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今回は、八正道の三つ目、正語(正しい言葉づかい)について見ていきます。
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さて前回も、八正道のお話をしていました。八正道とは、分かりやすい言葉で言えば、幸せに生きていくための道であり、幸せに生きるための実践方法と言えるかと思います。
今回は、八正道の三つ目の正語(正しい言葉づかい)についてご紹介したいと思います。
八正道の三つ目の正語とは、正しい言葉づかいのことです。
私たちは人と接する時に、まずは外見や言動といった表面に現れているものから、その人のことを理解しようとしますね。
この人はどんな人なのか。どんな価値観をもっているのか。信用できる人なのか。そうしたことを、まずは外見や言動などから想像して理解しようとします。
言葉づかいが荒い人であれば、性格も荒いだろうと想像しますし、言葉づかいが優しい人であれば、性格も優しいだろうと想像します。
いきなり内面までは知れませんから、私たちはまず外見や言動といった表面的なところから、その人の人となりを想像します。
このように、言葉づかいとは、人となりが判断される重要な要素の一つと言えます。話す言葉づかいによって、この人はこういう人だと判断されるということです。
そして、言葉づかいによって、信用を得ることもあれば、失うこともあるように、言葉づかいは、人間関係において重要な役割を果たしています。
また、別の視点では、言葉が人をつくるというように、言葉づかいが人間性や人格に影響を与えるという考え方もあるでしょう。
そして、言葉によって影響を受けるのは自分自身だけではなく、その言葉に触れた周囲の人にも影響を与えています。家族や親族の空気感、組織風土など、そのコミュニティでどんな言葉が使われているかによって、コミュニティのあり方も変わってきます。
ネガティブな言葉が交わされているコミュニティでは、不満やあきらめ、停滞感などが蔓延するでしょうし、前向きな言葉が交わされているコミュニティでは、やる気や勢い、気遣いなどが感じられることでしょう。
このように、言葉づかいが自分自身の人間性や人格に影響を与えたり、周囲に影響を与えることがある。それほど言葉づかいとは、私たちが幸せに生きたり、良い人間関係を築く上で重要な要素だと言えます。だからこそ、正語(正しい言葉づかい)が、仏教の代表的な実践方法として挙げられているかと思います。
では、仏教における正しい言葉づかい、正語とはどのようなものでしょうか。
仏教には、十善という、代表的な十の善い行為が挙げられています。
その十善の中に、口業という言語活動に関するものが四つあります。そして、この四つが、八正道の正語と重なる部分があると言われています。ですので、正語(正しい言葉づかい)とは何かという説明に、ここでは十善の口業の四つを挙げたいと思います。
十善の口業の一つは、不妄語(ふもうご)です。不妄語とは、嘘をつかないことです。
嘘で塗り固めるというように、一つ嘘をつくと、どんどんと嘘を重ねてしまうことがありますね。嘘をついた分、後ろめたくなりますし、その気持ちを解消しようと、自分を正当化するようにもなります。
また、嘘をつけば人の信用を失いますから、できれば嘘はつかないほうがいいですね。ただ、馬鹿正直に何でも言えばいいわけではないので、口を慎んだり、人を嫌な気持ちにさせないようには配慮したいところですね。私は口を慎むことができなくて、困ることもありますが。
二つ目は、不両舌(ふりょうぜつ)です。不両舌とは、仲違いさせるようなことを言わないことです。
あらぬ噂を立てたり、あっちとこっちとで違うことを言ってみたりして、人を仲違いさせようとする。そのような、人を仲違いさせる動機は、嫉妬心や利害損得の思いから起きてくるものもあるでしょうね。
自分を今よりも良い立場にしようとか、満足したいというような思いを、私たちは持つこともあるかもしれません。ですが、そうした目的を達成するために、人を仲違いさせるというような、人にベクトルを向けるのではなく、できるだけ、自分がどうあるといいのかというような、自分にベクトルを向けて生きていきたいですね。
三つめは、不悪口(ふあっく)です。「悪口」と書いて、「あっく」と読みます。不悪口とは、ののしったり、荒々しい言葉を使わないことです。
ののしられたり、荒々しい言葉を言われたほうは、中々そのことが忘れられないものですね。また、荒々しい言葉を使えば、感情がどんどんとエスカレートして、暴力的な行為につながることもあります。なるべく冷静で、思いやりのある言葉づかいを心掛けたいですね。
前回の正思惟の話の時に、無瞋(むじん)思惟という怒らない思いや、無害思惟という他者を傷付けない思いについて紹介しました。そうした怒らない思いや、他者を傷付けない思いを心がけようとすることが、ののしったり、荒々しい言葉を使わないことにもつながってくるかと思います。
四つ目は、不綺語(ふきご)です。不綺語とは、中身のない言葉や飾った言葉を使わないことです。
私たちは、自分を良く見せようと思ったり、相手を持ち上げたほうがいいと思うような時に、つい飾り立てた言葉を使うことがあるかもしれません。
少しくらいはいいかもしれませんが、あまりに実体とかけ離れていると、嘘になりますし、あの人は適当なことを言う人だと信用を失います。企業の商品などもそうですよね。宣伝文句と実際の商品とがあまりに違ったら、その企業は信用を失います。
また、私たちは本当はそうは思っていないのに、思っているようなふりをして言葉を発していると、自分の本当の思いに鈍感になってしまいます。また、お世辞ばかり言っていると、お世辞だということがばれて嫌われることもあります。なるべく実感のこもった、手触り感のある言葉を使ったり、思っていないことは不必要に言わないということがいいかもしれませんね。
このように、十善という代表的な十の良いの行為の中で、口業という言語活動に関するものには、今お話しした不妄語、不両舌、不悪口、不綺語という四つが挙げられています。
この十善のうちの四つが、八正道の正語(正しい言葉づかい)と重なる部分があると言われますので、ご紹介させていただきました。
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いかがだったでしょうか。今回は、八正道の正語(正しい言葉づかい)について、お話致しました。
家庭や仕事などで良い人間関係を築いたり、幸せに生きていくために、今回の話が少しでも役に立ったのであれば幸いです。
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合掌
福岡県糟屋郡 信行寺(浄土真宗本願寺派)
神崎修生
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