものの総称です。もっと簡単に言うならば、煩悩とは、我々の悩みや苦しみの原因となっているものでした。
前回までに、代表的な煩悩として、貪欲(とんよく)、瞋恚(しんに)、愚痴(ぐち)という三毒の煩悩についてお話しました。貪欲とは、もっと欲しいと思うような貪りの心のことで、瞋恚とは、怒りの心のこと、愚痴とは、愚かさや真理に対する無知のことです。
煩悩が、悩み苦しみの原因となっている。その煩悩をどうするかというのが、仏教の根本テーマです。そして、煩悩に対するアプローチは、仏教各宗派で色々あるかと思います。
私は、浄土真宗本願寺派という宗派に所属する僧侶ですので、今回は、煩悩に対する浄土真宗的な考え方について、ご紹介したいと思います。
◆浄土真宗的な考え方とは
まず、煩悩に対する浄土真宗的な考え方をみていく時に、基本となるのは、親鸞聖人の考え方や受け止め方になります。
日本仏教は宗派仏教とも言われるくらい、宗派それぞれの特徴があります。そして、その宗派の特徴は、開祖や宗祖の考え方や生き方に基づいていることが多いかと思います。
浄土真宗でも、宗祖である親鸞聖人の考え方や生き方が、浄土真宗の考え方のもとになっています。ですので、煩悩に対する浄土真宗的な考え方をみていく時に、基本となるのは、宗祖である親鸞聖人の考え方や受け止め方になるかと思います。
幸い親鸞聖人は、数多くの書物を書き遺しておられます。そしておそらく、親鸞聖人を後世に伝える意味でも、意図的に書物を書き遺していると思われます。そのため、親鸞聖人の書物の多くが現存しており、ご往生されて850年以上がたちますが、今もその書物を拝読して、親鸞聖人の考え方や受け止め方を伺うことができます。
◆煩悩に対する親鸞聖人の考え方
では、煩悩に対して親鸞聖人がどのように考え、受け止めたかというと、聖人は煩悩がなくならないという自分自身の事実に悩み苦しんだ方でした。
前回もご紹介しましたが、親鸞聖人は著書に、このような言葉を遺しています。
無明煩悩われらが身にみちみちて、欲もおほく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおほくひまなくして、臨終の一念にいたるまで、とどまらず、きえず、たえず
(『一念多念文意』/親鸞聖人)
無明の煩悩は、この身にみちみちて、欲や怒り、腹立ち、そねみ、妬むといった心が多く、常におこり、いのち終えるその時までとどまることなく、消えることなく、たえることがない。
自分の奥底、人間の奥底まで見つめてみたら、煩悩だらけだった。そしてその煩悩は、いのち終えるその時までとどまることなく、消えることなく、たえることがないと言います。
この言葉は、親鸞聖人が自分自身のありようを告白した言葉として、また人間の根源的なありようが示された言葉として、浄土真宗では受けとめられています。
僧侶としては、あまりに正直な言葉であり、ある意味、衝撃的な言葉だと言えます。僧侶というと、煩悩に向き合い、身や言動を整え、清らかなイメージがあるかもしれません。
しかし、親鸞聖人は煩悩に向き合った結果、自らの力ではその煩悩のいかんともしがたいという問題にぶつかり、それに悩み苦しんだ方でした。その話に関わってくるのが、親鸞聖人の生い立ちや経験です。
◆親鸞聖人の修行時代
親鸞聖人は、京都で幼少期を過ごされますが、その当時の京都の町は、度重なる騒乱や天災、飢饉などによって、大変混乱していたと言います。そんな中、親鸞聖人は政治的な事情もあって、9歳で親元を離れ、お寺に預けられます。
その後、29歳までの約20年間、比叡山にて仏道修行の生活をおくっておられます。比叡山におられる間、親鸞聖人はどのような仏道修行をおこなっていたかという記述はほとんど残っていません。しかし、非常に厳しいご修行をなさっていたのではないかと言われています。
経典を読み込むことや、お経をとなえることはもちろん、比叡の山や京都の町を1日数十Km歩いたり、仏様の周りを不眠不休で念仏を称えながら歩いたり。そうしたご修行もなさったのではないかとも言われています。
こうした仏道修行の中では、自らが抱える煩悩について必然的に向き合うことになりますし、飲まず食わず寝ずといった肉体的に非常に追い込まれた状態になれば、自らの非力さや、煩悩の盛んさに愕然とすることもあられたことでしょう。
我々で考えてみても、健康で心が満たされているような時には、精神的に安定しやすいですが、非常に困難な状況、厳しい状況の中では、怒りやすくなったり、心が揺れ動きやすくなりますね。そうした時にこそ、取り繕えない自分の素の姿が出てくるものです。
とにかく親鸞聖人は、比叡山での仏道生活の中で、自らの力では煩悩を根源とする迷い苦しみから抜け出しようがないという問題にぶつかったのでした。
約20年にもわたって、青春時代のほぼ全てをかけて仏道修行に打ち込んできたものの、いっこうに迷い苦しみから抜け出しようがない。迷い苦しみから抜け出す道が開かれてくるかと思ったら、その道が閉ざされ、先がまったく見えなくなってしまった。
皆さんも、もし人生をかけて打ち込んできたものがあったとして、それに挫折した時はどう思われるでしょうか。おそらく失望や絶望を感じたり、この先どうしていこうかという思いになるのではないでしょうか。
親鸞聖人は29歳の時に比叡山を下山されますが、絶望を感じながら下山されたことと思います。自分が信じてきたものがくずれおちるような感覚や、先がまったく見えない暗闇の中にいるような心地だったかもしれません。それは、迷い苦しみの根源である煩悩が、それほど大きな問題であったことを意味しています。
◆法然聖人と阿弥陀仏との出遇い
しかしその後、親鸞聖人は、浄土宗の開祖である法然聖人と出遇い、阿弥陀仏という仏様の救いの教えに出遇っていくことで、道が開けていきます。
法然聖人との出遇い、阿弥陀仏との出遇いが、親鸞聖人のその後の人生を決定づけるご縁となりました。そしてそれは、煩悩を抱えたままこの人生を全うしていく生き方、あり方への転換でもありました。
本来であれば、迷いや苦しみの原因であるはずの煩悩が、仏道の目指すさとりや安楽の重要な要因として受け止めていける。煩悩を抱えたまま、在俗の生活のまま、仏道を歩んでいく。そんな仏道の大転換がおこったのでした。
それは親鸞聖人だけでなく、日々の生活に追われ、仏道修行のままならない、多くの人々にとっても仏法が身近なものとなった瞬間でした。民衆に開かれた大乗仏教。法然聖人から始まる鎌倉新仏教の幕開けです。
この続きは次回、お話させていただきたいと思います。
かんたん「仏教解説」ということで、本日は煩悩に対する浄土真宗的な考え方を見ていくにあたり、親鸞聖人のご経験や感じられたことなどを中心に見ていきました。
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合掌
福岡県糟屋郡 信行寺(浄土真宗本願寺派)
神崎修生
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▼次回の内容
【仏教解説】第8回_煩悩⑤_煩悩を抱えたまま救われていく | 信行寺 福岡県糟屋郡にある浄土真宗本願寺派のお寺 (shingyoji.jp)
▼前回の内容
【仏教解説】第6回_煩悩③_愚痴・無明(愚かさ・無知・真理に暗い状態) | 信行寺 福岡県糟屋郡にある浄土真宗本願寺派のお寺 (shingyoji.jp)
◇参照文献:
・『浄土真宗聖典』注釈版/浄土真宗本願寺派
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・『浄土真宗辞典』/浄土真宗本願寺派総合研究所
https://amzn.to/3ha42oh