前半では、お盆という行事が、仏教や習俗の要素が入り混じってできあがったものであることを見てきました。そして、お盆の歴史がかなり昔からあったことも見てきました。

【仏事作法解説】お盆とは何か。お盆の仏教的な由来と習俗的な由来|神崎修生@福岡県 信行寺 (note.com)

後半はその上で、浄土真宗ではお盆をどのように位置づけているのかを、まず見ていきます。そしてそれがそのまま、浄土真宗のお盆のお供え物の仕方にも通じていますので、最後に、お盆の供え物やお飾りの仕方についてもお話します。

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◆浄土真宗におけるお盆

さて、浄土真宗におけるお盆の意味合いや位置づけはどうなっているのでしょうか。浄土真宗の考え方や世界観と照らし合わせて見ていきましょう。

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まず、浄土真宗という宗派が誕生する以前に、日本では阿弥陀仏信仰が広がります。昔は、今のような医療や食料体制、衛生環境やインフラなどが整っている時代ではありません。飢えや病気によって、幼くして亡くなる方や、若くして亡くなる方も多い時代でした。近年までは、今よりももっと死が間近に感じられた時代だったはずで、人間にとって死は大きなテーマであり続けたはずです。

その中で、死後に阿弥陀仏の西方極楽浄土に迎え摂られていくという世界観が人々の心を捉え、阿弥陀仏信仰が広がります。そのように、人々が死後に浄土へ往くことを求める中で、おそらく、古来からの日本の死後の世界観と、浄土の世界観が入れ替わったり、置き換わったり、混ざり合ったりしたのではないかと想像されます。つまり、仏教と習俗が入り混じる一因として、阿弥陀仏信仰があったのではないかと想像されます。

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平安末期から鎌倉時代に入り、世は末法と言われるように、ますます時代は乱れていきます。その時代に、法然聖人や親鸞聖人が誕生され、阿弥陀仏信仰がお念仏の教えとなって、さらに広がっていきました。そして、1400年代に入り、蓮如上人が誕生され、真宗教団が拡大していく礎が築かれます。このように、法然聖人や親鸞聖人、蓮如上人などの登場により、阿弥陀仏信仰がお念仏の教えとして体系化されていきます。

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親鸞聖人や蓮如上人が、お盆をどう位置付けていたかというと、お念仏の教えの中には位置づけされていません。お盆はあくまで、習俗的なものと考えていたのではないかと思われます。

日本のお寺や仏教的な行事には、仏教という要素と、風習や習慣といった習俗的な要素が入り混じっていることを紹介しました。ですが、親鸞聖人においては、習俗的な要素を仏教に取り入れることはしていません。あくまで、仏教は仏教であって、習俗に関しては別物として捉えていたようです。

ですので、親鸞聖人はお盆の行事をしてはいなかったでしょうし、蓮如上人も親鸞聖人の考え方に習われています。こうした親鸞聖人や蓮如上人の考え方や態度が、浄土真宗の基礎を形作っています。

そのため浄土真宗では、習俗的な部分に関して、他宗と比較すると距離を置く傾向があります。つまり、浄土真宗では、一般的におこなわれている習俗が抜け落ちている部分があるということです。

実際、お盆に関して、東海地方の真宗寺院など、地域によってはお盆参りの風習が薄い地域もあります。

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浄土真宗の世界観では、この世でのいのち尽きれば、阿弥陀仏の浄土へと往き生まれ、仏のさとりをひらくと考えます。難しい言葉ですが、これを往相(おうそう)と言います。往相とは、浄土へと往き生まれていくすがたという意味です。

そして、仏のさとりをひらいた方は、再びこの世に還り来て、人々を仏縁に導くという考え方があります。これを還相(げんそう)と言います。

私たちが、この場でこうして仏教を聞く仏縁に遇っているのは、先立って往かれた方が、私たちを仏縁に導こうとされている還相のはたらきによるのかもしれません。そして私たちがいのち尽きる時には、阿弥陀仏の浄土へ往き生まれ、仏のさとりをひらかせていただく。そしてまた、次の方たちを仏縁に導いていく。こういう過去からのご縁の連続があって私たちの今があり、未来につながっていくと考えると、私たちの存在や人生の捉え方が広がっていきませんか。

話を戻しますと、いのち尽きた後に、あちら側に往き、また還ってくるというような世界観は、お盆の考え方と似ています。ただし、浄土真宗において、こうした往相や還相がお盆に限ったことかというと、そうではありません。

仏のさとりをひらいた方は、いつも阿弥陀仏と一体となり、私たちを見護り照らし、仏縁に導いてくださっているという考え方をします。そうした考え方からすれば、浄土真宗において、先に往かれた方を思ったり、仏様に手を合わせるのは、何もお盆の期間に限ったことではないのですね。毎日のように手を合わせるという生活のあり方が、仏縁がある方の本来的な姿です。

おそらくそういう理由から、浄土真宗では、お盆参りの風習が薄い地域もあるのではないかと思われます。

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しかし、全国的に見て、真宗寺院が全くお盆の行事をしないかというと、そうでもありません。お寺で盂蘭盆会が勤められていたり、自宅にお盆参りに伺うように、お盆の行事をしているお寺のほうが多いと思います。

昔からおこなわれてきたお盆という文化を受け止めつつ、先立たれた方を偲び追悼をする。そしてさらには、先立たれた方を縁として、仏教に触れていく機会とする。そのように、浄土真宗ではお盆を位置付けているかと思います。

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人は歳を重ね、病になり、いずれいのち尽きていきます。そうした人生の理を、先立たれた方を通して私たちは学びます。そして、「この人生をいかに生きるのか」「亡くなったらどうなるのか」という問いも生まれてきます。そうした問いを仏教に尋ねていくことも大事な営みだと思います。

そうした先立たれた方の追悼と共に、今を生きる私たちが仏法に出遇い、人生が転換されていく仏縁としての意味が、浄土真宗におけるお盆にはあります。

このように浄土真宗では、お念仏の教えと照らし合わせて、習俗を取り入れない部分もあり、また意味づけを変えて取り入れている部分もあります。そしてそれが、地域によっても濃淡の差があるというのが、浄土真宗におけるお盆の実体だろうと思います。

◆お盆のお供え物

浄土真宗におけるお盆の意味合いや位置づけを見たところで、最後にお盆のお供え物について見ておきましょう。

これまで見てきたように、お盆には習俗的な要素が多分にあります。そして浄土真宗では、その習俗が抜け落ちている部分があります。そのため、一般的にお盆でされていることを、浄土真宗ではする必要がないとされていることがあります。では、浄土真宗でのお盆のお供え物は、どのようにすれば良いのでしょうか。

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浄土真宗のお供え物の基本は、「お仏飯」「お餅」「お菓子」「果物」などとされています。お盆も、このお供え物の基本の延長でしていただければ結構です。

平常時は、「お仏飯」(仏様にお供えするご飯)をお供えしますが、お盆は特別な季節に当たりますので、「お仏飯」に加えて、「お餅」「お菓子」「果物」などをお供えします。お仏飯はあげたままにせず、お参りが終わったら下げます。

また、お供え物の中でも、季節のものをお供えすると、お盆らしさが出て良いかと思います。例えば一例ですが、果物は西瓜(すいか)や、お菓子は落雁(らくがん)や羊羹(ようかん)などをお供えする方も多いです。水羊羹など、夏らしいですよね。

また、素麺(そうめん)なども夏らしくていいかと思います。日持ちもしますし、信行寺でも、お盆に素麺もお供えしています。

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お供え物の仕方ですが、供笥(くげ)や高杯(たかつき)を用い、その上にお供え物を置き(盛り)、対にしてお供えします。

お仏壇の中は、お供え物であふれるようにはせず、できるだけすっきりさせたほうが良いです。お供え物がお仏壇の中に入らない場合には、お仏壇の横などに台を置き、その上にお供えすると良いです。

お仏壇の前にある経卓(きょうじょく)は、お経の本を置くためのものですので、経卓の上にはお供え物は置かないように致しましょう。

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またお花は、花瓶(かひん)という仏具に、お花を生けお供えします。お花を多くお供えしたい場合は、仏具の花瓶に加えて、通常の花瓶(かびん)に生けて、お仏壇の横などにお供えされると良いでしょう。

お花の種類ですが、一例ですが、ホオズキなど季節のものを加えると、お盆らしい雰囲気が出るかと思います。

仏様にお供えするものですので、毒があるお花や、棘(とげ)のあるお花は用いないとされています。

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仏具の飾り方ですが、お盆は特別な季節ですので、「五具足」にします。

「五具足」とは、「花瓶」と「ロウソク立て」とが一対ずつ(二つずつ)と、それに「香炉」が揃っている状態のことです。両側の外側から「花瓶」一対、その内側に「ロウソク立て」一対、中央に「香炉」という並び順になります。

平時は「三具足」で、特別な時には「五具足」にします。小さなお仏壇の場合には、「五具足」の仏具を置くことができない場合もあります。その場合は、特別な時でも、「三具足」でお飾りください。

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また、お盆のお供え物の補足ですが、霊供膳(りょうぐぜん)や精霊馬(しょうりょううま)は、お供えする必要がないとされています。

霊供膳とは、お膳の器にご飯や汁物や野菜などを盛ったものです。色々な宗派でお供え物とされているので、ご存じの方も多いかと思います。ですが、浄土真宗では普段から霊供膳はお供えしません。そのため、お盆でもするお供えする必要はありません。

また精霊馬は、キュウリを馬、ナスを牛に見立てたお供えものです。お盆の時期にご先祖の霊が、あの世とこの世を行き来するための乗り物としてお供えするという意味があります。

浄土真宗の世界観でも、先立たれた方が、阿弥陀仏の浄土へと往き生まれ、仏のさとりをひらき、この世に還り来て、人々を仏縁に導くという考え方がありました。しかし、それはお盆に限ったことではありませんでした。いつも阿弥陀仏と一体となり、私たちを見護り照らし、仏縁に導いてくださっているという考え方をしています。

また、そもそも仏のさとりをひらいた方は、馬や牛に乗る必要がありません。仏様は、さとりを表す蓮の花の台座に乗られ、いつも照らしてくださっています。こうしたことから、あえて馬や牛に見立てた精霊馬をお供えする必要はないのですね。

また、迎え火や送り火についても、浄土真宗ではする必要がないとされています。

お盆に迎え火や送り火をする伝統はかなり古いもので、民俗的な由来があるものでした。亡くなられた方の霊が、この世とあの世を行き来する時に迷わないように照らしたり、送り出したりするための明かりが、迎え火や送り火だとされてます。

しかし、浄土真宗では、先立たれた方は迷っているのではなく、安らかな仏のさとりをひらいていると考えます。迷っているのは、先に往かれた方ではなく、むしろ、欲や怒りなどの煩悩を抱え、苦悩して生きている私たちのほうだと味わっていくのですね。

この世でのいのち尽きた後に往く仏の世界は安らかであり、この世は迷いの世界であるとお経には説かれています。この迷いの世界にいて苦悩し、迷っている私たちを、智慧の光で照らし、仏縁へと導こうとはたらきかけているのが阿弥陀仏であり、先に往かれた方々である。こうした世界観があるので、迎え火や送り火をする必要がないのですね。照らされ、導かれているのは、むしろ私たちのほうなのですね。

少し理屈っぽいですが、お念仏の教えに基づいて考えた時に、習俗的なことをあえてする必要がないのではないかという視点が生まれてきます。親鸞聖人や蓮如上人は、お盆という行事そのものをされていないようですが、その後の浄土真宗寺院では、世の流れや人々の求めに応じた部分もあるのでしょう。

お念仏の教えと照らし合わせて、習俗を取り入れない部分もあり、また意味づけを変えて取り入れている部分もあります。浄土真宗では、昔からおこなわれてきたお盆という文化を受け止めながらも、一部このように習俗的な要素が抜け落ちている部分があるのが特徴です。

迎え火や送り火はする必要はありませんが、私たちを照らしてくだっているという意味合いから、お盆に提灯をお飾りする分には味わい深く、また夏らしくて良いと個人的には思います。

ホオズキも、迎え火や送り火の意味があると言われますが、提灯と同じように、私たちを照らしてくだっているという意味合いからお供えすると良いかと思います。

いかがだったでしょうか。

お盆のような仏教的な行事とされているものでも、習俗的な要素が多分に混じっていて、全てを浄土真宗や仏教の考え方で意味づけできるかというとそうではありません。そのため、今回は色々な角度から、お盆について見ていきました。

習俗的な由来や、浄土真宗の考え方など、色々な角度から見ていくことで、お盆とは何かがより見えてきますし、それによってお盆のお供え物の仕方や、なぜそうするのか、しないのかも分かってきます。

もうすぐお盆を迎えるということで、今回はお盆について、詳しく見ていきました。ぜひ参考にしていただければと思います。


合掌
福岡県糟屋郡 信行寺(浄土真宗本願寺派)
神崎修生

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◇参照文献
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・『浄土真宗本願寺派 日常勤行聖典』/浄土真宗本願寺派 日常勤行聖典編纂委員会
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・『勤行意訳本』/神崎修生
(『勤行意訳本』については、信行寺までお問い合わせください。 (
https://shingyoji.jp/ )

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