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◆依りどころのある安心感

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私たちは日々の生活の中で、ふとした瞬間に不安や心細さを感じることがあります。

体調を崩した時、孤独を感じた時、先のことが不安になった時、誰にも分かってもらえないと感じた時。

そうした時に、不安や心細さを感じることもあるのではないでしょうか。

あるご年配の方で、一人で暮らしている方がおられるのですが、このようなお話を伺いました。

その方は、ある夜、自宅で高熱を出されたそうです。

夜中に目が覚め、体が思うように動かず、「このまま死んでしまうのではないか」という思いが頭をよぎったそうです。

一人暮らしですから、周りには誰もいません。

救急車を呼ぶ元気もなく、言葉にできないほどの心細さを感じたそうです。

その方は、布団の中で思わず仏様を思い、「南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」とお念仏をとなえたそうです。

すると、熱が下がったわけでも、身体の状態が改善したわけでもありませんが、心がふっと軽くなり、気持ちが落ち着いたと話してくださいました。

「自分がいざというときに、おまかせできるところがある」
「心の依りどころとなるものがある」
「自分は独りではない」

そうした「心の依りどころのある安心感」を感じられたのかなと思いました。

◆失われてもなお依りどころとなるもの

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私たちは普段、健康や家族、仕事、財産、人とのつながりなど、様々なものを支えに生きています。

それらは、私たちの生活を支えてくれる大切なものです。

しかし同時に、それらはいつか失われていくものでもあります。

病気になったり、人と別れていくこともあります。

これまで支えにしていたものが揺らいだ時、「これからどうしたらよいのだろうか」と、大きな不安や苦悩に直面することがあります。

ある方が、葬儀社さんが主宰した「終活セミナー」に参加されたそうです。

葬儀やお墓についてなど、様々な展示があったそうですが、その中で、入棺体験のコーナーがあったそうです。

入棺体験とは、棺に入る体験をすることですね。

皆様は、棺に入ってみたことはありますか?

それこそ、こうした終活セミナーなどに参加しない限りは、棺に入る機会は中々ないかと思います。

その方は、入棺体験のコーナーで、実際に棺に入ってみたそうです。

実際に棺に入ってみると、意外にも寝心地がよく、木で囲われているからか、落ち着いたそうです。

しかし、棺の蓋を閉められた途端、中は真っ暗になり、しんとして、急に不安な気持ちになったと言われていました。

そして、「自分は独りで亡くなっていくのだな」「全てを手離して、行かなければならないのだな」と、思われたとのことでした。

『仏説無量寿経』というお経には、このような言葉が説かれています。

「人は独りで生まれ、独りで死に、独りで来て、独りで去るのである」

(『仏説無量寿経』「巻下」)

「いのちを失うようなことがあれば、全てのものを残して、ただ独りこの世を去るのであって、何も持っていくことはできない」

(『仏説無量寿経』「巻下」)

私たちは普段、健康や家族、仕事、財産、人とのつながりなど、様々なものを支えに生きています。

しかし、それらは永遠に続くものではありません。

そうした支えが揺らぎ、失われた時、人は大きな不安や苦悩に直面します。

その不安や苦悩に押しつぶされ、立ち直れなくなってしまう方もおられるでしょう。

そうした中で、これまで支えとしてきたものが失われてもなお、依りどころとなるもの

それを、人は仏や神と呼んできたのではないでしょうか。

◆究極の依りどころ

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浄土真宗の教えには、阿弥陀仏を「依りどころ」として生きる道が説かれています。

阿弥陀仏とは、私たちがどのような状態にあっても、決して見捨てることなく、常に思い続けてくださる仏様だと、伝えられてきました。

浄土真宗の宗祖である親鸞聖人がつくられた「正信念仏偈」には、このような一節があります。

「大悲無倦常照我」(だいひむけんじょうしょうが)

「阿弥陀仏の大いなる慈悲の心は、あきることなく、やすむことなく、常にこの私を照らし続けてくださっているのです。

(「正信念仏偈」/親鸞聖人)

また親鸞聖人をはじめ、古来より阿弥陀仏のことを「畢竟依」(ひっきょうえ)、「究極の依りどころ」とも表現されてきました

ここで、最初に紹介したご年配の方の話を、もう一思い出してみたいと思います。

高熱の中で、誰にも頼れず、「このまま死んでしまうのではないか」という不安の中で、その方は一夜を過ごされました。

そうした不安や孤独の中で、「南無阿弥陀仏」とお念仏を称え、気持ちが落ち着いたとのことでした。

熱が下がったわけではありませんが、「自分がいざというときに、おまかせできるところがある」「心の依りどころとなるものがある」「自分は独りではない」と、そう思えたことから感じる安らぎがあったのではないでしょうか。

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私たちは、若くて、元気で、順調な時は良いのですが、歳を重ね、病気になったり、仕事や人間関係などで思い通りにいかない時もあります。

人生から不安や苦悩がなくなることは、おそらくありません。

それでも、不安や苦悩を抱えたままでも、なお生きていける依りどころがあることが、私たちの人生の支えとなることがあります。

心細さや不安や苦悩を感じた時には、仏様の前に座り、南無阿弥陀仏とお念仏を称えてみてはいかがでしょうか。

南無阿弥陀仏とは、「私はそばにいるよ」「どうか私をたよりとしてください」という仏様の喚び声だと言われます。

そして、法話などを通して、仏様の心に触れていく。

そうした中で、「確かに支えられている」「私は独りではなかった」という安心感の中で生きていく道があります。


合掌
福岡県糟屋郡 信行寺(浄土真宗本願寺派)
神崎修生

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