【正信偈を学ぶ】シリーズでは、浄土真宗の宗祖である親鸞聖人が書いた「正信偈」を、なるべく分かりやすく読み進めています。仏教を学びながら、自らについて振り返ったり、見つめる機会としてご活用いただけますと幸いです。

前々回より、「正信偈」の「本願名号正定業」から「必至滅度願成就」までの四句を見ています。今回はその中でも、「成等覚証大涅槃」の一句について、見ていきたいと思います。テーマは「阿弥陀仏の救いとは」です。

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◆阿弥陀仏の救い

さて前回、前々回と、「本願名号正定業 至心信楽願為因」の二句を見てきました。その内容について、端的に言えば、阿弥陀仏が私たちを救おうと願い、まさに今救おうとはたらきかけておられることが示されていました。

そして、今回から見ていく「成等覚証大涅槃 必至滅度願成就」の二句には、私たちがどのように救われていくのか、阿弥陀仏の救いとはどういうものかといったことが記されています。

阿弥陀仏の救いという言葉は抽象的で、救いといわれてもよく分からない、どのように救われるのか分からないという疑問を持つ方もおられるかもしれません。私も浄土真宗の教えを学び始めた時に、そのような疑問を抱きました。

目に見えない阿弥陀仏に救われていくと言われても、実感もできないし、ありがたいとも中々思えない。そのように素直に思ったことがあります。浄土真宗のお寺に通われている方でも、そういう方も多いかもしれませんね。

今回から見ていく「成等覚証大涅槃 必至滅度願成就」の二句は、そうした疑問の答えとなる、私たちがどのように救われていくのか、阿弥陀仏の救いとはどういうものかといった、阿弥陀仏の救い内容について記されています。そしてその救いに付随した、現生(この世)での利益についても記されています。

阿弥陀仏の救いとは、浄土真宗の教えの根幹ともなる部分ですので、回を重ねながら、深く味わっていきたいと思います。まず今回は、「正信偈」の「成等覚証大涅槃」という部分の言葉の意味について、概観したいと思います。

この部分は、仏教の専門用語が多く出てくるところですので、慣れるまで難しく感じるかもしれません。しかし、繰り返し聞いたり、見ていただくと、段々耳になじんできて、理解しやすくなってきます。仏教用語や、仏教の価値観に慣れてきたら、仏法をより深く味わっていただけるかと思います。ですので、丁寧に言葉の意味などを解説しながら、まずは概観したいと思います。

◆証大涅槃

さて、「正信偈」の「成等覚証大涅槃」という言葉の意味を見ていきますが、書き下し文では、「等覚を成り大涅槃を証することは」となっています。この句の「証大涅槃」「大涅槃を証することは」という言葉を見てください。

涅槃という言葉は聞いたことはありますでしょうか。涅槃とは、安らかな仏のさとりという意味です。それを強調する意味で、ここでは大涅槃というように、大という文字がついています。「証大涅槃」「大涅槃を証する」という言葉は、安らかな仏のさとりをひらくという意味になります。

それをまた、成仏とも言います。成仏とは、仏となるということで、安らかな仏のさとりをひらくという証大涅槃と同じ意味です。成仏という言葉は、一般用語では、亡くなった人のことを指して使われたり、供養すると魂が鎮まるというようなイメージがある言葉かもしれません。

仏教用語では、成仏とは、安らかな仏のさとりの境界に至ることを表します。それは、仏道によって目指す目標であり、たたりや汚れといった、おどろおどろしいものというイメージとは異なります。

次に、浄土真宗には、往生即成仏という考え方があります。往生とは、仏の国(浄土)に往き生まれるという意味です。ここでは具体的には、阿弥陀仏の浄土に往き生まれることです。

阿弥陀仏の浄土は、安らかさが極まった境界であることを表わすために、極楽とか、極楽浄土とも表現されます。その安らかな仏の境界である浄土へと往き生まれることを、往生と言います。

そして即とは、同時とか、すぐさまという意味があります。成仏とは、先程言ったように、安らかな仏のさとりをひらくことです。つまり、往生即成仏で、阿弥陀仏の浄土に往き生まれると同時に、安らかな仏のさとりをひらくという意味になります。

阿弥陀仏の救いを疑いなく信じる心をめぐまれたものは、阿弥陀仏の願いと救いのはたらきによって、今生でのいのち尽きた後に、阿弥陀仏の浄土へと往き生まれ、安らかな仏のさとりをひらかせていただく。浄土真宗では、そのように考えます。

この往生即成仏の考え方が、浄土真宗における阿弥陀仏の救いの内容です。この往生即成仏の救いを、「正信偈」では、証大涅槃という言葉で表現されています。往生即成仏と言っても、証大涅槃と言っても、同じことを示しています。

阿弥陀仏の救いを疑いなく信じる心をめぐまれたものは、阿弥陀仏の願いと救いのはたらきによって、今生でのいのち尽きた後に、阿弥陀仏の浄土へと往き生まれ、安らかな仏のさとりをひらかせていただく。

そうした阿弥陀仏の救いを表した言葉が、往生即成仏であり、証大涅槃という言葉です。そしてそれが、阿弥陀仏の救いの内容であり、いのち尽きた後の救いですから、後生の救いなどと言われます。

 

◆成等覚

次に、「成等覚証大涅槃」の「成等覚」という言葉の意味を見てみます。

「成等覚」という言葉は、書き下し文では「等覚を成り」とされています。等覚(とうがく)とは、等正覚(とうしょうがく)ともいい、正覚というさとりに等しい位にあるものという意味です。安らかな仏のさとりと等しい状態ということです。

親鸞聖人は、等覚のことを、正定聚(しょうじょうじゅ)とも表現されています。正定聚とは、仏のさとりをひらくことが正しく定まった仲間のことです。仏のさとりと等しい状態、または、仏のさとりをひらくことが定まった仲間、そうしたことを、等覚とか正定聚という言葉で表しています。

阿弥陀仏の救いを疑いなく信じる心をめぐまれたものは、阿弥陀仏の願いと救いのはたらきによって、今生でのいのち尽きた後に、阿弥陀仏の浄土へと往き生まれ、安らかな仏のさとりをひらかせていただく。そのように、先程申しました。それが後生の救い、今生でのいのち尽きた後の救いの内容だと申しました。

等覚を成るとは、そうした今生でのいのち尽きた後に、阿弥陀仏の浄土へと往き生まれ、安らかな仏のさとりをひらかせていただくことが、今生で定まるということです。

後生の救いが、今生で定まる。いのち尽きた後の救いが、この世を生きている間に定まる。亡くなる寸前に、臨終において救いが定まるのではなく、また、亡くなった後に、救われるかどうかが定まるのではなく、今生きている間に、阿弥陀仏の救いを疑いなく信じる心がめぐまれたその時に、救いが定まる。

そのことを「正信偈」では、「等覚を成り」と表現され、他の言葉では「入正定聚」という言葉で表現されています。言葉が難しいですが、意味は分かりますでしょうか。

後生において、次の生において、安らかな仏のさとりをひらくことが定まっているので、等覚という、さとりに等しい位にあるものと表現されています。そして、正定聚という、仏のさとりをひらくことが正しく定まった仲間という言葉でも表現されています。

こうした「等覚を成る」という「成等覚」や、「正定聚に入る」という「入正定聚」とは、現生の利益とも言われます。阿弥陀仏の救いを疑いなく信じる心がめぐまれた時に、後生の救いが定まりますが、その救いが、現生においては利益として展開していきます。

本願寺の第八代宗主である蓮如上人は、後生の一大事といって、いのち尽きた後のことを考えることは重要なことですよと、常々言われていました。どこに向かってこのいのちを歩んでいるのかが、しっかりと定まった上で、救われていく安堵の中、この世を歩んでいく。そのことはすごく大事なことだと思います。

生死一如と言われるように、生と死とはそもそも一体ですから、生の延長に死を捉えるだけでなく、死するいのちを生きているという、死から生を考えるということも大切なことでしょう。

どこに向かってこのいのちを歩んでいるのかが、しっかりと定まった上で、救われていく安堵の中、この世を歩んでいく。阿弥陀仏にいのちの行方をおまかせしながら、慈悲の光に照らされている温もりの中、日々の生活を送っていく。そのようにならせていただくには、仏法聴聞、仏様の教えを聞き学ぶことが大事だと言われます。

そうした阿弥陀仏の救いの教えについて、聞き学ばせていただくご縁の中で、阿弥陀仏の救いを疑いなく信じる心がめぐまれた時、この世でのいのち尽きた後に、浄土へと往き生まれることも、安らかな仏のさとりをひらくことも、今生で定まっていく。後生での救いを喜び、現生の利益が展開していく。

その現生での利益について、親鸞聖人は現生十益といって、具体的に十の利益を書物で挙げています。そのことについては、また次回以降お話したいと思いますが、その現生の利益の代表となる一つが、入正定聚の益です。仏のさとりをひらくことが正しく定まった仲間となる。そのことを入正定聚と言います。

そして正定聚の人を、親鸞聖人は「如来とひとし」と表現され、安らかな仏の正覚のさとりに等しい位にある人として讃えられ、等正覚とも表現されています。そうした阿弥陀仏の救いや利益を、「成等覚証大涅槃」という言葉で示されています。

いかがだったでしょうか。今回は、「正信偈」の「成等覚証大涅槃」という部分の言葉の意味について、概観しました。そしてそこには、後生の救いと現生の利益とが示されていました。

次回以降も、もう少し詳しく、また私たちの思いや生活に引き寄せながら、阿弥陀仏の救いについて味わっていきたいと思います。

専門用語も出てきて、難しく感じられるかもしれませんが、何度も繰り返しご覧いただくと、どんどんと味わいが深まってきます。是非、何度か繰り返しご覧いただければと思います。


合掌
福岡県糟屋郡 信行寺(浄土真宗本願寺派)
神崎修生

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◇参照文献:
・『浄土真宗聖典』注釈版/浄土真宗本願寺派

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・『浄土真宗聖典』七祖篇 注釈版/浄土真宗本願寺派
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