今回は、親鸞聖人の生涯について、特に比叡山での修行時代についてお話をさせていただきます。

親鸞聖人(1173~1262)とは、浄土真宗の宗祖とされる方で、数多くの書物や言葉が今にのこっています。

自分自身を深く見つめ、世の中の常識をくつがえす鋭い言葉の数々は、750年以上の時代を超え、未だに多くの人を魅了しています。

親鸞聖人がどのような時代をどのように生きたのかについて知ることで、その生き方や親鸞聖人が語られた言葉の背景が見えてきます。

前回までは、誕生と出家までをみてきました。今回は、比叡山時代の親鸞聖人にせまってみたいと思います。

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◆天台宗と比叡山延暦寺

親鸞聖人は9歳の時に、慈円(慈鎮)和尚(じえん(じちん)かしょう)のもとで、出家、得度(僧侶になる儀式のこと)をされたと言われています。

その後、どこかのタイミングで比叡山にのぼり、天台の僧侶として修行をなさいます。

天台宗は、伝教大師最澄(でんきょうだいしさいちょう/767~822)によってひらかれます。

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比叡山延暦寺は、法然・親鸞・栄西・道元・日蓮といった日本仏教各宗派の開祖が学ばれたところで、現在の日本仏教の礎が築かれた場所です。

比叡山には、大きく三つの地区があり、それらを総称して延暦寺といわれています。

三つの地区の一つは、根本中堂(こんぽんちゅうどう)のある東塔(とうどう)という場所で、最初に最澄がひらいたところといわれます。

二つ目は、釈迦堂のある西塔(さいとう)という場所で、最澄の後にひらかれたところです。

最後の一つは横川(よかわ)という場所で、慈覚大師円仁(じかくだいしえんにん/794~864)がひらいたところとされています。

親鸞聖人は、その横川を中心に、修行をしておられたと考えられています。

◆横川と天台浄土教

この横川という場所は、天台浄土教の影響が強い場所です。

浄土真宗では、七高僧(しちこうそう)とよばれる七人の高僧を大切にしています。

その七高僧の6人目である恵心僧都(源信和尚)(えしんそうず、げんしんかしょう/942~1017)にゆかりがあるのが、この横川です。

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恵心僧都は、比叡山浄土教の大成の書といわれる『往生要集(おうじょうようしゅう)』を記され、「二十五三昧会(にじゅうござんまいえ)」という念仏結社をつくられました。

今も横川には、恵心堂というお堂があります。

そうした横川に流れる浄土教の教えや風土が、親鸞聖人を育んだともいわれます。

ちなみに浄土教とは、阿弥陀如来(あみだにょらい)という仏様の救いによって、浄土(仏様の国土)へ往き生まれ(往生)、仏のさとりをひらく(成仏)ことを主にした教えのことです。

浄土教は、比叡山においては天台の中の一つの位置づけだったものを、法然聖人(ほうねんしょうにん/1133~1212)が、一宗の宗派として浄土宗をおこされました。

親鸞聖人は、比叡山下山の後、法然聖人のもとへゆかれ、弟子となられます。

こうしたことから考えても、天台浄土教の影響の強い横川での修行時代が、親鸞聖人を育んだと考えられます。

ちなみに、浄土宗と浄土真宗は、ともにご本尊は阿弥陀如来であり、浄土教という同系統の宗派になります。

◆親鸞聖人の比叡山での修行時代

親鸞聖人は、比叡山において堂僧(どうそう)をつとめていました。

親鸞聖人の妻である恵信尼公(えしんにこう)の手紙の中に、このような文章があります。

殿の比叡の山に堂僧つとめておはしましけるが
『恵信尼消息』

ここで殿とは、親鸞聖人のことです。この文章から、親鸞聖人は比叡山では堂僧をつとめていたとされています。

では、堂僧とは、どのようなことをおこなう人だったのでしょうか。

結論からいうと、堂僧とはその言葉だけからでは、どんなことをしていたのかははっきりとは分からないそうです。

また、親鸞聖人はご自身のことをほとんど語っておられず、比叡山時代にどういう風に過ごしておられたかもよく分かっていません。

一説では、親鸞聖人は、常行三昧(じょうぎょうざんまい)をおこなっていた僧だったのではないかといわれています。

常行三昧とは、四種三昧(ししゅざんまい)という修行の一つで、常行三昧堂にこもり、90日間ご本尊の阿弥陀如来の周囲をお念仏をとなえながらまわり続けるという行です。

その行の間、坐ることも横になることもできない、とても過酷な行といいます。

身口意(しんくい)の三業(さんごう)をととのえ、身体に仏を礼拝し、口に仏の名をとなえ、心に仏を念じながら、阿弥陀如来を見仏(けんぶつ)するものです。

見仏とは仏様を見ることで、ただ仏像を見るということではなく、仏の姿や光、あるいは浄土のさまを目のあたりに見ることとされています。

(仏といっても如来といっても同じ意味で、ここでは阿弥陀如来のことをさしています)

このように、親鸞聖人は常行三昧をつとめる堂僧だったのではないかといわれています。

親鸞聖人の比叡山時代についてはっきりとはわかってはいませんが、約20年にわたる比叡山での修行の中で、様々な学問や行に励まれたことは間違いありません。

しかし、29歳の時に比叡山を下山されます。下山された理由は、人によって見解が分かれるところです。

一説には、全ての人が仏となることができるとする天台教学の一乗思想と、どのような行をしても思うようにとげることができず、地獄にしかゆくことのできない自分自身とのギャップを親鸞聖人は感じられ、絶望や挫折の中、比叡山をおりられたとも言われています。

そして下山の後に、その後の生涯の道が定まる法然聖人との出遇いが待っています。

いかがだったでしょうか。

今回は、親鸞聖人の比叡山での修行時代について、お話をさせていただきました。

次回は、比叡山を下山した後のことについて、お話をさせていただきます。

参考:岡村喜史先生の真宗学の講義(中央仏教学院在学時に受講)、比叡山延暦寺HP、淺田恵真先生の研究

最後までご覧いただきありがとうございます。

合掌
福岡県糟屋郡宇美町 信行寺(浄土真宗本願寺派)
神崎修生
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