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今回は、「生命の不思議さ」を通じて、「私たちはどういう存在か」について、ご一緒に考えてみたいと思います。
NHKスペシャルにて、「人体」というシリーズ番組が何年かにわたって放送をされています。
タモリさんやノーベル賞受賞者の山中伸弥先生が司会をされている番組です。
最近も新たな番組の放送がありましたので、ご覧になった方もおられるでしょうか。
私も今回、シリーズ人体の新しい番組と過去の番組も見ましたが、「生命とは本当に不思議だな」と感じました。
過去の番組では、お母さんの中で赤ちゃんが大きくなる様子が、電子顕微鏡の映像や美しいCGなどを使いながら映し出されていました。

卵子に精子が入ると、卵子の中に二つの丸い核が現れました。
これは、父親と母親のそれぞれの遺伝子が入った核だそうです。
その二つの核が近づき、遺伝情報が入った染色体同士が接触し一つになりました。
この瞬間が、生命の誕生だそうです。
それから2時間もすると細胞分裂が始まり、どんどんと細胞の数は増えていきます。
そしてこれもまた不思議なのですが、その細胞たちは、赤ちゃんになる細胞と、赤ちゃんとお母さんとをつなぐ胎盤になる細胞とに分かれていくのだそうです。
分裂した細胞は、それぞれに役割をもち、赤ちゃんの手足や臓器、胎盤などをつくっていました。

胎盤の中の様子もCGで描かれていました。
胎盤とは、お母さんの子宮内にできる器官で、胎盤からへその緒を通じて、酸素や栄養が赤ちゃんに送られています。
胎盤がくっついた子宮の壁には穴があり、何の穴かというと、お母さんの血管の出口だそうです。
その血管の出口から、様々な栄養を含んだ血液が胎盤内に降り注ぐそうです。
胎盤の中には、「絨毛(じゅうもう)」という木の枝のような形をした器官があります。
絨毛の中には、赤ちゃんの毛細血管が通っていて、絨毛からへその緒を通じて赤ちゃんに酸素や栄養が送り届けられています。
こうした仕組みを知ると、身体の中ではよくこんな仕組みができているなと関心をしますし、「生命とは本当に不思議だな」と感じます。

また、私たちの骨の中でも、不思議な生命の働きがありました。
骨の中には、「破骨(はこつ)細胞」という細胞がいて、骨の上を動き回り、古くなった骨を溶かしているそうです。
骨が溶けたままではいけませんから、「骨芽(こつが)細胞」という細胞が、破骨細胞が溶かした部分を埋めるように、新しい骨をつくっていくそうです。
そうして、私たちの骨は今この瞬間にも、古いものから新しいものにつくりかえられているということでした。
私たちが知らない間にも、身体の中ではこうしたことがおこなわれていて、本当に生命とは凄いと思わされました。

私たちの身体の中では、四十兆個もの細胞が、それぞれの役割を果たして働いているそうです。
そして、その小さな細胞の中にも、少なくとも10万種類くらいの部品があり、連携しながら働いているとのことでした。
番組の中で山中伸弥先生は、「こうして私たちは生きている。別の言い方をすれば、生かしてもらっている」とおっしゃっていました。
また、タモリさんも「これだけのことがおこった奇跡のような現実を、いま自分は生きているんだってことを、まざまざと感じますよね」と言われていました。

仏教の開祖 お釈迦様は、「私たちの存在は様々な要素によって成り立っている」と言われました。
40兆個もの細胞から私たちの存在が成立していることを考えると、お釈迦様のこの言葉も、より実感をもって感じられるのではないでしょうか。
そしてまた、身体の中だけでなく外界においても、私たちは人やモノや自然といったものに囲まれて、様々な関係性の中で生きています。

仏教には、インドラの網という考え方があります。
インドラの網とは、帝釈天(たいしゃくてん)という神様の宮殿を飾る網のことです。
その網の結び目の一つひとつに宝の珠があり、その宝の珠同士が、互いの珠を反射して映し出しています。
また、網は一部分を持ち上げると、網全体が持ち上がりますよね。
これらは、あらゆるものが互いに関係し合っているという仏教の世界観、中でも特に華厳思想の世界観を表しています。
それはまた、私たちの存在も互いに関係し合い、影響し合っていることを表しています。
あらゆるものが関係し合っていると思って色々なものを見てみると、普段見過ごしていたものに目がいったり、普段とは違う感じ方をすることがあります。

例えば、車に乗る時に「今日はエンジンがかかるだろうか、かからないだろうか」と心配することは普段はありませんよね。
当たり前にエンジンがかかるからですね。
しかし、当たり前のようにエンジンがかかるのは、性能の良い車を開発、製造してくださった方々がいたり、メンテナンスをしてくださる方々がいるからです。
自動車が普及し始めたばかりの時代は、今よりももっとエンストしやすかったのではないでしょうか。
これは一例ですが、あらゆるものが関係し合っていると思って色々なものを見てみると、普段見過ごしていたものに目がいったり、普段とは違う感じ方をすることがあります。

また、病気になった時などは、健康のありがたさがよく分かりますよね。
人工透析をされている方が、こうおっしゃっていました。
「これまで腎臓が血液を綺麗にしてくれているなんて、考えもしませんでした。しかし、人工透析をするようになって、腎臓が一生懸命働いてくれていたんだと思うようになりました」
病気をすると、当たり前に身体が動いてくれていたことや、当たり前に食事をとれていたことが、何とありがたいことなのかと思わされますよね。
私たちは、細胞や臓器などの働きによって生きています。
もっと自分の身体に対して「頑張っているね」とねぎらってあげたり、労わってあげると良いのでしょうね。
「歳を重ねて、色々なことを経験するということは、これまで見えなかったことが見えるようになり、感じなかったことが感じられるようになることでもある」
そう言われた方がいました。
そうした見方ができるのは、様々な関係性にまで目がいくようになるからではないでしょうか。

さて、浄土真宗では阿弥陀仏という仏様の願いを聞くことをとても大切にしています。
阿弥陀仏の願いとは、「生きとし生ける全てのものを救いたい」という願いだと言われます。
なぜ阿弥陀仏は、生きとし生ける全てのものに対して思いをかけるのでしょうか。
それは、あらゆるものが関係し合い、つながっているという見方をしているからではないでしょうか。
それぞれがバラバラに存在していて、私とあなたとは関係がないというような見方ではなく、インドラの網のように、全てのものが関係し合い、つながりあっているように見えているからではないでしょうか。

そうした仏様の見方を、自他一如(じたいちにょ)という言葉で表現されてきました。
自他一如とは、自分と他者とは一つであり、互いに関係し合っているという見方です。
ですから、仏様は「これは私に関係のあること」「あれは私には関係のないこと」というようには見ないのでしょうね。
仏様からすれば、私たち一人ひとりが「一人子」のように見えると言います。
仏様にとって、それぞれがたった一人の大切な子どものような存在であるから、全てのものに思いをかけずにはいられないのでしょうね。
阿弥陀仏の願いを聞くとは、お念仏の教えを聞くと言っても良いですが、それはそうした仏様の見方を知らされるということでもあります。

阿弥陀仏の願い、お念仏の教えを聞くことを通じて、あらゆるものが互いに関係し合っていることを知らされます。
そして、自分もまた様々な関係性の中で生かされている存在であったことに気付かされます。
その気付きは、感謝や感動を深くし、日々を心豊かに生きることにもつながります。
また同時に、様々な物事を自分中心に見て考え、自分本位な生き方をしていたことにも気付かされます。
そうした気付きが、日々の行動や生き方を変えていくように思います。
どこまでいっても、自分中心の視点で見てしまう習性を私たちはもっていますが、それでも、自分だけでなく他者にとっても良いあり方とは何かと考え、行動する心が育まれていくと思うのです。
▼シリーズ人体
合掌
福岡県糟屋郡 信行寺(浄土真宗本願寺派)
神崎修生
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