【仏教に学ぶ】シリーズでは、身近な疑問や悩み事を、仏教に学んでみたいと思います。
今回は、「人付き合いが少し楽になる方法」というテーマでお話させていただきます。
こういう悩みをお持ちの方も、おられるのではないでしょうか。
・人付き合いが苦手。
・人付き合いをすると疲れてしまう。
・相手にどう思われているかが気になる。
・自分の思いがうまく伝えられない。
・人と価値観が合わない。
・孤独を感じてしまう。
私も人付き合いは得意なほうではなくて、長時間、人と一緒にいすぎると疲れることがあります。知らず知らずのうちに、肩に力が入っているのでしょうね。人付き合いを苦手に感じる方も、多いのではないでしょうか。
そこで今回は、「人付き合いが少し楽になる方法」を、仏教に学んでみたいと思います。
「人付き合いが少し楽になる方法」として、今回は
・自分の思いも語ってみる
・友達は少なくてもいい
・相手を知ろうとする
という内容でお話したいと思います。
人付き合いが少しでも楽になって、人付き合いも悪くないなと思えたり、日々を心豊かに生きるご縁となれば幸いです。それでは見ていきましょう。
▼動画でもご覧いただけます
「人付き合いが少し楽になる方法」の一つ目は、「自分の思いも語ってみる」ことです。
人付き合いが苦手な原因として、相手にどう思われているかが気になることがあります。
嫌われてしまうかもと思って、自分の意見が言えなかったり、相手に合わせたり、気を遣いすぎて疲れてしまうこともあるでしょう。もっと楽にいれたらいいな。自分の思ったことを素直に言えたらいいな。そういうふうに思う人も、おられるのではないでしょうか。
本願寺の第八代宗主の蓮如上人は、自分の思いを語るようにと、周囲の人に対して言われていたようです。蓮如上人の伝記に、こう記されています。
自分の思ったことを言いなさい。思ったことを言わなかったら、何を考えているがか分からない。そういう人は恐ろしい。だから自分の思ったことを言いなさい。私は、蓮如上人のこの言葉を知った時に、はっとしたことがあります。
人からどう思われるかを気にするあまり、思ったことを口にしないことは、かえって相手に恐怖心を抱かせたり、不安な思いにさせることもある。そうしたことを学びました。
いつもいつも自分の思いを語る必要はありませんが、少し自分の思いを語ってみてもいいのではないでしょうか。自分の思いを語ることで、相手が自分のことを理解してくれたり、自分も楽になることがあります。
「人付き合いが少し楽になる方法」の一つ目は、「自分の思いも語ってみる」ことです。
「人付き合いが少し楽になる方法」の二つ目は、「友達は少なくてもいい」と理解することです。
人付き合いが苦手な原因として、好きなことや価値観などが合わない人と無理に合わせようとして、疲れてしまっていることがあります。
皆さんは、家庭や学校などの教育で、色々な人と仲良くしなさいと教わったことはありませんか。親や先生が、子どもに対して「色々な人と仲良くしてほしい」と願うことはあるでしょう。
ただし、大人の人間関係を見てみると、色々な人と仲良くしているかというと、そうでもないかもしれませんね。
好きなことや価値観が合ったり、育ってきた環境が似ているなど、何かしらの共通性がある人と仲良くしていたり、友人のグループが形成されている場合が多いのではないでしょうか。
色々な人と仲良くなれたらいいけれど、実際は、何かしらの共通性がある方たちで、お付き合いの輪が形成されていることが多いようです。
お釈迦様は、誰とでも仲良くしなさいということはおっしゃいませんでした。お釈迦様の言葉にこういう言葉があります。
仏教というと、皆と仲良くしなさいという教えのように思うかもしれませんが、実はそうではありません。友か友ではないかを見極める大切さが、仏教には説かれています。
なぜ友を見極めることが大切かというと、私たちは近くにいる人から、大きく影響を受けるからです。善い人が近くにいれば、善い影響を受けます。逆に悪い人が近くにいれば、悪い影響を受けます。ですから、友を見極めなさいと仏教には説かれているのですね。
色々な人と仲良くできたらいいですし、またあえて人と対立する必要はありません。人のことを尊重する姿勢は大切です。ただし、好きなことや価値観は人それぞれです。どうしても合わないこともあります。
合わないものを無理に合わせようとしすぎなくてもいい。友達は少なくてもいい。
合わないものを無理に合わせようとして、人付き合いを苦痛に感じている人は、それくらいに思ったほうが、人付き合いが楽になるかもしれません。
そして、出会えて良かったと思えるような人や仲間とのお付き合いを、大切にすると良いのではないでしょうか。
「人付き合いが少し楽になる方法」の二つ目は、「友達は少なくてもいい」と理解することです。
「人付き合いが少し楽になる方法」の三つ目は、「相手を知ろうとする」ことです。
私たちは、先ほどのように考え方や価値観が合う人とだけ付き合えれば、人付き合いの苦痛も少なくなるかと思いますが、実際はそうはいかないことも多いですね。
したくはないけれど合わせないといけない。会いたくない人とも会わなければならない。だから辛いんですよね。会いたくない人とも会わなければならない苦しみのことを、仏教では「怨憎会苦」と言います。
私たちが経験する悩み事の多くは、人間関係に関するものだと言われます。会う人を選べたらいいのですが、選べないからこそ、私たちは悩み苦しみます。
その時に、「人付き合いが少し楽になる方法」として、「相手を知ろうとする」ことが有効な場合があります。
私たちは人それぞれ違います。生まれた場所や育った環境、受けてきた教育、してきた経験、年齢や立場など、これらがまったく同じ人はいません。同じ親から生まれた兄弟姉妹であっても、全く違いますよね。そもそも持って生まれた性質や個性の違いも大きいです。
そう考えると、人はそれぞれ考え方や価値観が違って当然で、意見が違っても普通のことなのでしょうね
しかし、私たちは意見が違うだけで、その人のことを嫌いになったり、おかしな人だとレッテルを貼ってしまうことはないでしょうか。あの人はこういう人だと、自分勝手な偏見や印象で決めつけていることも多いものです。
自分はなるべくそうしないようにと気を付けていても、相手からそうされるということもあるでしょう。
人や物事を自分勝手に見てしまうことを、仏教では「愚かさ」と言います。そうした偏見や思い込みが、目を曇らせ、その人が本来どういう人かを見えなくさせているというのですね。
表面的な意見の違いに捉われずに、その人はなぜそういう発言をしたのか、なぜそういう行動をとったのかと考えてみる。発言や行動の背景となる、その人の考え方や価値観、立場や経験などに関心を向け想像することで、その人の見え方が随分と変わってくることがあります。
意見の違いに捉われずに、意見の違いで嫌いになるのではなく、相手を知ろうとする。そうすることで、意見や価値観の違いなどを超えて、その人のことがもっと深く知らされてくることがあります。
そして、その人が精一杯生きていることを実感したり、深い思いに触れ、心が共鳴するような時があります。
仏教では、こうしたその人をありのままに見ていくような見方を「智慧」と言い、相手を思う心を「慈悲」と言います。
中々難しいことで、私もそうできないことばかりです。そして、相手を知ろうとすればするほど、理解が難しいこともあります。しかし、仏縁によって、相手を表面的に見ずに、相手を知ろうとする大切さを教えられているように思います。
人はそれぞれ違います。そうした前提に立ち、相手を知ろうとすることで、相手の見え方が変わり、これまでとは違った人付き合いが開けてくるかもしれません。
「人付き合いが少し楽になる方法」の三つ目は、「相手を知ろうとする」ことです。
◆
いかがだったでしょうか。
今回は、【仏教に学ぶ】「人付き合いが少し楽になる方法」というテーマでお話致しました。
・自分の思いも語ってみる
・友達は少なくてもいい
・相手を知ろうとする
そうした内容のお話させていただきました。
人付き合いが少しでも楽になって、人付き合いも悪くないなと思えたり、日々を心豊かに生きるご縁となれば幸いです。
また、他にも色々な工夫があるのではないでしょうか。皆様のご意見もお聞かせください。
合掌
福岡県糟屋郡 信行寺(浄土真宗本願寺派)
神崎修生
南無阿弥陀仏