「親鸞聖人の生涯」について、数回にわたりお話をさせていただいています。

親鸞聖人(1173~1262)とは、浄土真宗の宗祖とされる方で、日本を代表する僧侶、思想家であり、偉人とされる方です。自分自身を深く見つめた常識をくつがえす鋭い言葉の数々は、750年以上たった今でも、時代や国を超え、多くの人々を魅了し続けています。

「親鸞聖人の生涯」を学ぶことを通して、ご自身の人生についても考えるようなご縁となれば幸いです。

前回は、比叡山での修行時代について見てきました。今回は、その比叡山をおりる経緯について、仏道修行で抱えていた親鸞聖人の迷い苦しみについて、ご一緒に考えてみたいと思います。

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◆なぜ比叡山を下山したのか

親鸞聖人がなぜ、比叡山を下山したのかについてですが、所説あります。

一説には、比叡山の天台教学の一乗思想という全ての人が仏となることができるとする仏道のあり方と、自分自身のあり方とのギャップに絶望されたことが原因ではないかと言われています。

親鸞聖人は比叡山にて、ひとえにさとりを目指し、様々な行をおこなわれたと考えられますが、どのような行をしても迷い苦しみが消えることはなかったと言います。

親鸞聖人が抱えていた迷い苦しみについて想像する上で、考慮しておく必要があるのは、その背景となる世界観や人生観です。親鸞聖人が抱えていた迷い苦しみとは、今迷っているとか、今が苦しいといった刹那的(せつなてき)な種類の迷い苦しみだけではなかったはずです。

もっと仏教の世界観や人生観に基づいた迷い苦しみだったと考えられ、現代を生きる我々とは前提にしている世界観や人生観が違いますので、その点を考慮しておく必要があります。

◆輪廻思想

仏教の世界観、人生観の背景には、輪廻思想というものがあります。

輪廻(りんね)とは、生きとし生けるものが、迷いと苦しみの世界を生まれ変わり死に変わりし続けているという考え方です。
(輪廻も色々な解釈があるかと思いますが、ここでは浄土真宗の仏教的立場から見る輪廻を前提にして話を続けます)

輪廻とは迷い苦しみであり、仏教では輪廻の迷い苦しみから離れるため、様々な行をおこない、煩悩(ぼんのう)を滅し、さとりに至ることを目指します。輪廻から抜け出した状態のことを、解脱と言ったり、涅槃(ねはん)、さとり、菩提(ぼだい)とも言います。

親鸞聖人が抱えていた迷い苦しみには、こうした輪廻やさとりの世界観、人生観といった背景があります。

◆生死出づべき道

親鸞聖人が求めたのは、「生死出づべき(しょうじいづべき)道」でした。

生死とは、生まれ変わり死に変わりし続ける迷い苦しみのことで、ここでは輪廻のことです。

親鸞聖人が、9歳から29歳まで、20年もの歳月をかけ修行する中で求めたのは、この生死の苦しみ、輪廻の苦しみから抜け出す「生死出づべき道」でした。そのため、煩悩を滅し、輪廻の迷い苦しみから抜け出し、さとりに至ることを目指し、比叡山では行に励まれたのでした。

この輪廻から抜け出す道、「生死出づべき道」をひたすら求め、修行にあけくれた比叡山時代だったのです。

・長い間、生まれ変わり死に変わりして、迷い苦しんできた。
・ようやく今生(今回の生)では、人間として生まれてくることができた。
・そして、人間として生まれてきただけでなく、輪廻の迷い苦しみから抜け出すことのできる仏法(仏教)の縁にも遇うことができた。

こうした「生死出づべき道」への縁が整った中で、比叡山にて修行に励み、自己への執着、煩悩の束縛から離れようと修行を重ねたと考えられます。

◆煩悩まみれの自分

しかし、修行を重ねる中で見えてきたのは、煩悩まみれの自分の姿でした。自分中心の貪りや、怒り、愛欲などの欲まみれの自分の姿でした。

・時には人をねたみ、うらやみ、腹を立て、憤り、そんな心がおこってきて止むことがない。
・自分が悪いおこないをしないのは、自分が清いからではない。
・たまたま悪いおこないをしなくてもよい状態にあるだけだ。
・悪いおこないをする縁が整えば、どのような悪さでもしてしまう。
・そして現に、自分が気付かない間にも、多くの罪を重ねてしまっている。

20年にもわたる修行生活の中で見えてきたのは、このような煩悩を抱え、地獄にしか行きようのない自分の姿ではなかったかと想像されます。

自分を深く見つめれば見つめるほど、自分自身が抱える欲の根深さが見えてきて、どうすることもできない。こんな自分はとてもではないが、自らの力でさとりをひらきようがない。地獄にしか落ちようのない自分である。このように、親鸞聖人は自らのあり方に、挫折や絶望を感じられたのではないでしょうか。

人は、自分の理想と現状とがたとえ違っても、折り合いをつけ納得したり、少し曖昧にしたままにすることもできます。また、自分の現状は棚にあげて、人のせいにして自分の身を守ったり、理想を語って自分をよく見せたり、見て見ぬふりをして自分の現状をごまかすこともできます。

しかし、親鸞聖人の言動から感じるのは、そうしたことをするような方ではなかったということです。徹底的に自分を奥底まで見つめていき、自分のあり方への曖昧さや嘘偽りを捨て、仏様を前にして正直であろうとした方でした。

◆比叡山を下山

このような挫折と絶望の中、親鸞聖人は比叡山を下山されたのではないでしょうか。

このままでは、迷い苦しみから抜け出しようがない。さとりへは至りようがない。そのことを痛感し、何とか救われていく道はないだろうかと、新たな「生死出づべき道」を求め、比叡山をおりたと考えられます。

そして、親鸞聖人が向かったのが京都の六角堂であり、人生を決定づける法然聖人との出遇いにつながっていきます。

今回は「親鸞聖人の生涯」について、中でも、比叡山をおりる経緯となった迷い苦しみについて見てみました。

いかがだったでしょうか。

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最後までご覧いただきありがとうございます。

合掌
福岡県糟屋郡宇美町 信行寺(浄土真宗本願寺派)
神崎修生

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